第九章 時間の歩き方

 午後十一時。作戦は開始された。

 俺はイザナミ二号のギアをローに入れ、亡命政府の正面玄関から車体を首都高に向け滑り出させる。ちなみに『イザナミ』という開発名称は、神話の時代まで遡れるように……との思いで名付けられたそうだ。

 ベースとなった光岡・ビュートは日産・マーチの改造車だ。お世辞にも馬力があるとは言えない。140キロまで引っ張ること自体はできるが、スポーツカーのようにはいかない。従って、妨害勢力をうまく警護車が排除してくれるかどうかが大きなファクターとなる。

 俺は助手席に座るナーシャを見やる。

「ナーシャ、いよいよだな。不安はないか?」

「ない。余は股肱ここうの臣下となら、どこへでも行ける」

「そうか。流石に落ち着き払っているな。それを聞いて、安心した」

 ここからだと渋谷から首都高に乗り、横浜で東名に乗り換え。御殿場から新東名に分岐して、浜松を目指すことになる。俺はステアリングを切り、渋谷を目指した。

「のお、忠彦。満州時代のロシア帝国とは、どのような場所なのだろうな?」

五族協和ごぞくきょうわ王道楽土おうどうらくどを掲げた、帝国時代の日本の友邦だ。当時の皇帝はアナスタシア一世、そして二世」

「国の公職には、日本人が多くついていたと聞いておる」

「その一人が、元ロシア帝国民政部警務司長にしてロマノフ協和会理事、そしてロマノフ映画協会理事長を歴任した俺の四代前――甘粕正彦だ」

「憲兵時代に無政府主義者を殺害した、あの『甘粕事件』の甘粕正彦であるな?」

「表向きはそういうことになっているが、実際には違うようだ。本当に正彦が殺害の首謀者なら、出獄後に官費で留学した史実の説明がつかない」

「……つまり、誰かしらをかばって汚名を着たと?」

「そう考えるのが自然だろう。三枝警備の本社には、その件に関する資料がある。今のところ真相を知っているのは、副社長の親父だけだ」

 首都高のランプに車を滑り込ませると、カーナビの指示通りに車を横浜に向かわせる。横浜を過ぎたらあとは東名と新東名だけだから、もうカーナビは必要ない。

 と、後続の警護車から無線が入った。

「ヴォルコフだ。妨害勢力Аアーの追尾を確認した。見た目は普通のブルーバードだが、改造車を意味する8ナンバー。それと、ルームミラーが助手席用を合わせて二つついている。空自の憲兵隊が使っている覆面パトカーだ」

「公安警察の可能性は?」

「ない。公安なら、覆面だとすぐに分かる8ナンバーを使わない。追尾の邪魔になるからだ」

「……どうします? 巻きますか?」

「いや、様子を見よう。無理に巻いたら、今度は警察の交通機動隊までついてくることになる。空自にとって、これは単なる『窃盗疑い』案件だ。こちらから発砲でもしない限り、無茶はやってこないだろう。それよりも、ソ連の動きがないのが気になる。まだこちらでは、それらしき車両を確認できていない」

「しかし……夜間ならハラショークレープも閉まっているわけだし、連中も追尾してますよね」

「そう考えておいたほうがいい。ソ連の車は一般ナンバーだ。警戒を怠るな、以上」

 ……この車は単なるタイムマシンで、防弾仕様じゃない。ナーシャの身の安全が最優先である以上、これはかなり難易度の高いミッションだ。

「ナーシャ。助手席の前のボックスに、短機関銃と予備のマガジンが入っている。確認してみてくれ」

「ああ」

 ナーシャがグローブボックスを開けると、そこにはH&K製のMP5クルツという短機関銃が入っていた。『片手で撃てる短機関銃』ということで、亡命政府の武器庫から持ち出したものだ。

「後続の警護車が妨害勢力を討ち漏らした場合、それが最後の命綱になる。俺は運転でハンドルから手を離せないから、俺が合図したらそれをよこしてくれ。マガジンの交換方法は、今から説明する。撃った直後は銃身が熱いから、火傷にだけは気をつけろ」


 御殿場を抜け、車は新東名高速道路に入る。東名の渋滞緩和を目的に作られた高速だけあって、かなり空いている。速度制限は120キロ。それにプラス20キロすれば、この車は時空を超えて満州ロシア帝国へと旅をすることになる。

 ……よし、行くか。俺はギアを落とし、エンジンをふかして加速を始める。ターボもついていない小型乗用車なので、慌てず確実に速度を上げていく。

「ひそか、こちら『イザナミ』忠彦。応答しろ」

「……こちら警護車、ひそか。なんだい忠彦?」

「お前には色々と世話になったな。十八年の腐れ縁だったが、楽しかったよ。小さい頃によく遊んだお前の家の古い蔵、そこの真ん中の梁の上を帰ったら確かめてくれ。あれは満州ロシア時代からあるはずだ」

「忠彦のことだから、なにか考えがあるんだろうな。分かったよ」

「それでは――本機はこれより、巡航速度140キロをもって満州ロシア帝国へと向かう。ひそか、校長。――どうか健やかに」

「ああ、忠彦。いい旅を祈っている」

 俺は通信を切ると、時航回路の電源を入れ、行き先の日時、そして緯度と軽度を表示させる。――昭和十年、ロシア帝国ハルビン市……。左手で黄色い取っ手を真後ろに引くと、後ろのトランクが開いて時航装置が露出する。

「行くぞ、ナーシャ」

 トンネルを目の前にしてアクセルを目一杯ふかそうとした瞬間、ヘリのローター音が響いた。

「な――」

 天空から舞い降りたヘリは地面スレスレを飛ぶと『イザナミ』の前に陣取り、そのまま神業的な操縦技量でトンネルへと吸い込まれていく。

「しまった――」

 速度を落とすこともできず、『イザナミ』と警護車は続いてトンネルに突入する。これでは、ヘリに邪魔されて140キロは無理だ――。

 金髪の少女がローターからの風に長髪を羽ばたかせ、ヘリから身を乗り出して自動小銃を構える。ヘリからはハーネスで体を固定しているようだ。

「ナーシャ、銃を俺によこして伏せろ!」

 俺が銃を受け取るやいなや、自動小銃のフルオートが『イザナミ』を襲った。車体を何発かかすったが、幸いにもナーシャには当たっていない。

 途端、警護車の更に後ろでサイレンが鳴り響いた。……そうか。これは、『空自の装備品に対する器物損壊の現行犯』に当たる。

 赤色灯を回した面パトは右の車線に躍り出ると、スピーカーで警告を実施した。

「前方のヘリに告ぐ! 今すぐに武器を降ろし、トンネルを抜けて次のパーキングエリアに駐機せよ!」

 次の瞬間、蜂の巣になった面パトは火だるまになり、ミラーの彼方へと消えていった。

 全く容赦がない。つまるがところ、『イザナミ』への射撃は『止まれ』という意味の威嚇いかく射撃だ。

 無線から、ひそかの声が飛んだ。

「忠彦、向こう――妨害勢力Бべーが僕の携帯経由で、こちらの周波数への介入を要求してきた! 開放するよ!」

「分かった!」

 しばらく無音の状態が続くと、風のノイズを交えて、鈴のような少女の声が聞こえてきた。見ると、いつの間にかヘリの少女はヘッドセットをつけている。

「こちらはソヴィエト連邦地上軍少尉補、アンナ・アレクサンドロヴナ・ベリンスカヤですわ」

「――ロシア帝国外交部二等書記官・甘粕忠彦だ。クレープ屋の店主、と言ったほうが通りはいいんじゃないか?」

「単刀直入にこちらの要求を伝えます。アナスタシア五世の身柄を、わたくしたちに渡してくださいまし」

「もし断ったら?」

「先程のパトカーと同じことになりますわ」

「なら――燃えてきたぜ。なおさら、応じるわけにはいかないな」

 刹那、ヘリと『イザナミ』がトンネルを抜ける。車体の右横に移動したヘリは、相対速度ゼロでぴったりくっついてくる。

「当たれっ……!」

 俺は右ウインドウからMP5クルツを突き出し、ヘリに向けてフルオートで弾丸を放つ。そのいくつかが機体に当たり、火花を散らす。

「甘粕君、あとは任せろ。先に行け! 140キロに達するまで、妨害を排除する! 三枝くん、ルーフを開け!」

「排除する……わたくしたち栄光のソ連地上軍を、自家用車一台でですの? 冗談は――」

「調べが足りないのなら教えてやろう、お嬢さん。私のかつてのコードネームは『堕天使の祈り』――チェチェン紛争においてソ連軍が最も恐れた、特A級の狙撃手だ!!」

「な――!!」

 ローターの付け根に一発、続けてラジエーターに一発。呆然としている間にヘリは姿勢を崩し、『イザナミ』から離れていく。

 ……今を逃せば、もう機はない。回せ、回せ、希望が待つその先に向かって回せ――。

 無我夢中で、どんどんと速度を上げていくスピードメーターを見つめる。そしてメーターが140キロを示したとき――俺とナーシャは、まばゆい光に包まれたのだった。

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