【謎の男】
雷雲から降りしきる強い雨が、停車する1台の黒塗りのセダンを激しく濡らす。
そこは、ケツバット村を見下ろせる高台だった。
眼下では、一点の炎が闇の中で燃えている。
それは村人たちの赤黒い目玉にも見え、この狂乱の宴の終焉を意味していた。
「あーあ、全部燃えちゃってるよ。しょせん籠の中のお姫様は、女王蜂になれる器じゃなかったのかもね」
車内の後部座席で、燃えさかる刀背打邸を双眼鏡で覗く男がそっとつぶやく。
男は来日してまだ1年も経過してはいないが、今回の失敗で〝組織〟から帰国命令が出るかもしれない。もっとも、日本にはなんの未練も無いので、それはそれで構わないのだが。
眉間に縦皺をつくった男は双眼鏡を伏せて黒縁眼鏡を中指で直すと、細身の背広の内ポケットからスマートフォンを取り出す。
そして、何かのアプリを起動させると、六桁の数字を素早く打ち込んだ。
「これでおしまい……と。やれやれ、〝組織〟になんて言えばよいのやら。とりあえず
男が深い溜め息をつくのと同時に、車窓に稲光がまばゆく輝き、一撃の雷鳴が丘陵部に響きわたる。
荒天の夜空をほんの少しだけ気にした男は、運転手に不機嫌そうな強い口調で「出せ」とだけ命じ、背広の内ポケットにスマートフォンを無造作にしまう。そこでもまた、深く溜め息をついた。
今回の失敗により、必然的に次の計画は白紙になってしまう。だが、ケツバット村にはまだ利用価値がある。
さて、この先どうしてくれようか──
男の脳内では、もう答えが出ているようだった。
「あー、ところでさぁ、夕飯なんだけどね、お米は飽きたからパスタにしない? 確かあそこの道にさぁ、24時間営業のレストランがあったよね?」
今度は眼鏡を外すと、息を吐きかけてからレンズをハンカチで拭き始める。
やがて、黒塗りのセダンは降りしきる強い雨から逃げるように速度を上げ、どこか遠くへと走り去っていった。
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