東京都内にあるハルモニア学園×俺を含む3000人の生徒達×異世界に漂流(転移)=異世界漂流学園物語

千葉一

1 非日常の始まり

 7月7日、午前10時10分。

 梅雨の時期の真っ只中にある今日の天気は、朝から気持ちのいい晴天に恵まれていた。

 汚れた衣服を洗濯する主婦と主夫、傘要らずで通勤できる会社員、屋外で十全に働ける作業員などの大多数の人間が、笑顔を浮かべるような好天気である。

 そしてそれは東京都内にあるハルモニア学園のグラウンドで体育の授業『野球』をするのに絶好な天気でもあった。


「かっ飛ばせ、赤点! 負けたらぶっ殺すからな!」

「誰が『赤点』だ!! 俺の名前は赤城涼介あかぎりょうすけだっての!!」


 不名誉過ぎるあだ名『赤点』と呼んだクラスメイトの男子に怒りの表情を浮かべた俺は、銀色に光る金属バットを持ちながらバッターボックスに向かっている。

 そんな今の俺はハルモニア学園指定の青いジャージを着ており、両足の先には運動しやすいスニーカーを履いていた。


「赤に近い黒髪と右頬の小さな傷跡。それと身長が180センチ超えに、クラスメイトから『赤点』呼ばりってことは、お前がうわさの万年赤点だな。学科が違うとは言え、お前の噂を色々と聞いているぞ。なんでも期末・中間テストは常に赤点だらけだってな。やれやれ、何の為に学園に来ているんだか……」


 バッターボックスの近くにいるキャッチャーが俺に挑発してきた。

 その人はハルモニア学園のスポーツ科の2-Aに所属している男子の一人であり、体育の授業『野球』の対戦相手の一人でもある。


「俺が学園に来ようが来まいが、テメェには関係ないだろ!! それと万年赤点と呼ぶんじゃねぇ!! つーか、金属バットを持った相手に良くそんな口ができるな!! テメェの頭をボールだと間違えても知らねぇぞ!!」

「お~怖っ……」


 俺の脅し文句にとぼけた感じで肩をすくめるキャッチャー。

 そんなキャッチャーを無視する形で俺はバッターボックスに入る。

 そして金属バットを構えようとした途端、少し前にクラスメイトが言っていたことを思い出す。


「クラスメイトから相手のピッチャーは野球部のエースだと言っていたけど、そんなに凄い奴なのか?」


 俺は情報収集のつもりでキャッチャーに声をかけた。


「校内新聞、見てないのか? ウチの野球部は甲子園に出場する予定だぞ」

「えっ、嘘だろ……!?」

「いやいや、マジだって。つーか、第五校舎……西側にある校舎の方を見ろよ。垂れ幕がかかってるだろ」

「どれどれ……あっ、ホントだ。おめで「ストライク!」」


 不意に審判役を務める体育の先生の言葉が耳に入った。

『甲子園初出場おめでとう!!』の垂れ幕を見ている途中、投げたボールがミットに収まった音と一緒に聞こえたのである。


「ストライクって、今のはナシだろ!? 俺とコイツの会話を聞こえてただろ、先生!!」


 俺はキャッチャーの後ろに立つ先生に抗議した。しかし、


「時間がないから抗議を受け入れる余裕はない。いいからサッサとバットを構えろ、赤て――ゴホン。バットを構えろ、赤城」


 時間がないという理由で拒否されてしまったのである。


「何やってんだ、赤点! 我ら普通科の2-Bの泥を塗ってんじゃねぇ、殺すぞ!!」

「そうだそうだ!! ウチのクラスの平均点を著しく落とすだけでもアレなのに、クラスの評判を下げる真似は止めろ!! さもないと社会的にも精神的にも抹殺するぞ!!」


 グラウンドの端っこに立つ普通科の2-Bの男子達が、俺に向かって怒りの大声――と言うより、殺意のナイフが飛んできた。


「テメーら、俺と同じクラスメイトだよな!? 味方の俺に声援の言葉送るんじゃなくて殺害宣言を送るってどういうことだよ!?」


 珍しくいじめやDQNがいない健全な2ーBの連中なのに、今日はやけに殺気立っているな! 何かあったのか? 俺だけ知らない何かあったのか、お前ら……?


 味方からのぞんざい過ぎる言葉に疑問を抱きながらバットを構える俺は、野球部のエースでもあるピッチャーの動向を注視する。

 すると野球部のエースはオーバースローの動作を取ろうとしている。


「ああ、そうだ。言い忘れたけど、野球部のエース『高橋修二たかはししゅうじ』の投球速度は高校一どころか日本一だぞ。なんと170キロだ!!」

「……はっ?」


 キャッチャーから不意打ちともいえる内容に驚く。

 そして次の瞬間、文字通りの『豪速球』が俺の直ぐ横を通り過ぎた。


「ツーストライク!!」


 キャッチャーの後ろに立つ先生が叫んだ――って、


「いやいや、それはないだろ!? 野球部でもない相手に豪速球って、スポーツマンシップの欠片もない行為なんだけどッ!!」


 空飛ぶハトに当たれば即死しそうな豪速球に、俺は抗議の意を示さずにいられなかった。


「ちょっと済まんなぁ。シュウの奴、来月には甲子園のピッチの上に立つもんだからピリピリしてんだよ。俺の顔に免じて許してくれ」


 そう言いながらピッチャーにボールを返している。


「お前の顔にって、キャッチャーマスクを着けたまま言われても心に響かねぇんだけど」

「そりゃ確かに……んじゃ、代わりに情報をくれてやろう」

「情報って?」

「次投げるコースを教えてやる」

「……いいのかよ? 体育の授業とは言え、八百長みたいな行為をして……」


 チラッと後ろに立つ先生の顔を見る。

 そこには『どうでもいいから早く構えろ!』と目で語る体育の先生がいた。


「かまへんかまへん。つーか、体育の授業ルールで『ストレートのみ』と先生からきつく言われてる。もちろんど真ん中のストレートのみ、いい情報だったろ」

「確かにいい情報だけどよ……。ホントなんだろうな……?」


 俺は疑いの眼差しをピッチャーに送りながら金属バットを構える。


「安心しろって。野球部じゃない生徒に本気でやったら意地汚いだろ。だからハンデだよ、ハンデ。もっとも球速だけは本気だけどな」

「いや、球速も手加減しろよ――っと、何時でもいいぞ」


 バッターボックス内で金属バットを構えている俺は、ピッチャーに『かかってこいや!』とアイコンタクトをする。

 すると先程と同じ投球フォームを繰り出すピッチャーの姿が目に入った。

 そしてピッチャーの右手に掴む野球の球が、豪速球と呼ぶのに相応しいスピードでキャッチャーのミットに真っ直ぐ向かい――今だ!!


「オラァッ!!」


 俺は掛け声と共にフルスイングをする。野球部のエースの高橋修二が投げる豪速球をかっ飛ばす為に。

 しかし金属バットを掴む両手から確かな手応えを感じることはなかった。


 ノーヒットか、クソ……。

 運動神経とゲームの腕だけは自信がある俺だけど、時速170キロの豪速球を打ち返すには流石に無理があり過ぎるか……って、ストライク宣言はどうしたんだ?

 あと野球の球がキャッチャーのミットに収まった音が聞こえなかったような……?


 そんなどうでもいいような疑問を抱いた俺は、キャッチャーと主審を務める先生の姿を視界に入れる。

 すると驚きの表情を浮かべながら前方――ピッチャーがいる方向を見る二人の様子が目に入った。


「二人共どうしたんだ? 顎が外れるぐらいの変な顔でピッチャーの方向を見て――――んなぁっ!?」


 ピッチャーがいる方向を見ながら驚きの表情を出した。

 より正確に言うとピッチャーがいる方向。3メートル先にある『野球の球』に驚いたのである。

 俺の腰と同じぐらいの高さでピタリと静止した野球の球に。


「か、カーブやスライダーなどの魔球の一つ……と言うオチじゃねぇよな……?」


 物理現象を無視した野球の球を見ながら独り言を呟く、そんな時だった。


「うおおっ!?」


 俺の足元から爆弾が至近距離で破裂したかのような揺れに襲われた。それと同時に激しい地鳴り音が俺の鼓膜に襲ってくる。


「うわっ!?」

「ぬおっ!?」

「おわっ!?」


 四方八方から揺れに対する悲鳴が聞こえてきた。

 また、クラスメイトの男子達とスポーツ科の男子達のよろける姿が目に入った。

 それらのことに俺は『半世紀に一度の大地震でもやってきたのだろうか?』そう危機感を募らせるが、


「揺れが収まった……のか……?」


 立つことも困難な揺れが夢幻ゆめまぼろしの如く一瞬で収まったことに、俺は困惑といった表情を浮かべてしまった。


「デカい揺れだったな……」


 直ぐ近くにいるキャッチャーが俺に話しかけてきた。


「確かにな。地震の揺れにしてはかなり短い時間だったけど……ってか、地震だったのか? 今の揺れ?」

「地震に詳しくない俺に聞かれても困るっての。大学の教授に聞けよ、地震学の教授様に。それよりあの球どうしたらいいんだよ?」

「それこそ俺に聞かれても困るってば。物理学のお偉いさんに質問しろよ、それかSNSに質問でもするんだな――っと、取り敢えず例の球に近づいてみる」


 俺は金属バットを持ちながら例の球のところに向かう。


「不用意に近づくなよ、赤点。怪我しても知らねぇぞ」

「心配すんな。ただ観察するだけだから。つーか、ナチュラルに俺を『赤点』と呼ぶんじゃねーよ」


 不機嫌な表情を出しながら例の球、俺の腰と同じぐらいの高さでピタリと静止した野球の球を至近距離で観察し始める。


 う~~ん……。

 野球の球自体は回転どころか一ミリも動いていないな。それと目に見えない糸で釣ったような痕跡もない。あと風で浮かばせているわけでもないようだ。


 どうなってやがるんだ――そんな疑問を抱いた直後、俺の股間から『ズドン!!』と音が鳴り響いた。


「オグゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……!?」


 俺の股間から地獄の責め苦のような鈍い痛みが走った。

 物理現象を無視する形で浮いていた野球の球が、男の急所でもある股間に激突したのである。時速170キロ相当の豪速球が。


「うぐっ、おおおおぉぉぉぉぉぉ……!!」


 あまりの痛みで足が崩れ落ちそうになる。

 けれど金属バットを杖の代わりに使用する形でどうにか堪えた。


「お、おい! 大丈夫か、赤点!!」

「だ……だから……あ、赤点と……よ、呼ぶんじゃねぇ……ってば……!!」


 股間からの激痛に顔を真っ青にする俺は、両足をガクガクと震わせながらキャッチャーに苦言を言い放った。

 そんな満身創痍の状態とも言える俺の元に、野球部に所属しているようには見えない男子――金色に染めた長髪を持つ高橋修二がやってくる。


「球を投げたオレが言うのもなんだけど、大丈夫か? 救急車でも呼んだ方がいいか?」

「問題ない……と、強がりたいけど無茶苦茶痛い! つーか、今の何だったんだよ!! 流石は野球部のエースだと称賛するべきか、荒唐無稽な物理現象に激怒するべきか、判断に困るんですけど……!!」


 男の急所でもある股間の激痛と、物理法則を無視した魔球(?)に、俺は吠えずにいられなかった。


「落ち着け、赤て……じゃない。赤……何だっけ?」

「赤城! 赤城涼介だよ! テストの点数がたまたま悪いからって、『赤点』なんて不名誉なあだ名で呼ぶんじゃねぇ!」

「悪い、悪い。でも赤点の方が覚えやすいぞ。それより保健室にでも行ったらどうた? このままプレーするのは無理そうだし……」


 高橋はちょっと申しわけなさそうな顔をしている。


「確かにシュウの言う通り保健室に行った方がいいな。アレが潰れてたらヤバいし……。と言うわけで赤点を保健室に連れていっても構いませんか――って、先生はどこだ?」


 キャッチャーは後ろにいるはずだった体育の先生を探している――ってか、自然の流れで俺のことを赤点と呼ぶなと言っただろ! 体調が全快なら『オラオラ』をしているところだぞ、ゴルア……!!


「おかしいな? 先生がどこにも見当たらない……まぁ、いいや。保健室に連れていってやるから俺の肩に捕ま「その役目、オレがやる」」


 見た目が金髪ヤンキーの高橋が、俺の腕を奪い取るように背負った。


「シュウが連れていくのか?」

「ああ。先生に適当に報告してくれ」

「分かった。ゲームの続きは俺に任せてくれ」


 キャッチャーを務めた男子が俺達の前から離れていく。

 そして俺の腕を背負う高橋の顔を見ながら口を動かそうとする。


「見た目に似合わず親切だな、お前……」

「よく言われる。つーか、オレが投げたボールで怪我したんだから気まずいんだっての。ほら、行くぞ」

「ああ。保健室まで頼む……ってか、どの校舎に向かうつもりだ? 個人的には第一校舎がいいんだが……」


 高橋の肩に支えられる形でヨロヨロと移動をする。


「ふざけろ。ここから一番近い第四校舎か、第五校舎にしろよ」

「じゃあ、第四校舎の保健室で……あっ、金属バットを持ったままだった……まぁ、いっか」

「何が『まぁ、いっか』だ。ぜんぜんよくねぇよ。オレが持ち帰るパターンじゃねぇか」

「まぁ、まぁ。罪悪感を感じてるならそれぐらいの苦労、どうってことないだろ?」

「罪悪感と言っても多少だぞ。むしろお前の怪我の原因は自業自得に近いだろうが……ってか、ホントは平気なんじゃ「あー、痛い! あー、痛い! アソコが潰れたかもー!」うわっ!? 大根役者以下のクソ演技……!!」


 俺と高橋はグラウンドから一番近い第四校舎に向かう。

 そこはスポーツ科に所属する生徒達の学び舎であり、ハルモニア学園の正門から一番近い校舎でもある。それと看護科、国際科、芸術科に所属する生徒達の学び舎でもあるのだ。

 ちなみに普通科に所属する生徒の学び舎は第一校舎であり、第五まである校舎の中では一番古い建物である。また、第一校舎はハルモニア学園の敷地の中央にあり、第二校舎は北、第三校舎は東、第四校舎は南、第五校舎は西にあるのだ。第一は真ん中、第二から時計回りに北、東、南、西に四つの校舎あると言えば分かりやすいかも知れない。


「そう言えばアレは魔球だったのか? 野球部のエースの高橋さんよ」


 グラウンドから第四校舎に向かう道中、俺の腕を肩に背負いながら移動する高橋に声をかけた。


「オレが知るかよ。てか、投げたオレもびっくりしてる。あんな物理現象を起こすなんて世界がバグったとしか思えねぇっての」

「だよな。豪速球がピタリと停止するなんて物理現象、有り得なさすぎだろ」

「全くだ……が、有り得ないと言えば赤て――じゃなかった。赤城に聞きたいことあんだけど」

「うん? 俺に聞きたいことだと?」

「ああ。噂の真偽についてだ。お前と生徒会長が付き合ってると噂を聞いたんだが、そこのところどうなんだ? ぶっちゃけ付き合ってんの?」

「……誰がそんなこと言ってんだよ?」


 万年赤点で不名誉なあだ名『赤点』を持つ俺が、ハルモニア学園一の成績と美貌を持つ生徒会長と付き合うなんて事件、有り得ないにもほどがあるだろ。つーか、事実だったらクラスメイトの男子からなぶり殺しにされ――ああっ、だから殺気立っていたのか!?

 今朝から『死ね』とか、『殺すぞ』とか、物騒な言葉をよく聞くわけだ。


「誰が噂を流したのかは知らん。ただ生徒会長とお前が休日デートをしていた――っと、女子が騒いでいたぞ。それを聞いた一部の男子が『目玉をくりぬいてやる……!!』と不穏な空気を出していたな。ちなみに女子は『すれ違うタイミングに刺してやる!!』とカッターナイフを握り締めていたぞ」

「怖ッ……!? えっ、ま、まさか、お前も――」

「いやいや。オレは別に生徒会長が誰かと付き合おうが知ったことじゃないんで安心しろよ」

「(ホッ)」

「だから教えてくれ。マジで付き合ってんの?」

「んなわけあるか。たまたま漫画を買いに行ったらバッタリと顔を合わせただけだ。第一頭のいい生徒会長様が俺に惚れるなんて珍事件、非現実的過ぎるだろ――って、どうしたんだ? 急に立ち止まって……」


 俺は第四校舎の昇降口まで残り僅かといったところで足を止める高橋の様子に疑問を抱いた。

『何か用事でも思い出したのだろうか?』そう思った瞬間、昇降口から外に飛び出る生徒達の姿が目に入ってきた。それも俺達を避けながら南にある正門に目掛けて全力疾走する生徒達の姿である。


「どうしたんだ、コイツら? 血相を変えながら正門に向かって……。火事でもあったのか?」

「オレが知るかよ。とは言え何かあったのは確かなんだろうな。オレと赤城の様子を気にもせずに走り去るんだからさ」


 などと冷静に観察する俺と高橋。

 そんな俺達の元に一人の女子が近づいてくる。


「シュウ! アンタも正門に向かうつもりなの?」


 俺達の前にやってきた女子が、高橋の顔を見ながら声を出している。どうやら高橋の知り合いのようだ。長い髪を後ろに束ねた髪型、ポニーテールが良く似合う女子であり、スポーツが好きそうな女子に見えた。

 同時にハルモニア学園指定の夏服を着用する姿。半袖の白いワイシャツと、二本のラインが刺繍ししゅうされたネクタイと、紺色のプリーツスカートを着こなす女子である。

 ちなみにネクタイに刺繍されたラインの数は学年ごとに増えていく。つまり目の前にいる女子は俺と同じ二年生だ。


「正門に行くも何も、これは一体何事だ?」

「何事って、『アレ』を見てないの? アタシはてっきり『アレ』を見る為にここにいるのかと思ったんだけど」

「ちげーよ。コイツを保健室に連れて行く途中だからここにいる。見りゃ分かんだろ」

「保健室に……って、怪我でもしたの?」


 ポニーテールが良く似合う女子は、高橋に介抱されている俺の顔を覗いた。それと俺の手に持つ金属バットを見ながら、『何で金属バットを……』と口にする女子でもあった。


 結構美人だな。男女共にモテそうなイメージがある。特に同性から沢山のラブレターを貰いそうなタイプに見えるな。


「あー何だ。オレが投げたボールに当たってな。それもクリテカルヒットと呼ぶに相応しいダメージを負わせてしまったんだ」

「えっ? クリテカルヒットってどういう……あ、ああっ! そういう意味ね!」


 慌てて顔を逸らすポニーテールの女子。その顔は少し赤らめているように見えた。意外と純情のようである。


「それで『アレ』とは何のことだ? 現在進行形で生徒達が正門に向かっている理由とは何だ?」

「うーん……。何て説明したらいいんだろ……」


 俺達の前に立つポニーテールの女子は、『どうやって説明すればいいんだろう?』そんな困った表情を浮かべているようだ。


「……うん。口で説明するより実際に見た方が早いかな――っと、言うわけでアタシと一緒に正門に行こうよ」

「あー、行きたいのは山々なんだが……」


 未だに俺の腕を背負う高橋は、チラッと俺の顔を目にする。


「俺のことなら別に構わないぞ。ちょうど痛みは完全に引いた――わけではないけど、保健室に行くまでもないかな。つーか、俺も正門に行ってみたい」

「そうか。なら介抱はここまでだな」


 高橋は俺の腕を下ろしながら言った。


「アンタも正門に行くつもり?」

「もちろんだ。興味がめっちゃ湧いたしな」

「そっかー。だったらアタシと一緒に行こう! 当然シュウも一緒に!」


 そう言いながら俺と高橋の手首を掴むポニーテールの女子。そんな女子の行動ボディタッチに少々ドキリとしたのも束の間、物凄い力で引っ張られるのを覚えてくる。


「待て待て待て待て――って、滅茶苦茶強いんですけど!? 何だ、この怪力!! 男子二人を引きずるって、まるでゴリ「ストップだ、赤城!! これ以上言ったら死ぬぞ!!」」


 俺と一緒に引きずられる高橋は必死の形相を浮かべている。


「オレと赤城を引っ張っているあの女子――竜胆七海りんどうななみに、ゴから始まってラで終わる動物で呼ぶな! マジで殺されるぞ!! カンガルーと呼ばれるのは大好きみたいだがッ!!」

「いや、その情報は全くいらねぇから!? ってか、俺の手を放しやがれ!」


 俺の手首を掴む竜胆七海に抵抗する――が、一ミリも状況は改善できなかった。


「諦めた方がいいぞ。女子ボクシング部の部長を務める七海の力は異常だから」

「女子ボクシング部だと……!?」


 ウチの学園にそんな部活あるのか……いや、生徒数3000名を超える学園だからあってもおかしくないか。とは言えボクシング部自体は珍しいと思うけどな。特に『女子』ボクシング部は。


「ちなみに中学からボクシングをやっていてな。何度も優勝したことがある強者だ。間違ってもゴから始まってラで終わる動物で呼ぶなよ。マジで……100%マジで死ぬぞ。七海のストレートパンチはもはや凶器だからな」

「……(ごくり)」


 高橋の警告に思わずつばを飲み込む。

 女子とは言え優勝経験があるボクサーのストレートパンチを食らったIFを予想してしまったからだ。


「七海にボコられたくなかったら我慢しとけ。どうせ正門までの辛抱だから。それと色々とスマンな。ボールのこともそうだが、七海の暴走に巻き込まれて」


 俺と同じように引きずられる高橋は、心底申しわけないといった表情を浮かべているようだ。


「竜胆……だっけ? 竜胆の暴走に何で高橋が謝るんだ? ひょっとして彼氏彼女の関係だったりするのか? もしそうならグーで殴り殺してやる! それかこの金属バットで頭をかち割ってやるからな!」


 モテない男子の一人として、あるいは彼女がいない男子の一人として、美人な彼女を持つコイツを抹殺してくれる……!


「いや、彼女じゃねーし。オレの周囲から良く言われるけど、七海とオレは幼馴染の関係だけだ。小学生からの付き合いでな。いわゆる腐れ縁の仲って奴だ」

「ふーん……。もしかしてだけど、家が隣同士だったりするのか? そんで2階の自室の窓からお互いが出入りしていた、なんて言うんじゃねぇんだろうな?」


 漫画のラブコメみたいな設定を持っていたりして? もしそうならコイツは敵だ。竜胆のような美人と『キャッキャウフフ』の関係を構築しているとしたら、駅のホームで凄惨な事件が発生するかもしれん。モテない野郎の逆恨み、覚悟しろよ……。


「よく分かったな。つーか、その話をすると同じような質問してくんだよな。何でだろ?」


 フリでもなく『何故?』といった顔をする高橋。

 そんな高橋の様子を見た俺は、『本気で言ってんのか、お前……?』と思わずにいられなかった。それと同時に何か言いかけようと思った瞬間、『人だかりが邪魔ね……』と口を漏らす竜胆の言葉が聞こえてきた。


「そろそろ手を放してくれませんかねぇ、竜胆さん……。これ以上引きずったらジャージがボロボロになるんだけど弁償してくれんの?」

「えっ!? 引きずるって、何のこと――――って、またやってしまった……!?」


 驚きの表情のまま俺達の手首を手放す竜胆。


 気付いてなかったのかよ!?

 それと『また』ってどういう意味だ、このアマ!!


「やれやれ。やっと終わったか。七海の暴走は今に始まったことではないけど引きずられるのは久しぶりだな。三日前は階段から突き落とされたけどよ」


 泥だらけになったジャージを叩きながら立ち上がる高橋。


「階段から突き落とされたって、良く生きてたな……。竜胆の逆鱗にでも触れたのか?」


 俺も高橋と同様にジャージを叩きながら立ち上がった。


「違う違う! あの時は挨拶のつもりだったのよ! それがちょ~~っと、力の加減を間違えたの!」

「いやいや。階段の前でオレの背中を叩くのは有り得ねぇだろ。運よく着地できたから良かったものの、一歩間違えたらピーポーだったぞ。その時の反省は生かし切れていないようだな、七海」

「うぐっ……」


 竜胆はバツが悪そうな顔をしているようだ。


「何つーか、色々と苦労してんだな。嫉妬していた俺が恥ずかしいぜ」

「うん? 何で赤城が嫉妬すんだ? それより正門の外に向かうぞ。七海が言う『アレ』を確認する為に」


 そう言いながら正門がある方向を見定める高橋。俺と竜胆も高橋と同じ方向を目にする。

 そこにはハルモニア学園指定の制服を着用した生徒達と、俺と同じような青いジャージを着た生徒達が、隙間なく密集しているのが見えた。


「正門の外まで行くの無理じゃね?」


『密集する生徒達の海を泳ぐのは流石に嫌なんだけど』そんな顔を浮かべながら口に出した。

 すると得意気な顔をする竜胆の姿が俺の視界に入り込んでくる。


「ここはアタシにまかせろって!」

「『まかせろ』って、どうするつもりだ? 強引にでもかきわけながら進むのか?」

「そうだよー。ってかそれしかないっしょ。アタシが道を作るからシュウと一緒に……ってか、名前何だっけ? と言うよりアタシとアンタ、自己紹介したっけ?」

「いや、してないけど」

「だよねー。アタシは竜胆七海! スポーツ科の2-Aに所属しているわ。それと女子ボクシング部の部長を務めてるから、何か困ったことがあったらアタシを頼ってもいいよ! 呼び方は竜胆でも、七海でも、どっちでも構わないから! あっ、でも『さん』付けは止めてね! 他人行儀は嫌だから」


 竜胆は気持ちのいいぐらいのハキハキした口調で自己紹介をした。


「OKだ、竜胆。俺の方は赤城涼介、普通科の2-Bに所属してる。部活動は特にやってない。いわゆる帰宅部って奴だ。俺のことは呼び捨てで『赤城』と呼んでくれれば文句はないから」

「分かったわ、赤城! これからよろしくね!」

「ああ。こちらもよろしく」

「うん! じゃあアタシが道を開けるからシュウと一緒について来てね!!」


 俺と自己紹介を終えた竜胆は、やる気満々な笑みを見せながら生徒達の壁を左右にかき分ける。


「ごめんねー。通るよー」

「うおっ!? な、何だ――って、竜胆さん!?」

「ちょっと!? 何すんの――って、七海さん!?」

「おい! 無理矢理押すんな――って、竜胆先輩!?」


 強引にかき分ける竜胆の姿に驚きの表情を出す生徒達。

 そんな生徒達の様子に竜胆は、『ごめんねー』と笑顔で返しながらグイグイと生徒達の壁に亀裂を作ってゆく。

 それは迷惑極まりない行動をする竜胆の後ろ姿であるが、俺と高橋は特に何も言わずに竜胆の後を追う。


「通るよー。通るよー。あっ、久瑠海くるみちゃん! おはよー!」

「えっ……!? あっ、おはようございます!! 七海さん!!」

「ちょっとー。『さん』付けは止めてって言ったでしょー! その辺じっくりと話し合いたいけど、また後でね!」

「はい、また後で!」


 友人らしき女子と軽く話した竜胆はそのまま先を進める。俺と高橋も竜胆の後を追い続ける。


「どいてー。どいてー。「痛ッ……!?」あっ、ごめん! 足踏んじゃった! 大丈夫?」

「大丈夫、じゃねーよ! それとごめんで済んだら警察なんかいらな――って、何でこんなところにゴリラおんなぐぶあっ!!」


 頭が悪そうな男子が苦悶の声を上げながら宙を舞った。

 ゴから始まってラで終わる動物の名前を聞き取った女子ボクシング部の部長、竜胆七海のアッパーカットを食らったからだ。


「アッパーカットを食らった人間って、あそこまで打ち上がるんだな……」


 地面から4メートル以上まで打ち上がった憐れな男子を見ながら俺は言った。


「冷静に見ているところに悪いんだけど、あんな芸当ができる人間なんて七海だけだぞ。何時もより高く打ち上がったみたいだけど」

「そうなのか。それでゴから始まってラで終わる動物で呼んだ結果があのザマか?」

「そうだ。だからマジでゴリ……ごほん。ゴから始まってラで終わる動物で呼ぶんじゃねぇぞ。長生きしたかったらな」

「肝に銘じとく」


 俺は高橋の警告を素直に受け取ることにした。憐れな男子の二の舞を演じるのは絶対に嫌だからだ。

 そしてしばらく俺と高橋は竜胆の背中を見ながら追い続けていると、密集した生徒達から目的の場所――正門の外に出てこれたのである。


「やっと着いたか。それで生徒達がここに集まった理由はぁぁぁぁッッ!?」


 ハルモニア学園の正門の外に出た俺は、『驚愕』の言葉に相応しい表情を浮かべてしまった。

 正門の外から見えるはずの光景――自家用車などが走るアスファルトの道路や、ハルモニア学園から最寄り駅までの銀杏いちょうの並木道や、窓ガラスが眩しいタワーマンションなどの建築物が、残骸どころか痕跡すら見かけなかったからだ。

 代わりに木々の若葉みたいな瑞々しい緑の雑草が広がっており、武骨な岩石が至るところに転がっている。

 それと100~200メートル先には鬱蒼とした森林が広がっており、雲一つない青空には二つの巨大な月がうっすらと浮かんでいた。

 どこからどう見ても異常な光景だ。

 何故なら生徒数3000名を超えるハルモニア学園は、東京都内にある教育機関の一つであり、人の手で作られた人工物に囲まれた場所にあるからだ。

 にもかかわらず雑草と森林が見える光景は、白昼夢でも見ているのではないのだろうかと思える程のイレギュラーな光景である。

 また、青空に浮かぶ二つの月が見える風景は、ゲームやアニメの世界そのものに見えた。


「な、な、な、な……」

「どうしたんだ、赤城? 変な声を出してぇぇぇぇッッ!?」


 高橋は俺と同じような表情『驚嘆』と言った顔に塗り替わった。

 俺と同じくハルモニア学園の正門の外に広がる風景を目の当たりにしたからだ。

 そんな俺と高橋はハルモニア学園の敷地外に広がる異世界――100~200メートル先まで広がる緑鮮やかな雑草と、未知なる存在『モンスター』が潜んでいそうな森林や、ファンタジー小説に出てきそうな二つの月に対し、


「「なんじゃこりゃああああぁぁぁぁ……!?」」


 魂の叫び声を上げずにいられなかった。

 そしてそれは異世界に漂流したハルモニア学園の生徒達全員の気持ちであり、前代未聞の物語の始まりを告げる言葉でもあった。

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