承前 新賀甫沖海戦


1680年(明紀四年)、豊臣幕府第五代将軍は発豊臣秀治は西討令を発布。

軍艦奉行前田治雅に親征艦隊の創建を命じる。


大小合わせておよそ五百隻、近代的な戦列艦を含む親征艦隊は、マラッカ海峡に進出した。


ポルトガル艦隊を撃破してシンガポールを占領した。


ポルトガルは日本艦隊に敗北したことに衝撃を受け、新たな艦隊の派遣を計画したが、補給の困難さから断念したとされる。


幕府は後に同地を新賀甫しんがほと改名。


以降島津治久はるひさに命じて新賀甫城を建設し、東南亜細亜支配の拠点として整備していく…


――山河書房出版「歴史用語辞典」より引用


#100文字の架空戦記

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