2.城塞都市ベルラ

悪徳と享楽の園①

「あれが『悪徳と享楽の園』城塞都市ベルラか」


 緩やかな丘陵の頂部から、カルロフは眼下の光景を見渡した。


 北方に広がるアデール海。

 そこに流れ込むロドル川は河口直前で巨大な岩塊により流れを二つに分かつ。

 城塞都市ベルラは岩塊とその下流側に形成された砂州の上に造られた都市だ。

 砂州は長い年月をかけて基礎が固められ、城壁に囲まれた都市へと変貌した。

 岩塊の上には大公の城が築かれ、遠目からもわかる威容を誇っている。


 ベルラは長年に渡り大公ブルト家が統治してきた。

 海上交易の権益に握り、その威光が周辺諸国からも一目置かれた存在だったベルラに転機が訪れたのは十年ほど前のことだ。

 先の大公の死により跡を継いだ現大公レトリックは、ある日奇妙な触れを出した。

 ベルラに古書に記された悪名高い淫蕩王が支配した「悪徳と享楽の園」を復活させると宣言したのだ。

 欲と力のあるものは貴賎を問わず受け入れるという言葉に引き寄せられ、ベルラには得体の知れない者達が大挙した。

 抗争、裏切り、堕落の誘惑が蔓延り、一時はベルラの崩壊が危惧されたが実際には杞憂に終わった。

 それは大公レトリックが莫大な財を投じて招聘した大魔道師が復活させた、ベルラを覆う太古の結界魔法のためである。

 結界内では、大公が定める「法」を冒したものは強大な呪詛により処罰される。

 しかし、それさえ遵守するならば何をしても咎はない。

 こうしてある一定の秩序の下に「悪徳と享楽の園」は根付き、発展していった。

 今では悪漢に止まらず、物見遊山を目当てに他国の貴族や裕福な商人なども数多く訪れるようになり、莫大な金を落としていく。

 大公レトリックの大望はついに成就したのである。



「エラ、もうしばらく歩くが足は痛くないか?」

 カルロフの傍らに立つエラが小さく頷く。

「そうか、ならば行こう。南中までは着くだろう」

 二人は再びベルラに向けて歩き出した。


 昨夜、森の中で弔いの儀式を終えたカルロフはエラを連れて脇街道を先に進んだ。

 森を抜けて最初にたどり着いた小さな村で、村長むらおさに森に残してきた二人組の賊の回収と役人への通報を依頼し、自らはある農家の納屋を借り一夜の宿とした。

 エラにはいくつかの事柄を訊ねてみたものの、自分の出自や旅をしていた目的については決して答えようとはしなかった。

 夜が明け、カルロフが旅の目的地がベルラであることを告げると、エラは素直に同行を承諾した。

 それから数時間の道のりを歩き、今、二人の目の前にはベルラの長大な城壁が迫りつつあった。


 ベルラは二つの川と海を天然の濠とした難攻不落の城塞都市だ。

 かつて幾度か他国の軍から包囲を受けたことがあったが、大陸の他地域と交易する港を有するベルラは船を使って物質を運び入れ、それらの船は金で雇った海賊に警護させた。

 結局は包囲した側が長陣を支えられなくなり撤退することになった。

 ベルラが「悪徳と享楽の園」を宣言した後も、好機とみた隣国が一度だけ戦を仕掛けたことがあったが、結界魔法は投石器も破城鎚も受けつけず何も出来ないまま再び撤退したという。


 ベルラに近づくにつれて、街道沿いには建物が並び人の往来が目に見えて増えてきた。

「ここが話に聞く『外街そとまち』というものか。エラ、我を掴んで側を離れぬようにな」

 カルロフの言葉に頷き、エラがカルロフの外套の端を握る。

「外街」は、ベルラの東の城門前に広がる集落の通称だ。

 ベルラには様々な欲を抱えた者が大挙して訪れる。しかし、広大な城塞都市といえど際限なく人を受け入れることは出来ない。

 そこで、ベルラに入城するにはいくつかの例外を除いて制限がかけられるようになった。

 順番を待つあぶれた者達はベルラの外に住み着くようになり、自然発生的に集落が出来た。

 さらにそこで商売をする者や宿を営む者が現れ、ひとつの街の様相を呈するようになったその場所を、いつの頃から人々は「外街」と呼ぶようになった。

 しかし外街はあくまでベルラの結界の外にあり、大公の「法」は及ばない場所である。

 その意味では、ベルラの中よりも無秩序で危険の多い場所とも言えた。


「今の我等には長居は不要な場所だ。先を急ぐぞ」


 カルロフ達は足早に通りを抜けると、東の城門へ通じる橋梁の袂に位置するベルラ兵の駐屯所へと辿り着いた。

 カルロフが上官と思われる兵に対してにこやかに声をかける。


「兵士様に祝福を。お初にお目にかかります。私は「緋の教会」オルレア教区司祭付き導師代行のカルロフと申します。本日は教区長の命により、ベルラ教会における活動支援に参りました。どうぞ入城のお許しを賜りたく存じます」

 兵はカルロフの全身を一瞥すると、極めて事務的な口調で応える。

「教区長発の依頼状はお持ちか」

「はい、こちらに」

 カルロフが懐から丸めた羊皮紙を取り出して広げてみせた。

 兵は文面に一通り目を通すとカルロフに向き直る。

「その薄汚れた子供の事は書かれていないようだが?」

「ああ、これは失礼を。この子供は我が弟子のと申します。修道女となる試練のため山中で瞑想を行う十日行を行っておりましたゆえ、このような身なりで申し訳ございません。その書が書かれた時にはまだ正式には弟子とはなっていなかったのでございます。ほら、。兵士様にご挨拶をするのです」

 カルロフがさり気なくエラの背中をつつく。

 エラは一瞬カルロフを見た後、胸の前で指を組み心持ち屈んだ姿勢をとった。

「兵士様に祝福を。エルザと申します。我が女神への献身のため入城をお許しください」

 兵士は得心したように頷いた。

「うむ、その『緋の教会』の所作と口上、流れるようで真に身についていることがわかる。宜しい、ここで待たれよ。書官に確認を取ってこよう」

「ご厚情感謝いたします」

 兵を見送ったカルロフを、エラが怪訝そうな表情で睨んでいる。

「まぁそう怒るな。思った以上に良い出来だったぞ」

「私を試したの?」

「きっとエラなら上手くやると思ってな。エラの親御どのはかなり我が教会への帰依が深いようだ」

「……」

「許せ許せ。さぁ、むくれた顔をするでない。兵士殿が戻ってこられるぞ」

 戻ってきた兵が二人に小さな護符を手渡した。

「二人の入城は認められた。その護符は肌身離さず持つように。紛失した場合は入城は取り消されるゆえ」

「確かに拝領いたします。さあ、参ろうか。兵士様に祝福を」

「兵士様に祝福を」


 カルロフとエラは駐屯所の前を抜け、東城門へ至る長い石橋へと足を踏み入れた。

 潮の匂いが混ざる風に吹かれながら二人は歩を進める。


「――言の葉で人をたばかることなかれ」

 歩きながらエラが呟いた。

「ん?」

「女神様の教えのはず」

「ああ、先ほどのことを言っておるのか。我等が女神様はこうも言われておるぞ。『人を救うは謀りにあらず。智を持って言の葉を用いよ』とな。つまりは臨機応変にせよ、ということさ」

「どうしてあんな嘘を」

「気づいていなかったか。我等を遠巻きにする目つきの悪い者共を」

「えっ?」

「外街には、ベルラに入城出来るその懐の護符を喉から手がでるほど欲する者共で溢れておる。あれらの中には、ベルラの内側と繋がっている者もおるかもしれん。もし、そのような連中に『エラという小娘が中に入った』という報が届いたらどうなる?」

 カルロフがニヤリと笑った。

「あ……」

「そういうことだ。これから向かうベルラという街は、そういう所なのだ」

「わかった、僧侶様」

「これこれ、仮にも我はお前の師であるぞ。カルロフ導師と呼びなさい。そして言の葉は優雅に、美しくな」

「わかりました。……カルロフ導師」

 不服そうなエラをよそに、カルロフは上機嫌だった。

「ふむ、弟子をとるというのも存外悪くないものだな。知りたいことは何でも聞くがよい。ただ、我を規範とする必要はないぞ」

「どういうことですか? カルロフ導師」

「うむ、我は破戒の常習なので、な」

 カルロフが野太い声で笑った。


「悪徳と享楽の園」への入り口となる東の城門は、その巨大な木戸を津造作に開け放っているように見えた。


「さて、参ろうか」


 カルロフが足を踏み出す。

 エラが付き従うように早足でそれに続いた。

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