第6話 天使よ笑え、それを頼りに楽園へ

 大きな音を立てて鳥羽ちゃんはパイプ椅子と共に倒れた。

 でもなぜか周りにいる生徒や塾講師は何の反応もない。

「大丈夫!?」という僕の焦った尋ねも、社員にビックリされるほどだ。

 何が起きているのか。文字にすれば案外、これが簡単なんだ。


 周りの人の記憶と認知から、鳥羽未来という存在が消失した。

 そしてその原因なのか、鳥羽ちゃんはお金持ちと人形マニアしか持っていないレベルの高級人形へと変わっていた。


 本当に、鳥羽ちゃんは意識を失ったのではなく、人間としてのアイデンティティを失ったのだ。

 AIがいかに賢く、人間と同じように思考しようとも、しばらくは人間として扱われないだろう。

 でも今の彼女は、人間のように話すことすら不可能となったのだ。

 もはや大掛かりなイタズラ、ドッキリだと思いたい。たとえ僕が平々凡々な一般人で、ひどく悪趣味なテレビ番組であったとしても、リアルなのはそういった推論の方で、目の前の異様な光景ではない。


「ちょっとすみません!」

 僕は初めてバイトをバックレした。でも生徒の塾講師など、教室に居ても仕方がないので、どうぞ許してもらいたい。

 お姫様だっこのかいもなく、見つめ返してくるのは鳥羽ちゃんとほぼ同じ容姿の人形。中身は何なのか知らないが、不思議とそれなりに重たさはあった。

 ただし、瞳は以前の彼女と違って、サファイアのような緑色。

 だから僕は瞬時に、人形であると認識したのだろう。


 <これでようやく貴様も愛を知る者になった>


 またあの声だ。

 夢を見ているのではなくて、きっとマッドサイエンティストによる催眠実験に違いない。

 イヤな声。まるで全てお見通しと言わんばかりの声。

 この怒りは図星であることの証拠だとでも?

「ふざけんなよ」

 僕は死体愛好者なんかじゃない。


 <そう、貴様は死体愛好者ネクロフィリアなのではない。もしそうなら、君はとっくの昔に少女を殺しているか、もしくはさっきのように人形ではなく死体へと変化していただろう>


「は?」

 会話になってる?精神分裂か?だから僕は意味の分からない行動に?


 <では一つ教えておこう。その現実は分かるか否かを問わず、貴様の望んだ結果だ。つまるところ、貴様はネクロフィリアではなく、博物学者気取りの人形偏愛家ピグマリオン・コンプレックスなのだよ。これで君らは深い愛へとようやくいざなわれるのだ>


 あぁ尋ねたくない、問いたくない。


 <ちんは貴様であり、貴様は朕たりうるのだ。だがその圧倒的な差は、望みを現実にできるか、その一点で貴様は私の劣等種として生息することになったのだよ>


「やっぱり僕は二重人格に」


 <自惚れるな。朕が貴様の一部などと。朕こそまさに貴様の記憶の中の最も強い者として脳波を飛び交う存在。貴様らの言語では【マジェスティ】と呼ぶそうだね>


 の名をソイツは語った。

 幻聴に次ぐ幻聴の末、自滅のアルゴリズムを起動させた僕は一体、人形に見える鳥羽ちゃんを抱えてどこに向かってるのか。

 それは、夕日よりも高く、そして近い場所へと、走っている。


 <来い若人。『童蒙、我に求む』の実践こそ、儀式の始まりにして、この戦艦『蒙求』の鍵であるのだから>


 真に僕は勇敢であった。楽観主義ではなくヒロイズムを背負って僕は幼き少女のために地球の敵と一戦交えようというのだから。

 美しく散れ。恥の文化はいつの世も、貴賤が無くなった現代であっても、従順にDNAに刻み込まれているのだろうか。

 あぁ、戦艦が高度を下げている。

 なぜ僕なんだ。宣戦布告したのは国連だろう。

 制限戦争を奨励するつもりはさらさらないが、なぜ他でもなく僕がこんな目に遭わなくてはならないんだ!

 …………僕が望んだことって言ってたな。

 ミリタリーファンが戦争に出る必要が出た時も、案外こういう思いに陥るのかもしれない。

 趣味と信条が別のモノであるならば、趣味などという形で自我を誇るのはなんて虚しいことだろう。


 UFOのように光線によって戦艦に引き上げられるのではなく、敵にしては危険ながらスロープを降ろしてきた。我ながら運命に従順だよ、僕は。

 警官隊がぞろぞろと現れていたが、僕が邪魔になって発砲や侵入はできなかった。きっと『売奴』などと報道され、ネットでは妙な文言が飛び交ってるに違いない。ついに人類史に名前が残ってしまったな。


 <ようこそ、愚かにも敵となりし、同じ趣味を持つ者よ>

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