第25話 江ノ島ひとみとの別れ


     〇


「失礼しました。………」


 廊下を歩く。

 生徒会室を後にしてからも、しばらく現実から遊離したような気分が続いていた。


 奇妙な感覚に、額を押さえる。油断すると、引きこまれていきそうな感じだった。

 彼女の不幸に?

 否。普通ならば不幸なはずなのに、それによって、どうしようもなく幸福であるように見えた彼女に。


 家という、普段の居場所。

 家族という、日常の保護者。

 もしそれが過去の記憶を縛り、現在の自由を奪い、未来の可能性を殺す存在でしかなかった時に。

 禍福は逆転し、世界は反転するのかもしれない。

 そして、突然の解放。


 その、天地がひっくり返った様を目の当たりに見せられたかのように、おれの心が……いや、〝魂〟が揺れていた。揺さぶられていた。


 だというのに、なんなんだろう? 常人には立ち入ることさえ許されない、鍾乳洞の奥を覗くような。彼女にもっと近づいてみたいような……そんな不思議な気待ちも、同時に湧いている。

 こんな気持ちは、はじめてで………。

 いや、違う。


 ―――いるじゃないか……

 ―――彼女が。


 その先でおれを待っている気がして、扉を開いた。


「もしそれが、本当だとしたら……。おや?」


 幸い部の部屋。

 今日はまだ、そこに彼女の姿はなかった。

 その代わり、例の3人がテーブルを囲んで座っていた。すなわち金峯マサヲ、江ノ島ひとみ、浅間澪那。現代に生きる、魂の使い手(ちょっと格好良く言ってみた)たちだ。


 けど今日はちょっと様子が違っていた。厳粛な、とまでは行かないが、いつもよりもシリアスな空気が漂っている。


「どうかしたのか?」


 いつものメンバーを目の当たりにして、さっきまでのヘンな気分も霧散していた。気を取り直して問いかける。


「いや、大したことないよ。少し情報交換してただけで」

 緊張を解くように、マサヲが頬を緩めて見せた。


「情報交換?」


「そうそう! 私たち、まかちゃんと色んな体験したじゃない? だからお互いに知ってることを、教え合っとこうってことになったの」


「なるほど」


 おれからしてみれば有無を言わさず巻き込まれた感が強いのだが、未知なる方へと足を踏み入れたのは彼らとて同じだったらしい。情報交換とやらを通して、それぞれ得るところがあったようだ。


「…………」


 が、浅間澪那だけは押し黙り、ひとり考えこむような顔をしていた。今日の話の中に、何か気になることでもあったのだろうか?


「――そうだな。まずは僕からシントに話をするよ。浅間さんも、それでいいかな?」


「………うん……」


 辛うじて答えた浅間は、顔を上げなかった。

 とはいえあの浅間澪那が、同じ部員とはいえ人と差し向かいで話し合いできたとすれば上出来ではないだろうか? 我ながら、なんなんだその保護者目線はという気もするが。


「江ノ島さんはどうする?」


「う~んと……。私は、今日は帰るね?」


 ひとしきり見渡すと、江ノ島さんは言った。こちらを向き、敬礼っぽいポーズをとって、


「まかちゃんから、みぽりんにも伝えておいて? これからも、みんなでいろんなとこ行って、いろんなことしようねって! 休み中に、やりたい事いっぱい考えてくるからッ」


 江ノ島ひとみは鞄を抱えると、無駄に鼻歌を口ずさみ星々やハートマークを散らしながら(もちろんそう見えるだけだ)手を振って、幸い部を後にした。後に残るのは静謐な雰囲気。


 でも、おれはもう知っていた。彼女が楽しいことを必死に探すのは、自分のためであると同時に、喜びを知らずに終わってしまった人々のためでもあることを。


     〇


 さっきの流れからして、どうせ魂がらみの話があるのだろう。場所を変えたいと言う金峯マサヲと共に、行き着いた場所は生物室前の廊下だった。


 この学校には生物部があったはずだが、現在のように行事がない時期は餌やり程度で、あまり活動していないらしい。飼われている亀やメダカが泡立つポンプの空気を浴びて泳いでいるほか、周囲は鳴りを潜めていた。


「シントは、神を信じるかい?」


「神?」


 開口一番、突然すぎる質問だ。一言でうと、突拍子もない。


「なんだ、いきなり。宗教の勧誘か?」


「あはは、そういうのじゃないよ。でもまあ、信じてるかはどうでもいいか。質問を変えよう――もし神が実在してるとしたら、その力ってどんなものだと思う?」


「なんだよその、カミのチカラって」


「『神様だけにできることは何か?』って意味だよ。なんだと思う?」


 至極真面目な様子で訊くものだから、答えざるを得なくなった。そんなの考えたこともなかったけど、


「んー…神様なんだから、いろいろできるんじゃないか? 世界や人間を、創り出すことができるとか?」


「『無から有を生み出す』ってやつか。哲学の伝統からすると模範解答なんだけど、現代人の僕らからしたら縁遠いな。もう少し、身近なもので何かないかな?」


 せっかく答えてやったというのに駄目出しとは。おれとしては哲学の伝統とやらに訴えかけるつもりは毛頭なかったので、答えのヴァリエーションはあまりない。


 これ以上考えるのが馬鹿らしくなって、


「なんのクイズさこれは。神に用があるのなんて、それこそ神頼みする時くらいだよ」


「そう! それ」


 マサヲは人差し指を立てた。はねつけるつもりで言ったものが、どうやら当たりだったらしい。


「人は、願い事があると神に祈る。これって要するに、『神様には人の願いを叶える力がある』からだよね? だからこそ我々は、いまでも聖地にお参りに行ったり、祭壇に祈りを捧げたりするわけだ。どうか私のお願いを、神様のお力で叶えて下さいって」


「たしかに? でも、それが」


 どうしたっていうんだ、と言うより早く、


「伊勢川ミホカには、人間ではなく、神の魂が宿っている可能性が高い」


「………何………だって……?」


 どうしてそういう話になるのか。

 毎度毎度、おれへのドッキリ企画でも考えているのか。SF紛いの話の次はオカルト神話か? 訳の解らない話を次から次へと、定着する前に持ちネタをコロコロ変えるのは三流芸人のすることだとアドバイスしてやりたかったが、


「あはは、なんだその話は。神? GOD? ヤハウェ? 時代遅れな話はやめとけよ」


「時代遅れでもなんでもない。この前の話の続きだよ。『伊勢川ミホカがいる世界だけ、人類は滅亡せずに生き延びることができる』と。それは憶えてるね?」


 「それはまあ」と、おれは頷いた。忘れようったって、なかなか忘れられる話じゃない。最近聞く物語の中じゃ、かなり面白いしな。


「どうしてそうなるんだろうって、ずっと考えてたんだ。おそらくは彼女に――というよりは、彼女に宿っている魂に――何かとんでもない秘密があるにちがいない。だからここで得たデータを関係者に送って、いろいろ調べてもらってたんだ。おかげで解ったことがある」


「それは?」


「伊勢川ミホカの魂には、人の願いを現実にする力があるということ。彼女の魂は、願いを叶えたい相手に自己自身を複製して宿らせるんだ。おそらくは本人たちも、無意識なうちにね」


「へぇ……?」


 己には縁遠い話を聞くようでいながら、心の隅で何かが鐘を鳴らしていた。

 人間には理性の働きというものがあってだな、言われなくても、与えられた情報から結論を導き出すことができるわけなんだ。魂を複製して、宿らせる…?


 が、おれに論理学の心得はない。結論が見えないでいるうちに、「いまから話すのは僕の仮説だ。いいかい?」と彼は念を押して続けた。


「『伊勢川ミホカは神様のように、人の願いを叶えることができる』と仮定してみよう。もし彼女がこの力を使って、『世界が救われますように』という誰かの願いを聞き届けたとしたら、どうなるだろう? そうすれば、世界はめでたく滅亡を回避することができるんじゃないか?」


「なるほど、そういうもんかね。理屈ではそうなるけど」


「理屈だけではなく、実際にもそうなるんじゃないかな。そう―――君の願いを、叶えることで」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る