第26話 ひとごろし

 ノエルとヴェラは、数日前にも利用した料理店にいた。今日の訓練を終えてローザと別れた後、ヴェラが強引に連れてきたのだ。先日より少しだけ変えた内容の注文をすると、ヴェラは前回と同じ配置でノエルを座らせ、その隣に自分も腰かけた。以前にも使ったノエルを逃がさない為の座席配置である。


「えーと、ヴェラ? これはいったいどういう……」


「そのへったくそな演技でウチを騙せると、本気で思てんの?」


 事情の説明を求めようとしたノエルに対し、ヴェラの尋問は初手から容赦がなかった。両手でノエルの襟首を掴み、額をぶつけて言い募る。


「今日の潜水作業サルベージが終わってからこっち、ずーっと顔色が白いねん。おまけに表情が動かへんし。それで気付かんほど浅い仲とちゃうわ」


「……やっぱり、ヴェラには敵わない」


 ヴェラの肩に手を置き、あっさりとはぐらかすのを諦めたノエル。元々誤魔化し切れるとも、誤魔化していいとも思ってはいなかった。ただヴェラに話すための、心の準備ができていなかっただけだ。


 ノエルが降参したのを見届けると、ヴェラは軽く唇を合わせてから耳元で囁く。


「これでちっとは口の滑りもようなったやろ。時間がかかってもええし、話せる範囲だけでええから、何を考えてんのか聞かせてえな。独りで悩まれたら泣きそうなるわ」


「全部話すから……泣かないで欲しい」


 掠れる声で呟いたノエルは、ヴェラの身体を軽く抱きしめながら己の過去を吐き出し始める。それはまさしく懺悔だった。




 ノエルがヴェラに語ったのは、主に監視兵中隊センティネルに所属していた時期の話だ。前提としての生い立ちも一通り話したが、今回の件とはさほど関係がないので深くは触れていない。


 監視兵中隊の任務というのは、簡単に言えば魔術至上主義を信奉する魔術師の処断だ。彼らは錬金術が隆盛してくるより以前の、太古の王朝を再現するべく暗躍している。この思想は帝国の支配と相容れないため、帝国政府により厳しく取り締まられているのだ。


 太古の昔、大陸が海嘯によって沈没し始めるよりもずっと前の時代。人間が魔術という力を発見してから、人間を統べるのは力を持つ魔術師だった。人々は恐ろしい魔物の脅威からの守護を王たる魔術師に求め、魔術師は民を守るためにより強い力を求めたのだ。だが時代が降り社会が成熟してくると、個人の武力に頼った統治では限界がきてしまった。


 魔術師は民を守るため、己の権勢を維持するためにより強い魔術を身につけようと躍起になって修行を重ねる。当然ながらより良い統治のための勉学や、人と人の間を円滑に繋ぐ社交を行っている時間などない。いつ誰に玉座から蹴り落とされるかわからないからだ。結果として力に頼ることしか知らない暴君が何代も続いた。


 繰り返される暴虐と謀略。安定しない治世に民は倦み疲れ、国土は荒れていく。その頃に勃興した錬金術によって、魔術の素養が無くても多様な力を発揮できる道具の数々が開発されたこともあり、魔術師を王として戴く統治は徐々に廃れていったのである。錬金術が全盛を迎え、魔術が凋落した時代は1000年の長きに渡り続いた。


 だが皮肉なことに、隆盛を極めた錬金術によって大陸が3度もの大災害に見舞われる。これにより、魔術と魔術師の地位は相対的に復活した。また帝国が残された大陸を統一してから400年以上経過しており、社会の硬直性、特に身分差の絶対性に不満を持つ者が多くなってきたのだ。


 生まれによっておおよその人生が決まってしまう今の帝国において、魔力に目覚め魔術師となることは平民が夢見ることのできる唯一に近い成り上がりの道になった。現に魔導貴族筆頭であるメイジャー侯爵家現当主の父は、平民というより貧民の出身だ。彼はその魔術の才能と打ち立てた功績によって侯爵家の婿養子となりおおせた。魔術師は帝国における立身出世の象徴となっているのである。


 だが同時に、彼ら魔術師は徹底して権力の座から排除されていた。太古の過ちを繰り返させないよう、例え位人臣を極めても、魔術師は支配者にはなれないとされたのだ。魔術師が領地を賜ることはなく、帝室や公爵家に迎えられることもない。


 本来ならばそれは当たり前のことだ。魔術の素養を持たない平民であれば成り上がりの機会さえ与えられないのだから。だが魔術の力は己を錯覚させやすい。初めて魔術を使った者は、ほぼ例外なく全能感を感じるという。そのため力で支配者の地位を得ようとする者や、大陸は魔術師によって統治されるべきなどという思想を持つ者がどうしても出てしまうのである。


 そういった魔術師を見つけ出して対処するのが近衛師団特務連隊

の任務であり、最終的な処分を担当するのが第一大隊第一中隊、通称監視兵中隊の任務だ。ノエルはそこに所属する魔術師専門の殺し屋だったのである。


「父の指示で配属されてから、死にたくなくて必死に任務をこなしました。……たくさん、本当に沢山の人を殺したんです」


 魔術至上主義者の中でも過激な者は、戦いにおいて手段を選ばない。自らの魔術を高めるだけでなく、身の回りに囮となる人間を置いて攪乱したり、無力な一般人を装う者もいた。しかも彼らは発声さえできれば人を殺せるのである。そんな魔術師を相手に生き延びるには、目につく者を喋る暇も与えず皆殺しにするしかない。


「女性はもちろん、老人、子供、全て殺しました。何かを喋ろうとする人から優先して殺しました。きっとただ居合わせただけの人や、命乞いをしようとしていた人もいたでしょう。けど、全部殺しました」


 監視兵中隊の損耗率が高い理由もここにある。呪文一つで建物ごと吹き飛ばしにかかってくる化け物との殺し合い。事前の情報にない魔術師が一人でも混ざっていれば、その一人によって部隊が全滅することもあり得る。そしていざ引き金を引こうとしたら、それが死にたくないと泣き叫ぶ幼子であることもあるのだ。その結果身体が吹き飛ぶ者もいれば心が砕ける者もいる。だからこそ監視兵中隊は他部隊の3倍の俸給を支払われているのだ。


「殺したくて殺した人は一人もいません。けど、彼らを殺したのは間違いなく僕です」


 初任務で制圧対象を蹴り殺し『魔術師潰しメイジマッシャー』の異名を与えられたノエルではあるが、それは自身が銃に不慣れだと自覚していたが故の苦肉の策だった。銃の扱いに熟練してからは、当然のことながら銃を主軸にして戦っている。だからこそ、銃を目にしたことで己の罪を思い出したのだ。


「ヴェラと一緒にいることが楽しくて、すっかり忘れてました。僕は……人殺しだ」


 溜息をつくようにノエルの零した呟きが、ヴェラの肩へ重くのしかかる。なんと答えるべきなのか、ヴェラには判断がつかなかった。

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