第7話 中正寺の枝垂れ桜

中正寺のしだれ 平成十年四月二十二日


平成十年の春、染井吉野などの桜が終わり、八重桜や山桜の咲く頃になって


地図を見ていた私は秩父の山の方に目が行った。


二九九号線をまっすぐ走り群馬県か長野県にさしかかる所に上野村という所がある。


坂本九の乗っていた飛行機が墜落した場所といったほうが


わかりやすいかもしれない。


その場所に「中正寺の枝垂桜」と赤く書かれた文字を発見した。


花のガイドブックには載っていなかった。


でも、わざわざ一般の地図に載っているぐらいなのだから有名なのかもしれない。


あるいは、昔は有名だったが今は朽ち果てているのでガイドブックに載っていないのかも知れない。


確かめに行ってみたくなった。


秩父市から山越えの道、二九九号線の志賀坂峠あたりの桜や


七一号線で万場町へ向かう土坂峠の桜は麓より一、二週間遅くに咲くから、


もし中正寺のしだれ桜が見られなくても、どちらかの桜が見られるだろう。


それで十分満足は出来る。


行って見なくては気がすまない私の気性。


行くだけ行ってみよう。


咲き終わっていたとしても樹の感じを見られれば良い。


良い感じだったらまだ行けば良い。


というわけで出かけてみることにした。


志賀坂峠を通るコースを選んだのであったが残念ながら山桜は終わり気味であった。


その代わりに八重桜が丁度見ごろで咲いていたし、


芝桜や山吹の花も咲いていて春を満喫するには良いドライブコースである。


この分では中正寺の桜は期待できそうも無い。


と思ったが樹の形だけでも確かめたい。


桜はすぐにわかった。


おそらく廃寺なのか、あるいは何かの行事に使うときだけ寺として活躍するのか


住職もいない寺があった。


車が二、三台入る程度の境内がある。


人はいない。


桜を愛でる人もいない。


桜は終わり気味ではあったがまだ、十分に見られる。


車を止め、早速スケッチブックを取り出す。


樹は輝いている。


廃寺の守り神のように咲いていた。


見上げると大きな樹が空一杯に枝を広げている。


樹の根元から下に降りる階段があり、村へと通じている。


急な階段である。


多分、下まで降りて見上げたら、もっと迫力があるだろう。


何百年経っているかわからないが長い年月、この高台から集落を眺めて来たであろう。


人々の営みを、喜びを悲しみを眺めてきたであろう。


長い年月の風雪に耐え生き延びてきたこの中正寺のしだれ桜に


私は感謝状をささげたくなった。


見守ってくれる桜。


私の人生も見守ってくれるだろうか。


作業着を着た中年の男二人が車を止め、降りてきた。


聞くと毎年、仕事の合間にこの桜を眺めに来るのだという。


忘れられているわけではなかった。


ちゃんと地元の人に愛されている桜だった事に私は満足した。


カメラマンも、桜を見ないで騒々しくおしゃべりばかりしている


おばさん族もいない桜の名所。


気に入った。とっても。


また来年も会いに来ようと決心した。


私はこの決心を忘れないで次の年、平成十一年四月十三日、


去年よりも早めに秩父の清雲寺の桜を見てから中正寺の枝垂桜まで足を伸ばした。


ところがこの年は桜の開花が少し遅れたのか志賀坂峠の桜はまだ固い蕾であった。


中正寺の桜は二、三分咲きというところだった。


桜の開花は思うように行かない。


これもまた仕方ないと受け入れなくては桜は見られない。


二九九号線の中正寺へ降りる道の一歩手前に桜の花が見えたので、そちらへ回って見る。


吉祥寺という名の枝垂桜は満開であった。


山にある桜は、街の中の一角にある桜と違い美しい。


楚々としている。


枝垂桜の樹があるというだけでここに住み着いてもいいような気がしてくるから不思議だ。


春になるのを楽しみに待つというだけで一年が過ごせそうである。









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