第七章 令嬢たちのシナリオ

 店舗倒産まで、あと十四日――。


「まずいですわ、まずいですわ、まずいですわ……これだから資本主義は……」

 キッチンにあるノートPCで店の帳簿を確認していたアンナ・アレクサンドロヴナ・ベリンスカヤ少尉補は、サモワールで沸かした紅茶を飲みながらトントンと指先で机を叩いていた。

 このままでは運転資金が底をつき、店――宅配ピロシキ店『ヴォルゴグラード』を売りに出さざるを得ないラインまで追い詰められる。

 『ほぼロシア帝国亡命政府のみが顧客で、金に困っている個人経営店』に目をつけたまでは良かったが、そのあとが失敗だった。

 最初は調理をベリンスカヤ小隊の男性陣に任せていたが、あまりの味の酷さに亡命政府からの注文はすぐに途絶えてしまった。

 ベリンスカヤ自らがキッチンに立ち味のほうは改善したものの、情勢視察の相手からは一向に注文が入らない。一時期の味が酷かったため、イートインの客も入らない。それに現状では工作資金が足らず、アナスタシア五世拉致の算段がつかない。

 仮にモスクワに追加の予算を申請でもしようものなら、この『副業』の件が露呈し『走資派』として粛清される可能性すらある。

 どうしたものか――。そう考えを巡らせながらキッチンに立つと、一晩寝かせたブリヌイの種を使って一枚、また一枚と焼き上げる。ブリヌイとは、簡単に言えばロシア風クレープのことである。

「はい、今日のまかないが焼き上がりましたわよ? 皆さん、順番に休憩を取ってくださいまし」

 ホールスタッフの小隊員に声をかけ、ブリヌイの山の横に中の具材を置く。今は誰も客がいない。

「小隊長、まかないくらいなら我々が……」

「わたくしが作らなかったら、いつか食中毒で保健所が来ますわ。そうなったら何もかも終わり……。わたくしがこの店にいないと任務が継続できない以上、女学生ごっこもしばらくはお休みですわね」

 学校側には、『家計と事業が傾いたため』ということで欠席を認めてもらっている。物は言いようで、確かに嘘は言っていない。

「いつもすみません。それにしても、小隊長のブリヌイは絶品ですね。金を取ってもいいくらいです」

「ストルイピン上等兵、今なんと?」

「ですから、ブリヌイが絶品だと……」

「その後ですわ」

「金を取ってもいい、と……」

「それですわ! 皆さん、扉を締めて『準備中』の札を掲げて! これより小隊の作戦会議をいたします!」

 雪崩を打って隊員たちは店をクローズドにし、ベリンスカヤを囲んで席につく。

「残った資金で、我が『ヴォルゴグラード』は業種変更。最後の生き残りを図ります」

「ど……どういうことですか、小隊長!?」

 きっかけとなったストルイピン上等兵が、思わずベリンスカヤに質問する。

「わたくしはフィンランド大使令嬢護衛のため、前年度からこの国に来ておりました。その経験から申し上げますと、女子高生を始めとするこの国の若い女性の間では、クレープの食べ歩きはもはや社交の場。ですがブリヌイを全面に出した有名クレープ店は、寡聞にして存じません。わたくしはここに、スイーツ専門のブリヌイ店『ハラショークレープ』の編成完結を宣言いたします」

「甘いブリヌイを売るんですか……? 我々にとっては、具材を挟む家庭の軽食という印象が強いのですが」

「原料にそう違いはありませんから、問題ありませんわ。我が小隊の料理の腕前は『もう少し頑張りましょう』ですが、幸いにして顔の方は男前が多め。ホールスタッフ要員は足りていますし、ピロシキと違って残りの皆さんがキッチンに立っても悲惨なことにはならないでしょう。ブリヌイならわたくしが種さえ作ってしまえば、誰でも焼けますから。――ストルイピン上等兵、隊の予算で生クリームとチョコソース、それからバナナとアーモンドを急いで買ってきてくださいまし」


「では隊を代表して感想を、ストルイピン上等兵?」

「に……西側の味がします」

「……今の反革命的な発言は、聞かなかったことにしておきますわ。仮に貴方がお客なら、日本円でいくら出せまして?」

「うーん……物価を考えると五百円以上、千円未満ってところでしょうか」

「損益分岐点は余裕で超えていますわね。第一条件はクリア。残りはレシピと売り方ですわ。これより作戦を、第二段階に移行いたします。隊員の中からIT班を選抜、公式サイトのデザインとSNS管理を担当。残りは都内の有名クレープ店にローラーで臨店。外観から分かる範囲のレシピと、売れ筋の調査を命じますわ」

「あのー、小隊長」

 食べかけのブリヌイを皿に置き、ストルイピン上等兵がおずおずと手を挙げる。

「なんですか、上等兵?」

「我々の目的って……」

「最終目的に変更はありませんわ。アナスタシア五世の拉致です。ですがその前に工作資金を稼ぐと同時に、再び亡命政府から飲食物の注文を取らなければなりません。つまり――任務成功のためにはソ連ブームに乗じて、『ソ連風クレープ』店で一旗上げるしかないのですわ――」

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