【浅尾真綾(4)】

 それにしても暑い。

 真綾は太陽を仰ぎ、眩しそうに目を細める。

 貴重な水は、先ほどの襲撃で全部こぼれてしまっていた。

 飲み物を求めて辺りを見まわすも、自販機らしいものはどこにも見当たらず、道路沿いに点在する民家は鎧戸が固く閉められていて周囲と同様に人の気配がまったく感じられなかった。

 だが、そんな中で1軒だけ、寂れた商店のような家屋が開かれているのを真綾は見つける。大通りへと続く道に今にも崩れそうなたたずまいのその店は、どうやら駄菓子屋のようであった。


(やってる……のかな?)


 真綾は警戒しながらも、店内を物珍しそうに覗き込む。

 世代としては、駄菓子屋に懐かしさを感じなかったが、どこかノスタルジックな雰囲気に興味を惹かれ、真綾は思わず足を踏み入れる。


「いらっしゃあい」


 突然の声に全身を強張らせて顔を向ければ、全盲の老婆が店の奥からゆっくりと出てくるところだった。


「あっ……」


 真綾は一瞬だけトートバッグの中のバットに触れるが、すぐに手を離して老婆の様子をうかがう。ほかの村人たちとは違い、何も危険が感じられなかった。


「あの……本当にすみませんけど、水を1杯だけ頂けませんか? 今は手元にお金が無くて、その……」


 咽喉のどの渇きには抗えず、思いきって話しかけてみる。

 老婆は少しだけ顔を上げると、半開きのを床に向けたまま答える。


「あんれまぁ、おめぇさんは村のもんでねぇな?」


 それから小声で「かわいそうになぁ」とつぶやいてから、店の奥へと戻っていった。

 蝉の鳴き声だけが、店の開け放たれた出入口からわずかに聞こえる。

 薄暗い店内からアスファルトの道路を見れば、燦々さんさんと照りつける陽光を浴びて抜けるように白く見えた。

 手のひらでお気持ち程度の微風そよかぜをつくりながら、真綾は所狭しと陳列されている品々に視線を向ける。

 赤い液体に浸った小さくて丸い果物のような食べ物……細長いカラフルな色をしたプラスチック容器……大きな瓶の中には、潰れたみたいにぺっちゃんこなひと口サイズのカステラが串に刺さって沢山入っている。


「はぁい、お待たせぇ」


 物音と共に、老婆が麦茶で満たされたガラスのコップを持って帰ってきた。通るのに慣れてはいるだろうが、奥の部屋と土間の間にある柱にちょっとだけ身体をぶつけた老婆を見た真綾は、慌てて駆け寄る。


「あっ! すみません、ありがとうございます!」


 そう言いながら、コップを持つ老婆の手をやさしく包み込んで感謝を伝えた。


「……あんたぁ、サイレン鳴ったのに、まだ無事なんだなぁ」


 老婆のそんな言葉に、よく冷えた麦茶を口から噴き出しそうになるも、なんとか飲み込む。すっかりと忘れていたが、ここはケツバット村なのだ。


「早よう逃げなされや。ここはもう人の住める所でねぇ」


 その助言を聞き、この村にもまともな人間がいたことに真綾は救われた気がした。


「あの……ケツバット村の人たちって、いったいどうしちゃったんですか? サイレンの音がするまでは普通だったのに……それに、目の色まで変わってしまって」


 思いきって次々と疑問を投げ掛けてみる。少しでも何かしらの情報が欲しかった。

 老婆はしばらく黙り込んでいたが、手探りで近くの柱に触れると、ゆっくりそのまま近くのパイプ椅子に腰を掛けた。


「……何年前になるかいのぉ、この村に大きな地震がありよった」


 老婆は口をもごもごとさせ、どこか遠くを眺めるように顔を店の外へと向ける。


「ブナの森の奥にな、岩戸があっての」

「イワド?」

「洞窟をでっかい岩で塞いでおったんじゃ。閉じ込めてたんじゃよ、ずーっと、ずーっと大昔から」


 今度は鼻の穴を大きく広げ、真綾の足元を見るように顔を動かす。


「閉じ込めていたのって──」

「厄災じゃよ。とてつもねぇ災いが、空から降って来おった。それを、大昔の村の衆が岩戸に封じ込めたんじゃ。それが大地震で割れてもうた」


 大昔の災い……まるでおとぎ話だが、実際にこんな状況になっている今、それを信じるのが自然であろう。


「ああああ……あー、あー、ああ……」


 両膝に乗せた手を握り締め、悔しそうに老婆はうつむいた頭を左右に振る。


「そしたら、あいつらが来よった。村長もみんなも、村を救うためやうて一緒になって、余所者よそもんをよってたかって……ああ……ああああ、恐ろしや恐ろしや」


 白く濁った老婆の目から、涙がわずかにこぼれ出す。真綾は老婆に歩み寄り、そっと手を重ねて泣き止むまでそばにいた。

 それから麦茶のお礼をあらためて告げると、駄菓子屋を静かに後にした。


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