第5章

 海だった。

 鼻につく潮の香りと、サラサラと流れるような小さな粒が集まった海岸。

 あたりにはバラバラになった何か用途のよくわからないものが散乱していて、海は不気味に赤黒く染まっていた。

 あたりに人気はなくて、俺は何故か学校の制服のようなものを着ていた。

 全く見覚えがない光景なのに、どこか見覚えのあるその景色の中に、動くものを一つ見つけた。人影だ。

 それは今までなぜ気づかなかったのか、俺の下に組み伏せるようにいて、空虚な瞳で俺を見つめていた。

 とてもよく見知った顔で、俺の中に「何故?」が湧いては消える。

 頭は混乱の極地で全く思考がまとまらないのに、どこか別のところでは酷く冷静に現状を分析していた。

 俺の下に組み伏せられるように転がっている人——フィオナは、徐に口を開いた。

 つぶやいたその言葉が耳に入ったと同時に、俺は発狂した。






 雲ひとつない快晴の空に、噴煙が一筋立ち登る。不思議なことにその噴煙は地面からではなく、空中からさらに上に向かって伸びていた。

 よくよくその噴煙の発生源を見ていると、今度は火花が散り始めた。花火なんてものはこの世界にはないが、それを彷彿とさせるように激しく燃え上がり始める。

 と同時に、この世界に生まれて、両親以上によく聞いている声が怒り爆発といった叫び声を上げたのが聞こえてきた。

「あのマッドアルケミスト、今度会ったらヴァルハラに送ってやるわッ!」

 空中で爆発音とともに火花と新型ディスクの破片が飛び散り、少し離れたところでパラシュートが開くのが見えた。パラシュートにぶら下がっているのは、爆発の余波を受けてボロボロになった軍服を着たフィオナだ。頬に煤もついていたりして、結構悲惨な感じになっている。怪我がないだけマシだな、こりゃ。

 実験場の地面に降り立ったフィオナは、パラシュートを外すとそのまま怒り心頭と言った具合に地面に叩きつけた。

「どうやらお怒りのようですね」

 そう隣から話しかけてきたのは、線の細そうに見える明るい茶色の髪の少年だ。背丈は俺と同じくらいで、少し大人びて見える見た目で非常に女子ウケの良さそうな外見だ。

「まぁ、いつもいつもああなるんじゃキレるだろ、そりゃ。フィオナじゃなくたってキレる。あいつは初回からキレてたが」

「失敗続きですからね。今回も怪我がなくて何よりです」

「次はフルトの番だろ。せいぜい怪我しないように頑張ってくれ」

「ええ、そうしますよ」

 俺の隣にいる少年--ハルキ・フルトは肩をすくめると、飛行試験のスタート地点に向かって歩き始めた。

 それと入れ替わるようにフィオナが俺の隣に来た。

「シャン、今日こそはあのマッドをヴァルハラ行きにするわよ。着いてきなさい」

「そんなことしたら逆にお前が銃殺刑になるだろうが。我慢しとけ我慢」

 額に青筋を浮かべ、今にも実験棟に突撃していきそうなフィオナの両肩を掴み抑える。ていうか服ボロボロなんだからまず着替えに行けよな。色々見えそうになってるだろうが。

「あのマッドの味方するっていうの!? あんたでも容赦しないわよ、シャン!」

「お前が俺に容赦したことなんてあったか!?」

 そんな俺たちを、少し離れたところでラドフォードが我関せずといった感じに、渡された新型ディスクをいじり回していた。

 俺たちは今、ナオミ先生に渡された初任務を遂行するため、軍の実験スペースにきていた。






「こんにちは、ドクター。連れてきましたよ」

 明くる日、ナオミ先生に着いてやってきたのは軍の実験スペース、その観測所だった。

 俺には使い方のよくわからない観測機器が所狭しと並べられていて、この時代で初めて目にしたモニターらしきものが壁にかけられていた。残念ながら今は何も映されていないので、それが本当にモニターなのかはわからなかったが。

 ナオミ先生が声をかけたのは、白髪に白い髭、度のキツそうな丸眼鏡をかけた初老の男性だった。常に眉間に皺がよってるような気難しそうな顔をしている。

「ケンジット少佐。その子達が追加の人員かね?」

「ええ、そうです。よろしくお願いしますわね」

 忙しなく白衣を纏った研究員らしき人たちが動き回っている。

 ちなみにここにきているのは俺とフィオナとラドフォードで、サクライ先輩は用事があるとかできていなかった。

「こんにちは、ドクター・サーティス。あたしはフィオナ・アインスタインと言います。新型ディスクの起動実験と伺いました。どんなものが出てくるかとても楽しみです。よろしくお願いします!」

 フィオナが一歩出て自己紹介をする。それに続いて俺も自己紹介を済ませた。ラドフォードは最低限自分の名前だけを名乗った。

「私はジェームズ・サーティス。アインスタイン候補生以下二名、並びにもう一名には私が開発している新型ディスク——仮称エンペドクレスの起動実験に従事してもらう」

 初老の男性——ジェームズ・サーティスは、この国の国民なら誰もが知っている超有名人だ。なんならこの国以外の人も知ってるかもしれない。なにせ、魔力をエネルギーとして活用する技術を作り出したのはこの人なのだから。前世の記憶でいえば、トーマス・エジソンのような天才発明家だ。ちなみに俺たち魔法使いが魔法を使うために必要なネブラ・ディスクを開発したのもこの人だ。

 今回の任務先にドクター・サーティスがいることは事前に聞いていたので驚くことはないが、本物を見たのは初めてだったので内心少し感動していた。

「早速実験を始めたい。外の実験スペースに移動してもらおう。そこにすでに一人、実験参加者が待機している」

「了解しました!」

 そう言って歩き出したドクターの後ろをついて行く。

 俺たち以外の実験参加者……? 俺たちが受けた任務なのに俺たち以外の人がいることに少し気が引かれたが、それよりも俺はもっと気になることがあった。

「フィオナ、お前……敬語使えたのか」

「あんたあたしをどういう目で見てるわけ?」

 そういえば小さい頃敬語使ってたな。今のいままで忘れてたが。






 実験場に着くと、そこには先客が一人いた。

「ハルキ・フルトです。どうぞよろしくお願いします」

 同年代っぽい茶髪の少し大人びた少年だ。柔和そうな笑みを浮かべてこちらに友好的な態度で接してくる。

 俺に握手を求められたので、素直に応じる。

「フィオナ・アインスタインよ。こっちはシャン。この子はカレナよ。こちらこそよろしく!」

 おい、なんでお前が俺たちの紹介をするんだよ。そしてなぜ俺は名前の紹介をしないんだ。

 なんて思っていると、フィオナにぐいっと引っ張られて顔を寄せられる。

「あたしたちが受けた依頼になぜか先んじている同級生っぽい男子……何か面白い事情がありそうじゃない?」

「面白いかどうかはともかく、事情はあるんだろ。どんなのかは知らんけど、あんまり藪を突くなよ」

 なんて俺の忠告を無視して、フィオナは早速フルトに突撃していた。

「この実験の依頼はあたしたちの部隊が正式に受理したものなんだけど、フルト君はなんでこの実験に参加しているのかしら?」

 いかにも楽しげに質問するフィオナを見てため息をつく。たまには俺の言うことも聞いて欲しいものだが……まぁいいか。俺に被害がなければ。

 フィオナの質問にフルトは特に表情を崩すことなく答えた。

「ちょっと事情がありまして……本来なら先に士官学校に入学してあなたたちの部隊に配属されてから、という手順を踏むべきだったのでしょうが、なにぶん折り合いがつかなくて。先にこちらの実験に参加して、その後に入学という手順になったんです」

「ちょっと、答えになってないじゃない……って、その言い方だとあたしの部隊に参加するのかしら?」

「サクライさんから聞いていませんか?」

「何も聞いてないわ!」

 サクライ先輩、多分わざと伝えてないんだろうな。あの人、そうやって面白がるところがあるだろ、絶対。短い付き合いだけどなんとなくそんな感じがするわ。

「この実験が終わり次第、正式に書類が行くはずです。なので、これからよろしくお願いしますね、アインスタインさん」

「ニノちゃんには後で話を聞いておくわね。とりあえずよろしく、フルト君」

 自分の知らないところで起きていたことだからか、いささか不満げではあったが、フィオナはフルトを歓迎した。

 俺としては男女比の偏りまくったこの部隊に、俺と同じ男が入ってくれるなら歓迎だ。肩身が狭い思いをしなくて済む。……よくよく考えたら、別に肩身の狭い思いとかあんまりしてなかったな。まぁいいか。メンバーが増えるなら。

「はいはい、挨拶は終わったわね? それじゃ早速実験を始めていきましょう」

 俺たちのやりとりを見ていたナオミ先生が近づいてきて、実験の準備を始めた。まぁ元々実験をしにきているわけだからな。

 テキパキと実験の準備を進めていくナオミ先生。普段からそういう有能なところを見せて欲しいな。ソファーに寝っ転がってお菓子を食べる姿とかじゃなくて。

「ねぇ、ナオミ」

 そんなナオミ先生にフィオナが声をかける。

「何かしら、アインスタインさん?」

 どことなく他人行儀なナオミ先生にフィオナが近づく。

「ナオミはフルト君がうちに来るって知ってたんじゃないかしら?」

「そ、そんなことないわよ〜」

「忘れてたんじゃないでしょうね」

「そ、そんなことないわよ〜おほほほほ!」






 そんなわけでフルトを加えて、俺、フィオナ、ラドフォード、フルトの四人で実験をすることになったのだが。

「ま、た、か、ね! 君は、またなのかねっ!?」

 サーティス博士の声が実験場に響き渡る。

 この実験のために貸切になっている実験場には他に遮るものがなく、博士の声はハウリングして俺たちの耳にまで届いてきた。

「お言葉ですが、ドクター! またかと言いたいのはこちらの方なのですが!」

 ギリギリ飛行体制を維持しながら、俺は暴走を始めて熱を持ち始めたエンペドクレスの安全機構を作動させる。

 このエンペドクレス、扱いがとにかく難しい。

 通常のディスクならば俺でも問題なく操作することができる。だが、このエンペドクレスは正直言って人間が操作できるような代物ではないと思う。

 どう例えることが適切かはわからないが、他人の手足を同時に操作している感覚とでも言うのだろうか。両手足で全く別の行動を取っていると言うような感覚だろうか。

 ぶっちゃけ無理。俺にはそんな器用な操作はできない。ていうかできるやついるのか? これ。なんて思っていたのだが。

「ラドフォード嬢は扱えているではないか! 理論値を叩き出している! それに比べて君は何故操作できない!?」

 そう。何故かラドフォードだけはこのとんでもディスクを完璧に扱うことができていた。フィオナも俺もフルトも扱えていないこのディスクを、何故かラドフォードだけ。

 何かコツのようなものでもあるのだろうかと思って聞いたこともあるが、いまいち俺にはよくわからなかった。「核の四機同調を自ら操作しようとするから難しい。四機の核の中央に核の同調を制御する機構があるから、操作するのはそこだけ。あとは勝手に同調してくれる」なんてことを言っていたが、俺にはその核の同調を制御する機構自体がわからないんだが。

「ドクター、それはラドフォードが特別なだけです!」

「私の理論では誰もが同じように扱えるはずなのだ! 誰もが同じように扱え、誰もが同じ結果を出す! 軍用規格品とはそうあらねばならんのだ!」

「そりゃ理想論の想の部分を抜いた理論ってやつじゃないですか! 現状四人中三人が扱えないなら、ドクターの軍用規格品の考えから言ったら欠陥品じゃないですかね!」

「私の発明を! 一介の学生が! 欠陥品扱いだと!」

「そう思いますね!」

 飛行魔法の術式を起動するのをやめ、エンペドクレスを手放す。それと同時にパラシュートを開く。

 いや、普段の俺ならここまで言ったりはしないと思うのだが、如何せん失敗しすぎた。このパラシュート降下も何度目になるだろうか。パラシュート降下に慣れすぎた自分が恐ろしい。パラシュート降下にもそのうち失敗して、死ぬか大怪我を負うのではないだろうか。マーフィーの法則だ。失敗する余地があれば失敗する。

 俺か、俺以外の二人が失敗して大怪我を負う前に、この実験を終わらせなければ。

 地上に降り立ってパラシュートを取り外す。近くにいたフィオナが声をかけてきた。

「シャン、あんたも言うようになったわね」

「そりゃ、言わなきゃ俺が死にそうだからな」

「あのマッド、絶対いつか痛い目を見せてやるわ」

「……そうだな」

 流石にもう、フィオナの言うことを否定する気は起きなかった。





 俺はフィオナの代わりに、ナオミ先生のところに来ていた。任務を途中で破棄するための書類の提出だ。フィオナは博士のところに乗り込みに行った。散々罵詈雑言を並べ立てていることだろう。

 士官学校の職員室で、俺はナオミ先生に書類を提出した。

「やっぱり、限界?」

 提出した書類を確認しながらナオミ先生が言う。

「命がいくつあっても足りる気がしません」

 安全機構のおかげでなんとかなっているが、サーティス博士は「安全機構など美しくない」なんて言っていたので、いつの日か安全機構が知らない間に無くなってるなんてこともあるかもしれない。そうなってしまえばマーフィーの法則とか関係なく普通に死ぬ。俺はまだ死にたくはないのだ。

「でもねぇ……私もあなたたちの意見を汲んであげたいのは山々なんだけど、そうもいかないのよねぇ」

 申し訳なさそうなナオミ先生。

「どういうことですか」

「あなたたち、入学して早々身体測定を二回受けたでしょう?」

「そういえばそうでしたね。それが何か?」

 確かに普通身体測定なんてそんなに頻繁にするものでもないが。士官学校だし、普通の学校と違うからそんなもんなのかなと思って特に気にもしてなかった。それがなんだというのだろうか。

「あれ、この実験に参加する人の選別をしてたのよ。生徒には伝えていなかったけど」

「はぁ……は?」

 え、何それ。その言い方だと、俺たちがその選別ってやつに合格してしまったってことか?

「いや、でも待ってくださいよ。この実験、部隊としての任務で先生が持ってきたんですよね? 俺たちはその選別とかいうのを知らないわけですから、それに合格した生徒がたまたま集まるなんておかしくないですか?」

 俺がそう言うと、ナオミ先生は苦笑いをして「そりゃそうなんだけどね」と続けた。

「私も驚いたけど、集まったんだから仕方ないじゃない? だからこれ幸いと任務を持ってきたのよ。集まってなかったら別口で呼び出しがあったと思うわ。フルト君があの場にいたのも、彼に適性があったからよ」

「つまり、この実験はそもそも俺たちしかできないんですか? ドクターの言ってることと思いっきり矛盾してるじゃないですか。ドクターは誰でも同じように扱えるって言ってましたよ」

 まあ未だにラドフォードしかまともに扱えてはいないが、サーティス博士の頭の中では誰でも扱えることになっているのだ。

「ドクターが先走ってるだけで、軍としては将来的にはそうしたいって話よ。現状はあなたたちが扱えないなら無理ね。まぁ手がないわけではないんだけど、ドクターがそれを認めるかどうかはわかんないのよね……」

「実験降りられないならなんとかしてくださいよ。俺はまだ死んでヴァルハラなんてところに旅立ちたくはないですよ」

「まぁ上に掛け合ってみるわ。所属が違うから私から直接ドクターのところに持っていける話でもないし。私も担当早々自分の生徒に死んで欲しいわけじゃないしね」

 どうやら一応なんとかはしてくれるらしい。まぁなんとかなるかどうかが結局サーティス博士次第な感じはあるが、実験をやめさせてくれない以上ナオミ先生に期待するしかない。

「本当に、お願いしますね」

「ええ。これでも軍の階級は大佐なんだし、大船に乗ったつもりで待っていなさいな。あと、今日の実験は休んでいいわよ。それも伝えとくわ」

「ありがとうございます」

 軍の上の人に話をしに行くというナオミ先生と一緒に職員室を出たところで別れる。あんなこと言ってたけど本当に大丈夫なんだろうか? まあ心配したところで俺たちにできることなんてないので、ナオミ先生を信じることしかできないのだが。

 とりあえず今日の実験は休みだし、サーティス博士のところで喚き散らしているであろうフィオナでも回収しに行くか。今日のところは今日の平穏を享受しよう。

 ……いややっぱ不安だわ。頼むぞナオミ先生!






「非常に。非常に残念であるがッ! このエンペドクレスを君たち個人個人専用にチューニングを施した! 感謝したまえ! あぁ、残念だ!」

「誰が感謝するもんですか! できるんなら最初からしなさいよ!」

 この博士、本気で残念がってる。すごい人なのはわかるんだけど、こう、人とか殺してしまう前になんとかしたほうがいいんじゃないか。

 ナオミ先生が動いてくれた翌日、実験場に現れた博士が開口一番放ったのがさっきのセリフだ。どうやらナオミ先生は上手いことやってくれたらしい。感謝感謝。

 今この場には俺たち実験参加者と博士、少し離れたところに観測員の人たちとナオミ先生がいた。ナオミ先生以外はまあいつものメンツといったところだ。ナオミ先生はいたりいなかったりするし、いても基本的には観測所の中にいるので、実験場の方には出てこないのだが、今日は昨日のこともあった手前出てきたのだろう。直接聞いたわけではないから本当のところはわからないが。

「個人専用のディスクなど生産性の欠片もない! きちっとした規格にはめ込み、量産され、誰もが扱えるような製品こそ美しいのだ!」

 尚も悔しそうにそんなことを言っている博士だが、俺たちにそれぞれディスクを渡してきた。大きさは特に変わらないが、ディスクの真ん中に今までついていなかった丸い石のようなものがあった。

「君たちに手渡したディスクをよく見たまえ。先日までと変わっているところがあるだろう」

「このディスクの中心についた石のようなものでしょうか。それぞれ色が違うようですが」

 博士の問いにフルトが答えた。

 色が違うと言われて自分のディスクを改めて見返す。俺のディスクについている石は……透明? 見る角度によっては緑っぽくも見えるな。

「あたしのは赤い石がついてるわ」

「俺のは透明っぽい感じの石だな」

「僕のは茶色です。ラドフォードさんは青色のようですね」

 ラドフォードのディスクを見ると確かに青色の石がついていた。フィオナが赤でフルトが茶色だからといって、別に個人の髪の毛の色とかに合わせてあるわけではないらしい。まぁ髪の毛の色に合わせてるとか言われたら俺の透明ってなんなんだよって話になるのだが。髪の毛が透明って何? ハゲってこと? みたいな。

「それは賢者の石と呼ばれるものだ。詳しい説明は省くが、その賢者の石を通して君たち個人の魔力波長に四機の核が同調するようにチューニングしてある。君たちはその賢者の石に魔力を流し込むだけで良い。そうすれば後は賢者の石がディスク全体に魔力を行き渡らせてくれる」

 賢者の石、だって? あの創作とかでよく出てくる有名な? これが? そりゃ錬金術師といえば賢者の石がセットで出てくるような存在だが。地球の記憶じゃ賢者の石は作れなかったはずだ。この世界ではどうなのかは知らないが。本物なのか。

 ……人の命を犠牲に作ったとかじゃないよな、これ。そんなのだったら嫌だぞ俺。

「賢者の石ってあの物語とかによく出てくるやつ? これって本物なの? ものを金に変えられるの?」

 さっきまでの不機嫌とは打って変わって、興味津々といった様子で博士に尋ねるフィオナ。まぁフィオナの好きそうなやつだしな、賢者の石。

 そんなフィオナの様子に、博士は若干驚いた顔をする。初回の顔合わせ以来ほとんど不機嫌なフィオナしか見てなかったしある意味新鮮なんだろう、博士。

「詳しい説明は省くと言っただろうが、アインスタイン候補生。……だがまぁ、少しだけ説明すると、その賢者の石は本物ではあるが、アインスタイン候補生の言うような物質を金に変えると言ったものではない。便宜上賢者の石と呼称しているだけで、その性質は全く違うものなのだ」

「じゃあ何ができるのよ、これ。あとなんでそれぞれ色が違うの?」

「これは魔力の最適化を行うものだ。扱う者一人一人に合わせて魔力の状態を調整し、ディスクへの伝導効率を上げる。ただし個人の魔力波長に設定する必要があるから設定されたもの以外は扱えなくなる。色が違うのはそれぞれの属性を表しているからだ」

 博士の説明を聞いているととても便利そうなものに聞こえてくるが、個人用になってしまうと言う点が博士は気に入らないのだろう。さっきも似たようなことを言っていたし。

「属性?」

 不思議そうな顔をしながらフィオナが自分のディスクを覗き込む。

「四元素説というものだ。聞いたことはないかね?」

 四元素説? ……前世の記憶でちらっと聞いたことがあるような気もするな。ファンタジー漫画とかの影響か?

「四元素説とは、世界の物質は火、水、土、空気の四つの元素から成り立っているとする説ですね」

 フルトの言葉に、あー確かにそんなんだったなと思う。

「そうだ。錬金術師にとっては常識的な話だが、この世界は四つの元素から成り立っていると考えられている。そしてさらにその四つの元素の元になるものが『万物のもと』と呼ばれるものだ。我々錬金術師は今ある物質を万物のもとまで還元し、別の物質に作り替えるための研究をしている」

「へぇ、面白そうな話ね。万物のもと、なんてそんなもの本当にあるの?」

「ある」

 博士は断言した。

「この、我らが帝国の北側にある大穴は知っているだろう? 以前帝国の発掘調査で、そこに万物のもとがあることが分かったのだ」

「本当にあったの!?」

 フィオナが顔を輝かせて博士に詰め寄る。

 ていうかそんなもの本当にあるのか。地球じゃとっくに間違った理論だって分かってたのに。この世界じゃ本当にその四元素説っていうのが真実なのか? ……俺の体って火とか水とか土とか空気からできてんの? まさか。

「あったのだ。……だが、現代の設備では万物のもとから別の物質を作り出すことは不可能だった。理論はあるのだ。しかし技術が追いついていない。あと百年はかかるだろう」

「……じゃあダメじゃない。いやでも、万物のもとっていうのがあるのなら見てみたいわね」

「あるではないか、君の目の前に」

 そう言ってフィオなのディスクを指さす博士。

「……まさか、この賢者の石?」

「そうだ。賢者の石は万物のもとから作り出されている。現状では、万物のもとからその賢者の石の形に変えるのが限界なのだ。賢者の石はこの世界の物質の根幹をなすものからできている。故に高効率な魔力伝導を実現できるのだ」

 そう言って話を締め括った博士。詳しく話す気はないとか言っておきながら結構話してくれたのは、研究者的なサガなのだろうか。自分の知っていることを話したい的な。

「私の開発した今世紀最高のディスクエンペドクレスに、個人用にチューニングした賢者の石を搭載したのだ。これで実験を失敗しようものならどうしてくれようか」

 などと言っているが、その顔は自信満々で、実験が失敗することなど考えられないと言った雰囲気だ。どうやら博士はこれまで散々失敗してきたことなど忘れてしまったらしい。

「しかし、個人用にチューニングしてしまったらデータの収集など問題があるのでは?」

 フルトがそう言うが、博士は問題ないと首を横に振った。

「すでにデータはある程度収集できている。あとはしっかり起動しているデータをもっと取る必要があるのだ。それに個人用にチューニングしていると言っても、エンペドクレス全体がそうなっているわけではない。データの取りようはいくらでもあるし、これ以降開発する量産型への活かし方も同じだ」

 まぁ、データのことを考えるのは博士たち研究者や技術者の人の仕事だ。俺たちは渡されたこのエンペドクレスをうまく扱うことだけ頑張ればいい。今までもそうだったしな。

 個人用になったのだから以前よりは安全なんだろう。たぶん。……安全装置って残ってるよな?

「ドクター、安全装置は——」

「さぁ無駄話はここまでだ。実験を始めたまえ!」

 俺の言葉を遮って実験開始を告げる博士。

 安全装置はあるんですか博士!? 大丈夫なんですかね!?

「安全装置は賢者の石を搭載するスペースを確保する関係上排除した! これで文句あるかね!?」

「文句しかないですよ!?」

 「そんなのうまく扱えば何の問題もないじゃない」なんて言いながらフィオナが俺の襟を掴んで引きずっていく。

 散々失敗してあんなに悪態ついてたのに、その自信はどこから出てくるんですか、フィオナさん!? 待って、俺は死にたくないぞ! フィオナさん!? 離してください!






 結論から言うと、実験はしっかり成功した。元々起動に成功していたらどフォードを含め、俺たち四人はディスク——エンペドクレスの起動実験に成功し、晴れてあの危険な任務を果たし解放されたのだ。

「いやぁ、初任務大変でしたね」

 談話室で穏やかな表情でそう言うのはフルトだ。任務が終わり、正式に士官学校に編入を果たした結果、俺たちの部隊に加わりこの談話室にいる。

「そうだな。何度死ぬかと思ったかわからん」

 軍隊の任務っていうのはあんなに危険で大変なものなのか? 普段の授業の訓練なんか屁みたいに感じるくらいにやばかったが。

「まあでも、おかげで収穫はあったじゃないですか」

「……これか? 俺はいらなかったんだが」

 首から下げたディスクを手に持ち眺める。

 あの実験の後、正式に俺たちに配られたこのエンペドクレス。賢者の石の個人用設定は簡単に変えられるものではないらしく、またナオミ先生の言っていた適正の話もあり、現状これを扱えるのは俺たちしかいない。なので、今後の継続的なデータ収集の意味合いも兼ねて俺たちに与えられたのだ。

「この帝国でまごうことなき最新式のディスクですよ。性能も折り紙付きです」

「こいつのせいで散々死にそうな目にあったからな。あんまり嬉しくない」

 コトリ、とフルトがコマを動かす。

 暇つぶしにやっていたゲームもいよいよ大詰めだった。

「普段授業で使ってたディスクより数倍と言わないほど性能が良かったのは認めるよ」

「ならいいじゃないですか。僕たち専用になって動作も安定しましたし」

「それもそうだが」

 まぁ割り切ってというか、切り替えていくしかないか。こいつのせいで死にかけたのも事実だが、最後にはしっかり安定したのも事実だ。余程無茶な扱いをしない限り暴走して制御不能になるなんてことはないだろう。

 コマを一つ動かす。このままいけば勝てそうだな。

 なんて思っていると、談話室のドアが開いてサクライ先輩が入ってきた。相変わらず綺麗な長い白髪を黒いリボンで一まとめにしている。

「シャン君たちしかいないの?」

 入ってくるなり談話室の棚からお菓子を取り出し、空いているソファーにとさっと座る。

 そのお菓子ナオミ先生のじゃなかったっけな……?

「ラドフォードはまだ来てません。フィオナは外出許可を取りにナオミ先生と一緒に職員室に向かいました」

「ふーん、そっか。あ、実験お疲れー。はいこれお疲れのお菓子」

 バサッと机の上にお菓子を広げるサクライ先輩。お疲れのお菓子とか言いながら真っ先に自分が食べてるあたり、この人も相当自由人だよな。

 ナオミ先生のだとか何とかは気にしないことにして、俺も広げられたお菓子を一つ食べる。

「櫻井先輩もお疲れ様です。賢者の石の件、サクライ先輩も軍の方に掛け合ってくださったのでしょう?」

 フルトもお菓子を一つつまみながらそんなことを言う。

「え、そうなんですか?」

 実験には不参加だったサクライ先輩が、裏でそんなことをしていたと?

「まあね。だって君たち死にそうだったじゃん? だからちょっとお願いしに行ったんだよね」

 こともなげに言うサクライ先輩だが、一介の学生がそんなことを軍に言ったって普通聞いてもらえないだろう。いくら先輩が特務中尉とか言う肩書を持っていたとしてもだ。

「お願いしに行ったって、どうやってですか?」

 俺がそう問いかけると、サクライ先輩は片目を閉じて可愛らしく「秘密だぜ」とだけ言った。

 サクライ先輩、一体何者なんだ……?

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