第7話 この馬鹿たれが!

  祐二さんの祖母は若い頃から剣道を続けていたという。毎日庭へ出て素振りをする。祐二さんは素振りの姿をみて、かっこいいと思っていた。


 小学校へ入ったころ、祐二さんも剣道を始めた。毎日祖母と一緒に並んで素振りをしていた。 

 白髪で一見するとどこにでもいる「おばあさん」だが、背筋はぴん、と伸びていてよく見ると目力も強い。歩く姿もきびきびとしていた。

 そんな祖母は祐二さんのあこがれだった。


 祖母はしつけにも厳しかった。

 祐二さんはとてもやんちゃな子供だったそうだ。一つ年上の友人、聡とよくいたずらをしていた。家のベランダを伝って近所の家々の屋根の上に昇り、忍者ごっこをするなどなど。苦情が出て母が謝るたびに、祖母は

「この馬鹿たれが!」

 と言っていつも手近に置いてある孫の手で祐二さんの尻を叩いた。それにも懲りず、祐二さんはいたずらが好きだった。

 そしてなにより、祖母の隣で竹刀を振るうことが好きだった。


 祐二さんが小学校6年生のとき、祖母が亡くなった。階段から転落し、足を骨折。そのまま少しずつ弱っていき、最期は肺炎に罹った。

 あんなに強かった祖母が少しずつ弱っていくのが見ていて辛く、お見舞いに行くのを渋った。


 そのうち、そのうち、と思っている間に容態が急変した。危篤状態との報を受け、祐二さんが病院に行って見たのは、意識もはっきりとはせず、酸素マスクの下であえぐように呼吸をする祖母の姿だった。

 それから数時間後、祖母は亡くなった。

 祐二さんは泣いた。強かった祖母が弱りきって亡くなった姿、大好きだった祖母のお見舞いに余り行かなかったこと、なによりもう二度と並んで竹刀を振るうことがないこと、それがなにより辛かったと今でもその日の胸の痛みを思い出すそうだ。

 

 気がつけば素振りも道場に通うことも止めていた。

 祖母がやりたかったであろうことを自分が引き継ぐ、そういった発想はその頃の祐二さんにはなく、竹刀を見ると祖母を思い出して悲しくなるだけだった。


 そのまま祐二さんは中学に上がった。

 入学式を終え、自分のクラスへ行こうとする祐二さんの方をだれかが叩いた。

 振り返ると髪を赤く染めた少年がいた。誰だろう、と困惑する祐二さんにその少年が言った。 

「聡だよ、忘れたか?」

 聡が中学に入ってからすっかり疎遠になっていたのと、姿が変わっていたことですぐには気づかなかった。

「忘れてないですよ、覚えてます」

 そういう祐二さんに聡は笑って答えた。

「敬語なんていらねえよ。それより学校が終わったらさ、遊びに行こうぜ」

「寄り道してもいいの?」

「いいっていいって。先輩とかも紹介するからさ。行こうぜ」

 誘われるままに「先輩」たちと会った。彼らはいわゆる「不良少年」というやつだった。少しずつ引き込まれていき、2年生になるころには祐二さんの髪も赤くなっていたという。

 両親がとがめなかったわけではない。そんな両親の声を「うるせえ」の一言で片付けていたそうだ。


 ある日、高校生の先輩に誘われてバイクに乗った。バイクと言ってもスクーターというやつだ。数が足りないので2人乗りする。

 祐二さんは運転方法を簡単に教わってハンドルを握った。もちろん無免許だ。

 

 夜の街を疾走する。爽快な気分だった。

 先を走る先輩が一旦バイクを止めて「ここを走ろう」と指で指示した。アーケードだ。もちろんバイクはおろか自転車の通行も禁止されている。そこを速度を上げて走り抜けることにしたのだ。


――きゃああ!!!


 アーケードを歩く人たちから悲鳴が上がった。大人たちを混乱させている自分がなにか優位に立った気がして気分がよかった。

 慌てて道をあける人々を眺める祐二さんの視界に一人の老女が映った。両手に荷物を抱えた彼女は慌てて道をあけようとして転んでいた。

 

 アーケードを抜けて一般道へはいる。更に加速しようとしたとき、祐二さんの尻に痛みが走った。


--この馬鹿たれが!


 懐かしい声が耳元で聞こえた瞬間、祐二さんのバイクは電信柱にぶつかった。祐二さんと後ろに乗っていた友人が道路に投げ出される。先を走っていた先輩たちが慌てて戻ってきた。左腕を骨折したのだろうか、痛くて痛くて仕方ない。

 やがて救急車が来て、祐二さんたちは運ばれていった。


 幸い頭は打っておらず、左腕の骨折だけで済んでいた。念のため、と一泊入院した次の朝、警察官が祐二さんの部屋にきた。昨日の事情聴集のためだ。

「君、アーケードをバイクで走ってなかった?そういう通報があったんだけど」

「……はい」

「で、出たところで電信柱にぶつかった、ってことで間違いない?」

「そうです」

 祐二さんは努めて素直に答えた。昨日の祖母の声がまだ耳に残っていたからだ。

「……あの」

 祐二さんは恐る恐る警察官に尋ねた。

「アーケードの中で転んだおばあさんがいたかもしれないんですけど……」

「うん、腕を骨折して別の病院に入院してるね」

「謝りたいんですけど……どこの病院ですか」

「それについては君のご両親に伝えるから」


 他にも数点質問した後、警察官は部屋を出て行った。

 15分ほどして両親が部屋に入ってきた。

「先生に聞いたらもう退院してもいいって。怪我させた人の病院も聞いたから謝りにいきましょう」

 母にそういわれ、服を調えて病院を後にした。

 帰りの車の中では父も母も無言だった。


「あの、ドラッグストア寄ってくれないかな」

「どうして?」

「髪、黒くして謝りにいきたい」

「……そうね」

「……ばあちゃんに怒られた」

「どういうこと?」

「電信柱にぶつかる前『この馬鹿たれが!』って聞こえたんだ」

「母さん、祐二のこと心配してたんだろうな」

 ハンドルを握る父がそう言った。


 翌日、髪を黒くした祐二さんは怪我をさせた女性のところに謝罪にいった。

 どことなく祖母に似た女性だった。謝っていると泣けてきて、涙をぼろぼろとこぼしながら何度も頭を下げた。

「もう二度とこんなことしちゃ駄目だからね」

 女性はそう言って、祐二さんの頭を撫でてくれたとのこと。


 それから祐二さんは長く止めていた剣道の道場通いを再開した。成績も下位まで落ちていたが、まじめに取り組んだ。


 そんな祐二さんは、今、大学受験のため勉学に励んでいるという。

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