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「え、100馬力アップ?」


 飛実団の整備ショップ。整備士の水上一曹は、思わず大声をあげてしまう。


「ええ」小室少佐がうなずく。「自分の計算では、両舷のエンジン出力をそれぞれ100馬力ずつ上げれば、最高速度が毎時700キロを超える、と考えられます。少なくとも我々の時代では日本記録間違いなしです。この時代の良質なガソリンを使えば、それだけで馬力も上がるでしょうが、おそらく100馬力までは難しいのではないかと……何か、いい方法はないでしょうか?」


「……」


 腕組みをしたまま、水上一曹は難しい顔で黙り込む。


 確かにガソリンの質を上げれば馬力も上がるが、さすがに100馬力まではなかなか難しい。とはいえ、新司偵のエンジン、三菱ハ112のマニュアルがメーカーに残っているとも思えない。分解してメカニカルチューンをするのも無理だろう。


「……やはり、難しいですか?」


 悲しげな小室少佐の顔を見てしまうと、水上一曹の心も痛んだ。彼は直感する。この人は三度の飯より操縦桿を握っているのが好きなタイプだ。そういう目をしている。


「わかりました。何とかやってみましょう」


 とうとう、彼はうなずいてしまった。


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 三日後。


 新司偵は岐阜基地の滑走路ランウェイ10より、軽やかに離陸していった。


 その姿を、目の下にクマを作った水上一曹が、敬礼で見送る。


 "いやぁ、素晴らしい!"


 昨日、テスト飛行を終えて帰ってきた小室少佐の上機嫌な声を、彼は思い出す。どうやら少佐の期待には十分応えられたようだ。


 彼が行った改良チューニングの最も大きな部分は、点火時期の調整だった。ハイオクタンのガソリンならば、点火時期を若干早めた方がエンジンの出力が上がるのだ。もちろんオイルは部分合成油に交換し、プラグとインジェクターは清掃。そして彼は、排気タービン……ターボチャージャーを分解し、ローターとインペラのバランス取りを行った。戦時中の日本でターボチャージャーを搭載した機体は非常に珍しく、彼はメカニックとして純粋に興味があったのだ。


 "しかし……まさか、今でいうシーケンシャルツインターボだったとは……しかも、インペラの工作精度もかなり良かった。当時はいい工具もなかっただろうに、まさに職人技だな……"


 日本のモノづくりへの信頼が失われつつある昨今、百年近く前の先人が果たした偉業を目の当たりにした水上一曹は、叱咤を受けたような気分だった。


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