【黒鉄孝之、浅尾真綾(3)】

 2階にある自分たちの部屋を担当する仲居は、同世代と思われる若い女性で親近感が持てた。だが、色白の彼女が笑顔をみせるたび、無駄毛処理をしたであろう口元の剃刀カミソリ負けのあとが際立ってしまい、孝之たちの視線を余計に集めた。


 宿泊予定の部屋へ通されたふたりは、真新しい畳のぐさの香りに一安心したのか、疲れがどっと出て声まで洩れる。部屋の間取りは、8畳の和室が2部屋の続き間だった。


(お布団を敷く部屋って、やっぱり一緒なのかな……)


 開け放たれたふすまに触れながら、真綾は室内を見まわす。と、天井近くの壁紙にごくわずかではあるものの、何か赤黒い斑点模様が浮かんで見えるのに気づく。


(やだ……何かなアレ? もしかして……血?)


 記念すべき初旅行だというのに先行きが不安になってしまった真綾は、そんな考えを払拭しようと思い、仲居に近場のお勧めスポットをたずねてみることにする。


「ねえ、仲居さん。この旅館の近くに、どこかお勧めの場所ところってありませんか?  夕飯までの時間、徒歩で行けそうな距離がいいんですけれど……」


 そう言いながら真綾は、毎朝この人は髭剃りをしているんだろうかと、失礼なことを考えていた。


「そうですねぇー、歩いて行って帰ってんなら、棚田ですかねぇー。旅館の裏の林を抜けてすぐにぃー、米蔵よねくらさんトコの棚田が広がってるんでぇー」


 仲居は満面の笑みで答えながら、ふたりの旅行鞄を所定の位置なのか押入れ付近に置き、素早くきびすを返してお茶の用意を始める。


「棚田か……オレ、一度も見たことがないなぁ。せっかくだし、少し休んでから行ってみようか?」


 孝之は座蒲団にちょこんと正座して、座卓の上の和菓子を食べた。個包装の包み紙には筆文字で〝ケツバット饅頭〟と印字されており、饅頭が置かれていた小さい籠の中には〝1階土産物売場にて好評販売中〟と書かれた小冊子も入っていた。


「ぜひとも行ってみてくださいましぃー。山と棚田の緑が、それは綺麗で綺麗でぇ……ほんでは、ごゆっくりと」


 純朴そうな笑顔でそう言い終えた仲居は、畳の上に手のひらを八の字に置き、深々と頭を丁寧に下げてから襖を閉めて去っていった。


「ねえ、孝之。あのさぁ──」


 真綾も座卓の対座にすわり、ケツバット饅頭に手を伸ばす。孝之は熱い緑茶を啜りながら、言葉の続きを待っていた。


「今晩寝る時って、一緒のお布団?」

「ブーッ?! ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ! な、なんだよ急に!?」

「だって、大切なことじゃない?」

「ま……まあな。…………あー、その……嫌なら別々の部屋で寝ても……2部屋あるし……」

「……うん、だね。使わなきゃ、もったいないよね」


 はにかんで見せる真綾。ケツバット饅頭をひとかじりした後も、その笑顔は光り輝いていた。

 だが、一方の孝之と言えば、落胆の表情で渋くて熱い緑茶を静かに啜って飲み続けていた。


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