第6話 つれさる

 昼にさしかかった頃、ヴェラはノエルに背負われながら連れ込み宿を出ることになった。どうしてこうなったのかについては色々と事情がある。


 まず連れ込み宿というのはだいたい昼食を提供していない。それどころかその時間帯に部屋を整えるので、客が残っていては邪魔なのだ。そのため連泊の客でない限り、昼には追い出されてしまう。


 仕方なくヴェラは今一つ乾ききっていない自分の服を身につけ、宿を出ようとした。だが一歩目で身体がふらつき、ひっくり返ってしまったのだ。


 ノエルの見立てによると、原因はおそらく過労。仕事に行かなければという意識があれば気を張っていられたのだろうが、それが無くなって溜まっていた疲労が表に出てきたようだ。昨夜から何度も嘔吐しているのも、弱った体に得体の知れない強い酒を入れてしまったせいかも知れない。


 もっともノエルは医者ではないので、それを確かめるためにも医者のところへ赴くことになった。ただ、過労で倒れた者を歩かせるわけにはいかないとノエルが言い出し、実際に身体がふらついたヴェラが断り切れなかったことで、このように背負われて宿を出る結果となったのである。


 まあヴェラはハーフリングなので、その体格は人間でいう12歳前後の少女並みだ。しかもハーフリングは人間より身体の比重が軽い。重さが負担になるということはあまりないだろう。むしろノエルが迂闊に重いなどと言ったら戦争勃発である。


 しかし二人にとって誤算だったのが、連れ込み宿から女性が男性に背負われて出てくるという光景は、見る者の想像を無駄にかき立ててしまうということだった。少なくとも、今二人を目撃した者が思わず叫んでしまう程度には。


「ヴェラ!?」


 驚いたように声をかけてきたのは、ヴェラにとって馴染みのある、それでいて面倒な相手だった。レアード海運の水夫長オーエンだ。


「ヴェラ! どうしてこんなところに! それにこいつは誰だ!」


「ぅぇっぷ」


 水夫たちを束ねる立場にあるだけあって、大声を出すことに慣れている。おかげで二日酔いに悩まされるヴェラの頭に響いて仕方がない。嘔吐感はだいぶマシになってはいたが、頭痛はまだまだ尾を引いていたのだ。


「おいお前! ヴェラをどこに連れて行く気だ! 今すぐ降ろせ!」


 一方的にまくし立てるオーエン。ノエルに突きつけた指先が震えているのはどういう感情からなのだろうか。ただ少なくとも、大声を出すたびにヴェラが顔をしかめていることには気付いていないようだ。


 ヴェラを背負ったまま器用に肩をすくめたノエルが、先ほどよりぐったりと背中にのしかかってきているヴェラにささやきかける。


「あれ、お知り合いですか?」


「水夫長のオーエンや」


「ああ、あのちょん切り予定の」


 二人の会話が聞こえていたわけではないはずだが、オーエンが一瞬だけ内股になった。不思議そうに周囲を見回し、首をかしげる。


 ヴェラとしてはこれまで一緒に働いてきた上司ではあるものの、それ以上の感情がある相手ではない。いや、成り行きとはいえレアード海運を辞めた今となっては、むしろ悪感情が先に立つ人物だ。殴られたり怒鳴られたことこそないが、ヴェラのことを子ども扱いしつつ自分の意思を押し付け、関係を持とうと迫ってきていた人物なのだから。


 そのことをあらかじめ聞いていたノエルとしても、オーエンとまともに向き合う気はなかった。そもそもヴェラがレアード海運を辞めている以上、オーエンは無関係の部外者なのだ。何か言われたからと言って従う義理は全くない。


 だがオーエンの見解は二人とは少々違っているようだった。


「ヴェラの退職届を持って来た男ってのはお前だろ! ヴェラは俺たちの家族なんだ! 勝手に連れていくんじゃねぇ!」


「そうなんですかヴェラ?」


「いや家族と違うし。なる気もないし」


 今度はヴェラの呟きが聞こえているはずなのに、オーエンはお構いなしで喚き続ける。


「さあヴェラ! 明日の出航までに積み込みを終わらせなきゃならねぇんだ! 一緒に戻るぞ!」


「ハーフリングの女性に積み込み作業をさせるとは……、不向きにも程があるでしょうに」


「そもそもウチ、今日は本来なら休みやゆうねん」


 今度もヴェラの呟きは聞こえているはずなのだが、やはりオーエンはお構いなしだ。耳が悪いのか頭が悪いのか性根が悪いのか。最も悪いのは諦めかも知れない。


「なんなんださっきからてめぇは! いいからヴェラを降ろしやがれ!」


 ひたすら自分の都合だけをまくし立てていたオーエンだったが、ノエルたちの反応のなさに痺れが切れたらしい。ノエルの胸倉を掴もうと手を伸ばしてきた。


「おっと」


 しかしノエルが一歩下がることで、オーエンの手は空を切る。そのことが腹に据えかねたのか、オーエンの顔が真っ赤になった。


「てめぇ、待ちやがれ!」


 もはや掴みかかるのではなく直接殴りかかるオーエン。背負われたヴェラに当たりでもしたらどうするつもりなのか。だがその拳は何度ふるっても誰かに触れることは全くなかった。


 ここは貧民窟スラムから遠くないとはいえ、曲がりなりにも店が構えられている地域だ。真昼間に始まった騒ぎに、物見高い野次馬が集まり始める。結果として大勢の前で恥をかかされる格好になったオーエンは、より一層頭に血を登らせて暴れ回った。


 ヴェラとしては衆目の中、連れ込み宿の前で男二人に取り合われる女という構図に図らずもはまってしまい、恥ずかしいことこの上ない。いっそ開き直って「私のために争わないで」とでも言ってやろうかと考えるが、事態がよけいに拗れそうなのでやめておく。


「て、めぇ、ちょろ、ちょろ、逃げ、まわって、んじゃ、ねぇ」


「そろそろですね。ヴェラ、しっかり掴まっててください」


 空振りを続けたオーエンが疲れを見せ始めると、ノエルはオーエンを置き去りにして走りだす。ヴェラに掴まっててくれと言ったわりには、身体がほとんど揺れない安定した走り方だ。先ほどオーエンの拳を足さばきだけで全て躱したことといい、どうやらノエルはかなり鍛えているらしい。


「すごいやんノエル。ちょっとかっこよかったで」


「まあ、足にはそれなりに自信があるので」


 かなりの速さで走っていながら、息を切らせることもなく平然と答えるノエル。ふとヴェラが後方を振り返ると、かなり離れたところでオーエンが足をもつれさせて転ぶのが見えた。


「あ、水夫長コケよった。もう少し走ったら完全に見失うと思うで」


「もうそろそろ着きますけどね」


「あ、そうなん? お疲れ様ノエル」


 こうして二人は、無事オーエンを振り切って目的地へと到着したのだった。

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