第8話 たくらむ
レアード海運の代表であり、中型船舶『永遠の団結号』の船長を務めるフランシスは、船内にある船長室で満面の笑みを浮かべながら仕事をしていた。
「うふふふふ、ヴェラが無断欠勤したおかげで航海計画はボロボロだわぁ。もう納期に間に合わないわねぇ。交易ギルドからの指名依頼だってのに、どうしてくれようかしらぁ?」
筋骨隆々の大男であるフランシスの口から女性らしい言葉が漏れる。窮地に追い込まれたことでおかしくなったわけではない。彼は普段からこのような喋り方だ。ちなみに機嫌が極端に悪いと逆に笑顔になるという癖も持っている。
なぜ機嫌が悪いかと言えば、ヴェラの不在によって航海が順調に行かないからだ。昨日も予想していなかった雨に降り込まれ、方角を見失って無駄な時間を食った。その結果、全く余裕の無かった交易ギルドからの指名依頼に失敗することが確実になったのだ。それは機嫌も悪くなるだろう。
「オーエンはヴェラを取り逃がすし、このまま逃げられたら大損害だわぁ。絶対に逃がさないわよぉ」
弟のオーエンは一度ヴェラを見かけたらしいのだが、若い男に連れ去られて見失ってしまった。その男は特徴からしてヴェラの退職届を持って来た若造だろう。あんな紙切れでヴェラを連れて行こうとは舐めた真似をしてくれたものだ。
「交易ギルドの信用を失ったら次の仕事も自動的にキャンセル食らうわねぇ。そうなったら水夫共を使ってなんとしてもヴェラを見つけないとねぇ」
脳裏に今後の資金繰りを思い浮かべ、冷や汗をかくフランシス。ここ数年はヴェラの献身ありきでレアード海運を経営してきたので、ヴェラがいないと立て直せるかどうかも怪しい状態だ。なんとしても見つけ出して連れ戻さねばならない。
もちろん、ヴェラがいなくても他の航海士を雇うという手はある。ハーフリングの航海士は数が少ないが、いないわけではない。ただどいつもこいつも高給取りなので、レアード海運ではまともに雇えないだけである。ヴェラのように経験のないハーフリングの航海士など、そうそう出会えるものではない。
「連れ戻したらあの娘には一度きちっと己の分ってものを叩きこまないといけないわねぇ。アテクシたちがいつまでもお優しいと思ったら大間違いなんだからぁ」
元々ヴェラは弟が嫁に欲しいと常々言っていたのだ。この際結婚させて身内に取り込んでしまうべきだろう。これまでかけてきた恩情にそろそろ応えてもらわなければ。
「でぇ、ヴェラを連れ去った男は海に沈んでもらおうかしらぁ。船乗りを舐めると痛い目を見るのよぉ」
帝国の沿岸は帝国海軍によって治安が保たれているが、魔物や海賊がいないわけではない。特に小規模な海賊は海軍の警戒網をかいくぐって襲い掛かってくることがままある。なので『永遠の団結号』の乗組員もヴェラを除く全員が実戦を経験していた。特にフランシスやオーエンは、その体格の良さもあって何人もの海賊を切り捨ててきていたのだ。今さら殺人に対して忌避感など持ち合わせていない。
「まあイイ男だったら、しばらく飼ってあげてもいいんだけどぉ。どうかしらねぇ?」
フランシスの口角が妖艶に吊り上がる。彼はこう見えて同性愛者ではないのだが、実は根の深い
ちなみに今までヴェラがなぜ無事だったのかというと、フランシスがヴェラをオーエンの物だと認識していたのと、なによりうっかり死なせる可能性があったからだ。だがことこうなったからには、一度くらい本気を見せる必要があるとフランシスは考えていた。
「なにはともあれ、まずは二人並べてイイ声で鳴かせてからよねぇ、オハナシはぁ」
満面の笑みを浮かべながら、フランシスは今後の方針を決定したのである。
レアード海運の水夫長であるオーエンは、顔中に青筋を浮かべながら水夫たちを怒鳴りつけていた。
「おらぁ! 入港までもう時間がねぇぞ! もたもたしてんじゃねぇ!」
威勢はいいが指示に具体性がまるでないため、怒鳴られた水夫たちが萎縮するだけの効果しかない。しかも何かしていないとオーエンに殴られるので、今しなくてもいいことをあえてしている者までいた。効率という意味ではオーエンがいることで悪化している。
だがオーエンは自分が有能な水夫長だと信じて疑っていない。それどころか怒鳴るのも殴るのも水夫たちのためで、自分は彼らに感謝されているとまで思っていた。そんなこと、誰も一言も言ったことはないのだが。
そんなオーエンだが、今回の航海では特に荒れていた。原因は単純で、婚約者であるヴェラが無理矢理連れ去られてしまっているからだ。
もちろん、本来であれば仕事を放り出してでも助けに行かなければならない。だが今回の仕事は交易ギルドからの指名依頼だ。放り出せば今後の経営に大きな支障が出る。そのためオーエンは泣く泣く仕事を優先したのだ。きっとヴェラは理解してくれると信じて。
なおヴェラが普段オーエンをあからさまに避けていることや、ヴェラの家に押し掛けて逃げられたことは全てヴェラの照れ隠しだと認識している。借金さえなければヴェラがとっくに逃げていただろうという常識的な見解も、オーエンには理解できない。
なにしろオーエンはヴェラを怒鳴ったり殴ったりしたことは一度もないのだ。それに毎日会えるように、休日も口実をつけて職場に来るよう仕向けていた。これだけ大事にしているのだから、気持ちが伝わらないはずがないではないか。
「もうすぐだ。港に入ったらすぐに取り戻してやるから、待っててくれヴェラ」
決意を新たに、拳を握りしめるオーエン。当然ながら、その拳はヴェラを拉致したあの男に叩きこむつもりである。
先日オーエンがヴェラと運命的な再会を果たした時に、二人の間を引き裂いた不埒な男。オーエンに恐れをなして逃げ出したくせに、ヴェラをさらっていってしまった卑怯者だ。あの男は絶対に許せない。徹底的に懲らしめなければならないだろう。
オーエンはこれでも戦いには自信がある。時に発生する海賊との戦いにおいては、フランシス以上に海賊共をなぎ倒しているのだ。前回は逃げられたが、今度見つけたら確実に仕留める自信があった。
それに、次の仕事は少し先になるとフランシスは言っている。仕事が無くて手が空いているわけだし、何より日頃面倒を見てもらっているオーエンのためだ。間違いなく水夫たちも全員協力してくれるだろう。ならばオーエンとフランシスを合わせて11人だ。必ず見つけられるだろうし、逃がすこともないだろう。
「もう少し、もう少しだ。今行くからな、ヴェラ!」
オーエンはあの男との戦いに備えて、闘志を奮い立たせるのだった。まさかあの男のほうから、オーエンには全く手出しのできない種類の戦いを挑んでくるなど思いもせずに。
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