第5話 【あのひとは誰?】
金曜日の学校帰り、俺は龍谷書店の前を通りすぎ、ふと思いたって引きかえし、店の中に入った。
外出はほとんどしないが書店には行く、と貝守さんが言っていたのを思いだしたのだ。まあ彼女の帰り道がこちらとはかぎらないし、望みは薄い。いなかったとしても、自分で読む本でも見つかればめっけものと思い、文庫のコーナーを覗く。
手前に、黄色いボディバッグを肩にかけた大学生風の男性が棚を見あげている。その奥には文庫本を立ち読みする猫背の女子高生がひとり。
貝守さんだった。
――本当におった……!?
座敷わらしに遭遇したみたいな驚きと喜びを俺は感じた。
貝守さんはぱたんと本を閉じ、満足げに吐息をする。気に入ったらしい。緊張した面持ちでレジへ行き、店員の目を見ず、うつむいたまま会計をする。それが終わるとほっとしたような顔で店を出た。
――大丈夫か……?
あの貝守さんが買った本を読まずに我慢できるのだろうか。俺は後をつける。
自分の足元に目を落とし、歩く貝守さん。前方から誰かが歩いてくると大袈裟なくらい端に寄って道を譲る。井戸端会議をするご婦人方がとうとつにあげたかしましい笑い声にびくりと身体を震わせる。
最初は監視するつもりだったのに、いつの間にかはらはらしながら見守っていた。
と、貝守さんは急に立ち止まる。その視線の先にあるのは公園だった。しばし迷うような素振りを見せたあと、決意したように公園に足を踏みいれる。俺は小走りで追い、低木に隠れて様子を窺う。
彼女はベンチに座ると、龍谷書店の紙袋を丁寧に開き、文庫本を読みはじめた。ついに我慢できなくなったようだ。
言いつけどおり、歩きながらの読書は避けたらしい。しかし――。
――座ればいいというものでもない……!
これが彼女なりの善処らしかった。しかし問題はその超集中力で周りが見えなくなることだ。たとえば今、誰かがそっと近づいてきて脇に置いた鞄をかっさらうかもしれない。そこまで治安の悪い場所ではないが、隙だらけで気弱そうなカモを見かけたら魔が差してしまう輩もいるかもしれない。
――まあ、俺がそんなことをさせないけどな。
貝守さんを無事に家まで送りとどける。俺はその使命に燃えていた。
そのとき公園の入口から誰かが入ってきた。公の園と書いて公園なのだから誰が入ってきても問題はない。しかし、それが見覚えのある人物であれば話は別だ。
その人物は派手な黄色いボディバッグを提げていた。
――あのひと……。
さっき龍谷書店で文庫コーナーにいた男性だ。彼は貝守さんの斜め前のベンチに座った。
――偶然か?
不審に思い、じっと観察する。彼はスマホをいじっているが、目だけは貝守さんのほうに向いている。熱のこもった視線だ。
俺は確信した。あの男がここに来たのは偶然なんかじゃない。貝守さんをつけてきたのだ。
やがて彼は、スマホの上下を手ではさんで持ち、親指で画面をタップするという不自然な仕草をした。
――なにやってんだ?
俺は自分のスマホをとりだして、同じようにしてみた。
――……あ!
分かった。機種にもよるだろうが、ちょうど手が覆いかぶさる部分にはスピーカーがある。物理的に消音しているのだ。ではなぜそんなことをしているのか。それは、ソフト側で消せない音――カメラのシャッター音を消すため。
つまりあの男は盗撮しているのだ。貝守さんを。
胃のあたりからマグマが迫りあがって脳まで到達するような感覚があった。
男は俺に気づいてぎょっと目をむいたが、すぐに呆れたような笑みになり、親指を立てて見せた。
――……は?
なんだあの妙に親しげな仕草は。そう疑問に思い、自分の様子を顧みる。
低木に身を隠し、スマホを構え、手でスピーカーを塞いでいる。
完全にあの男と同じ、盗撮魔のそれだった。仲間と思われたらしい。
――違うわっ!!!!
いや、貝守さんのあとを尾行したのは事実ではあるが、決してストーカー的な目的ではない。ともかくあの男とは意味合いがまったく違う。
俺はスマホの画面を何度かタップしたあと、低木を出てずんずんと男に近づいた。
「な、なんだよ……」
男は気の弱そうな顔に怯んだような表情を浮かべる。
「あんた、あの子を盗撮してただろ」
俺がそう言うと彼は目をそらした。
「君もだろ」
「違うっ。俺は彼女の知りあい……、いや、友だちだ。まだ!」
「『まだ』ってなに」
「今それは関係ない。撮ってただろ?」
「……知らない。撮ってない」
俺は自分のスマホの画面を彼に見せた。
「あんたが盗撮してるところから今まで、ずっと録画してた。さっき『君もだろ』って言ったよな? その音声もばっちり録音されてる」
男は色を失った。がくりと肩を落とす。ごまかしきれないと悟ったようだった。
「今回で何度目だ?」
「は、初めてだよ……」
「嘘じゃないな? 嘘だったら、あんたネットで有名人になるぞ?」
「本当だよ……!」
初犯ということらしい。常習犯だったら警察に突きだしてやろうと思っていたが、それならば一度だけは見逃してやろう。
「写真を消せ」
男は震える指でスマホを操作し、写真を消去する。
「……消したよ。クラウドからも」
「それでいい」
「そっちは消してくれないの?」
「当たり前だ。また彼女に近づいたときのためにな」
「ち、近づかないよ……」
立ちあがり、そそくさと場を離れようとする彼を、俺は呼びとめた。
「待てよ」
「な、なんだよ。まだなにかあるのか?」
「どうして彼女を狙った」
「狙っただなんて……。ちょっと魔が差したというか……」
「あんたのことなんてどうでもいい。どうして彼女なんだ」
「それは……。可愛かったから……」
「……具体的に」
「
「てめえ……」
――分かってるじゃねえか。
「とっとと行け」
今度こそ彼は小走りで公園を出ていった。
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