第8話 前世を持ち出すアウトな魔女

【バッファロービル三階 本屋『射海星』】



 本屋『射海星』の看板には、ふりがなが振ってある。

 射海星(しゃかいせい)。

「読み辛いでしょ?」

「しゃかいぼし、と読んでしまった」

「命名の理由は、ユリアナ様の脳に社会性が欲しかったとも、星海社の書籍を贔屓にしているからとも、海星(ヒトデ)と戦う秘密結社が出資者にいたとも、言われています」

「海星という名の人を見かけたら、射撃で仕留めようという暗示では?」

「絶対に違いそうな新説が来たよ!」

 レリーがユーシアの新説を否定しながら、店内に入る。

「総合的に真っ当な本屋ですよ。特徴は、店内に店員がいない事です」

「無人レジだから?」

「正解ですけど、仕組みはビックリなシステムです。お、あそこに良い参考例が」

 客の一人が、レジを通さずに小説を一冊、懐に入れて店から出て行こうとする。

 ユーシアがアキレス腱を斬って警察に突き出そうと動く前に、レリーがお目目ぱちくりなアイコンタクトで止める。

 窃盗をした客が店から一歩出た途端に、店の看板から黒白の長身ピエロが出現して、覆い被さる。悲鳴をあげる客を体内に埋め込んで拘束し、店内の無人レジ前に引き戻す。

 そこで窃盗をした客を体内から出すと、黒白のピエロは礼儀正しく、警告する。

「警告は、一度だけです。次は警察・仕事先・家族に窃盗を報せた上で、告訴します」

 黒白のピエロは、白目二つと黒目二つの両方で、窃盗をした客の目を覗き込む。

「理解したのであれば、レジをご利用ください」

 ビビり上がった窃盗犯がレジでセルフ精算する隙に、黒白ピエロが財布や携帯電話から個人情報を吸い上げるのを見物し、ユーシアは褒める褒める。

「便利だ。大した式神だよ。これだけ有能なら、褒めるしかない。誰の作品かな?」

 レリーが解説する前に、黒白のピエロが自らユーシアに挨拶をする。

「主人の名は、シーラ・イリアス。

 主人からは、トワイライトなピエロ故に、トワと呼ばれております。

 お忘れでしょうか?」

 トワの四つの目が、全てユーシアに向けられる。

「記憶にないようですね」

「初対面です。確実に」

「確実に?」

「確実に」

 トワが、天井を仰ぎ見て、一秒だけ途方に暮れてから、携帯電話で主人に連絡を入れる。

「主人。急用です。ユーシア・アイオライトに遭遇しました。前世の記憶は、全く無いとの事です。主人の名にも、無反応です」

 本屋内の空間が、月光の凝縮された光輪で開かれる。光輪の向こう側に繋がる内装の高級な執務室から、紫系統の羽衣を着た美女が入って来る。

 ユーシアを見て、紫苑の瞳とパッツン頭髪を輝かせた美女は、式神の報告通りに相手が無反応なのを確認し、部分修正したビジネスライクな態度で背筋を伸ばす。

「イリアス商会会長シーラ・イリアスです。ユリアナ様から、この店の経営を委託されています。よしなに、ユーシア・アイオライト」

「ユーシア・アイオライト。現在は、ユリアナ様のパシリです」

 かなり自虐的な挨拶をするユーシアを、シーラ・イリアス(二十一歳、月光の漏れる紫苑の瞳&パッツンセミロング、守銭奴魔法使い)は抱き締めて唇を強奪する。

 敵意の無い美女に抱き竦められて「わ〜い」と浮かれていたユーシアも、本気でディープキスをしようとするシーラ・イリアスの厚かましさには、一線を引く事にする。

 そう判断した段階で、シーラ・イリアスは唇だけは離す。

「むかつく。他人なのね」

 年齢の深みが窺えないほどに深い紫苑の瞳が、ユーシアの瞳を覗き込んで失望している。

「キスしても思い出せないなら、見込みは無いのね」

「前世では、恋人ですか?」

「四回転生した内、二回目で夫婦だったのよ」

「うわあ」

 忘れてくれないかなあ、と無茶な事を考えたら、それがそのままシーラ・イリアスに伝わってしまう。

「七十年も夫婦生活が続いたから、忘れようにも…」

 そうは言われても、ユーシアは一時間後にデートを控えた身である。

 自称・前世の奥さんに構うような余裕は無いし、構い方も知らない。

 新しい仕事場を把握し、リップと話したい会話ネタ選びで、脳の許容量は限界間際。

「…あのう、そういう前世ネタを持ち出されましても…困る」

 真偽も虚実も検証出来ないネタなので、ユーシアは全力で左に受け流そうとする。

「困らせるわよ。せっかく会えたからには」

 ユーシアの事情を読んだ上で、シーラ・イリアスは『微妙に邪魔をする』ウザい道を選ぼうとする。

「俺、転生キャラじゃないから」

「いいじゃない。今の流行りに乗って、異世界転生ものに鞍替えしなさいよ」

「しないよ」

「ビッグ・ウェーブに乗ればいいのに。無双なチート能力を使えるようになるかもよ?」

「馬鹿馬鹿しい。その設定が実在したら、全人類がチート能力を何十何百と所持しているはずだ」

「あら、凄い問題点ね。気付かなかったわ」

 転生の検証は出来ないが、ユーシアはシーラとの会話で掴んだ空気感で、嘘っぽいと感じた部分に言及する。

「夫婦だったというのは、嘘でしょ?」

 シーラが表情を変えないようにしたので、ユーシアは勘の正しさを確信する。

「分かるの?」

「夫婦だったら、あんなに余裕のないキスはしないと思う。あれは、片想いの相手が攻撃範囲に入ったので、逃すまいとする、せっかちなキスだった」

「…良いじゃないの。こちらはお金持ちよ。気軽に飼われなさいよ。居心地良くしてあげるから」

 片想いを拗らせたまま転生を繰り返した魔女は、嘘がバレた途端に、経済面で誑し込もうとする。

 ユーシアは、この新キャラ(自称・前世からの旧知)への対応に、無表情を貫けない程に、困る。

 悪意・敵意・殺意へなら迅速に容赦なく対応できるが、こういう深情けに接するのは初めてである。

 ナイスボディに抱き締められているし。

 その様子も、シーラ・イリアスは嬉しそうに見物する。


 嬉しそうに綻んでいるシーラ・イリアスの顔が、きつい視線を横に向ける。

 レリー・ランドルが、シーラ・イリアスの頭部に向けて、二丁拳銃の射線を固定する。

「ユーシアを解放しなさい、本屋担当。美少年拘束の現行犯で通報するぞ〜! つうかあ、舌を入れたから有罪確定でデストロイ!!!!」

 開放だけを要求するつもりが、途中でブチ切れて発砲を始める。

 スタンモードの魔法弾は、シーラ・イリアスの装備している羽衣の自動防御システムで全弾防がれる。

 弾切れのタイミングで、シーラ・イリアスの指から発生した小型の月光光輪が、レリーの両手首を軽く斬り飛ばす。

 斬り落とされた手首が床に落ちるより速く、レリーの回復能力がフル作動して血液の奔出を逆流させて体内に引き戻す。

 ユーシアが床に落ちた手首を拾って傷口に当てると、秒でレリーは繋ぎ直した。

 この間、全部で六秒。

 レリーは、手にした拳銃のリロードを諦めて、二丁拳銃を仕舞う。

「暴力では勝てないので、愛のある言いくるめをよろしく、ユーシア」

「初めからその気だったので、似合わないバイオレンス路線は、やめとけ」

「ニャンコみたいに抱かれて柔乳を押し付けられて、その気に傾いていただろ?」

「違うよ。誰も傷付けない方法を、模索していただけ」

「おっぱいにデレた男の言い訳は、全自動で却下されるのだ〜〜!!」

「うぐう」

 ユーシアはシーラに対し、畏まって最敬礼しながら、宣言する。

「今日は予定が詰まっております。この場は、挨拶のみで、お別れしましょう」

「いやよ」

 駄々を捏ねようとするシーラを無視して、ユーシアは仕事に戻る。

「で、この階層での注意点は?」

「シーラがトワを呼び戻している最中は、本屋として無防備だから、店員として見廻りをしてもらいます。シフトはフラウさん経由で来るから、可能な限り引き受けてね」

「シフトに入ると、別料金?」

「別料金よ。つまりこの階は、臨時ボーナスの稼ぎ場所」

「ふうん。じゃあ、用が無ければ、来る必要は無い場所…」

 そこでユーシアは、リップから買って読むように勧められた本の事を思い出す。

「シーラ。『哀愁の町に霧が降るのだ』という本を買いたい。有る?」

「有るわ…」

 ここに現れてから常時ユーシアの記憶と感情を読み取っていたシーラは、リップを意識した時のユーシアの感情量を受信してしまう。

 蒼穹を満たす暖かい恋心の心象風景を、シーラの感性は幻視する。

 それは、十歳の少年の心が、リップという美少女との記憶を、既に魂の一部にして生きているという情報量の、波濤だった。

 むっつりスケベであろうとも、ユーシアの心の拠り所は、リップが柱になっている。

(今回も、友達のままなのね)

 傷心の主人を慮りながら、トワが自腹で『哀愁の町に霧が降るのだ』を購入して、ユーシアに手渡す。

「お受け取り下さい」

「払いますよ」

 ユーシアは代金を払おうとするが、トワは慇懃に、キッパリと、受け取らせる。

「トワは、もっと沢山のモノを受け取りました。ユーシア様が覚えていなくても、お返しをしとうございます。どうか」

 トワの請願に、ユーシアは『哀愁の町に霧が降るのだ』を手にして、礼を述べてから退店した。



 ユーシアとレリーが去り、店内に客も居なくなった隙に、シーラはトワに確認を取る。

「こちらの記憶が確かなら、ユーシアがアルテシア大陸で生きていた頃、トワは作っていないはずだけど? 記憶違い?」

「あら、すみません。主人が前世で友達だったという設定を聞いた瞬間、トワもそうだったような気がして」

 平気ですっとぼける式神に、シーラ。イリアスは念押しする。

「いい? 仲の良い友達のままで構わないから、余計な手出しをしないでよね? 分かった?」

「まあ。トワは、余計な真似をする式神に見えますか?」

 シーラ・イリアスは、魔杖トワイライトをピエロ形態から魔杖に戻すと、手中に納める。

「あなたがこちらより長生きな化物だって、失念していたわ」

 簡易版トワを複製して店内に放つと、月光の光輪でゲートを開き、執務室に戻る。



【イリアス商会コノ国支部 会長執務室】

 

 執務室に戻って魔杖トワイライトを魔杖ケースに収納すると、シーラはバッファロー・ビルの監視システムに介入し、映像の中継を始める。

 商会の機材や人材を使わず、自身の魔法体系のみを使用して、シーラ・イリアスは監視システムの盗聴を始めた。

 視聴するのは、ユーシアの動向のみ。

 ビルの所有者であるユリアナの許可は、求める気がない。

「主人。それは『仲の良い友達』の範疇から、逸脱するのでは?」

 魔杖トワイライトが口を挟むが、シーラは構わずにウイスキーと肴のポテチを整える。

「失恋を癒す為の、酒の肴よ」

「主人。せめて水割りに」

「うっさい」

 魔杖トワイライトは、主人のやけ酒を直視する気なれず、バッファロー・ビルの宝物庫で眠る片割れに念話を送る。

魔杖トワイライト(白黒)「ねえ、揉めそうよ?」

魔杖トワイライト(黒白)「放っておいてあげなさい。君には、そのスキルが足りない」

魔杖トワイライト(白黒)「でもねえ、これは明らかに、放置しない方が良いような気がして…」

魔杖トワイライト(黒白)「半身よ。君は、トラブルメーカーである事を、もっと真剣に自覚して生きよう。我々は、折られたらそれまでの、柔な宝具だ」

 とか言いながら、魔杖トワイライト(黒白)は、魔杖トワイライト(白黒)と同期したシーラの盗聴様子を、同室の宝具達に横流しする。

魔杖トワイライト(黒白)「念の為に、共犯者を増やしておこう」

魔杖トワイライト(白黒)「…私たちって、どうして犯罪を黙認しちゃうのかしら?」

 盗聴情報の横流しが起きているとは知らずに、シーラ・イリアスは一杯目のウイスキーを飲み干す。


 このしょーもない経緯で、ユリアナの所持する宝物達は、クロウ以外もユーシアに興味を持つようになった。

 シーラ・イリアスの深情けは、当人達の低評価よりも遥かに多くの影響をもたらすのだが、それに気付く事はなかった。


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