第10話

 和樹は、赤い『天狗の面』を横目で睨む。

 対抗策を呼び出そうと、記憶がめまぐるしく回転する。

 銃だの弾だのに詳しくはない。

 だが、『神無代かみむしろ 和樹かずき』の魂の底に蓄積された記憶は違う。

 過去の知識から、生き延びるための策を探し出している。

 敵が持つライフル銃に、散弾と一発弾のどちらが装填されているかで、対抗策は変わるのだ。

 

 そうして考えている間も、赤い『天狗の面』はり足で近寄って来る。

 現実の世界では、散弾は射程距離が長い。

 武器に現実世界の法則が適用されているのなら、一発弾かも知れない、と思う。

 でなければ、敵が近付いて来る理由がない。


 この老人を抱えて、跳躍して弾を避け、攻撃に転ずることができるだろうか。

 『白鳥しろとりの太刀』が抜刀できるまで、逃げ回るしかないとしたら?


 このまま、屈んでいるわけにもいかない。

 和樹は、跳躍しようと足に力を込める。


 たが突如、頭の中に数字が浮かんだ。

 それは『五』だった。

 同時に、声が鳴る。

 言葉にならない声は、確かに岸松おじさんの声だ。


 和樹は、すべきことを悟る。

 敵は、五発を発射できるのだ。

 動いてはいけない。

 羽織っている白銀の表着うわぎなら、持ちこたえられる。

 あの御方から、授けられたこの表着うわぎなら、護ってくれる。


方丈ほうじょうさま、動かないでください!」

 和樹は叫んだ。

 同時に、銃の発射音が闇を裂く。

 背中を衝撃が貫く。

 内臓が飛び出るような衝撃だ。

 体の真ん中に、穴が開くような感覚が襲う。

 だが、痛みが無いのが救いだ。


 次に二発目が来た。

 体が押し出され、つんのめる。

 だが、老人を放してはいけない。

 

 三発目も、すぐに来る。

 両膝を付き、身を丸めて老人をかばう。

 今度は、体内を火花が走るような痛みが来た。

 信じられないが、喉元に火薬臭が広がる。


 そして四発目。

 後ろ髪をくくっていた紐が千切れ飛んだ。

 体が熱い。

 霊体の筈なのに、燃えているような熱さを感じる。

 

 五発目を撃ち込まれた時は、内臓が引き裂かれるような痛みが走った。

 生身の体なら、ショック死するような痛みだが、和樹は耐えられた。

 悲鳴を上げなかったのが、不思議なほどだ。


 銃撃に耐えきった和樹は、老人をそっと離す。

 鞘に収まったままの『白鳥しろとりの太刀』を両手で握る。

 振り向きざまに走り出し、鞘の先端を『天狗の面』に向ける。

 刃で斬ることは無理かも知れないが……



 突き出した鞘の先端が、『天狗の面』のあごに当たった。


(割れろっ……!)

 和樹は願う。

 

 その願いは届いた。

 赤い『天狗の面』は、派手な音を立てて縦に真っ二つに割れた。

 纏っていた藁束わらたばも、構えていたライフル銃も消滅する。

 地面には、真っ二つになった『天狗の面』だけが残った。

 それは、のたうつ毛虫のようにうごめいている。


 和樹はそれを拾い、片方を右側の塀の向こうに、片方を左側の塀の向こうに投げ捨てた。

 空気がビンと張り詰めたが、すぐに解け、目の前に巨大な山門が出現した。

 巨大な月は、その力を誇示こじするように、山門の真上に君臨する。


「ほぉ……そうやって倒す方法があったか」

 方丈老人は立ち上がる。

「お主の太刀で斬れずとも、真っ二つで『穴』に投げ込まれれば、浮かんでは来れまい……穴の底は果て無きごくじゃ。死ぬるには、千ほどの時間が掛かろう」

 

 老人は、おごそかに念仏を唱える。





「ふがっ…がっ」

 和樹は小声で叫ぶ。


「和樹!」

「無事か…!」

 父の裕樹と、おじさんが同時に応えた。


「何てこった…!」

 おじさんは、浴槽に突っ込んでいた腕を上げる。

「信じられん。ああ、お前に起きたことは、全部視えてたよ」

 荒い息を吐く和樹の手を取る。

「痛かっただろう……何てこった……」


「おじさん……おじさんが、敵の弾数が五発って教えてくれましたよね。どうして分かったんですか?」

 和樹がタオルで顔を拭いながら訊ねると、おじさんは泣きそうな顔で言った。

「はは……昔の知り合いが熊用の銃を持っててな。そいつは、いつも五発分を装填してたんだよ。それで何となくだが……当たってて良かった」

「……そうでしたか、と父が言ってます」

 

 和樹は、両者を見比べながら言う。

 おじさんの勘を誉めるべきか、おじさんの知り合いに感謝すべきか。

 とにかく、二戦目も無事に乗り切ったのだ。

 背中に手を回し、傷が無いのを確認する。

 

「和樹。すまん……父親なのに、何も手助け出来ないとは……」

 裕樹は顔をぐしゃぐしゃにして、息子の無事を確認する。

 そして、ひと通り嘆いた後、また父は浴槽深くに去った。

 

 醤油さしに湯を吸わせた後、和樹はおじさんと風呂場を出る。

 母は、録画したカウントダウンコンサートをリピートしていた。

 風呂場での出来事に気付いた様子はない。

 和樹たちは、おやすみの挨拶をして、部屋に戻った。

 体を横たえ、消灯して、暗い天井を眺める。


「和樹……ひとつだけアドバイスするが」

「何、おじさん?」

「風呂の湯を入れる醤油さしだがな……予備をいくつか持っておけ」

「予備を?」

「お前の他に、必要になる人が出る気がするんだよ」

「本当に?」


 和樹は、顔を上げる。

「……ひょっとして……蓬莱さんにも渡した方が良いかな?」

「その子が、災いの中心か……お前の『運命の恋人』か?」

「恋してるわけじゃないよ。良い人だけど、家族のことも知らないし……」

「向かいのマンションに住んでるんだったな」

「でも、うちの窓から見えない部屋。毎日、会うことが出来ないから心配だよ」

「……なあ、和樹」


 おじさんが、ほーっと息を吐くのが聞こえた。

「おじさんは、幽霊を視ることは出来ない。感じることは出来るが、話も出来ない。その人の進むべき道をアドバイスできる程度だ。だが、今夜『死後の世界』を視てしまった。おじさんは無力に近いが、困ったことがあれば、相談してくれ」


「はい、おじさん。嬉しいです」

 和樹は微笑む。

「生きてる味方が居るのは、心強いです」

「そうか。ああ、お前の醤油さし……貰って行って良いかな?」

「はいっ。朝にお渡しします」


 言ってから、後悔した。

 こんなことなら、醤油さしを二つ用意すべきだった。

 だが、明日も父は浴槽に現れるだろう。

 一日ぐらい、自分の手元に無くても大丈夫だろう。


 


 そして年が明け、隣の久住家にも挨拶をした。

 その後、久住さんと蓬莱さんと一緒に、塾の講習に行く。

 蓬莱さんの後頭部にくっ付いていた『天狗の面』は消えている。

 ひと安心だが、いつ次の『悪霊』が来るか分からない。

 おじさんのアドバイスに従い、醤油さしをいくつか用意しておこう。



 午後に帰宅すると、おじさんは居なかった。

 スーパーで買った握り寿司セットと、お年玉を置いて行った。


 こうして、母と早目の夕食を摂り、元日は平穏に過ぎた。

 だが、それが長く続く筈がない。


 災いは、思わぬ方向からやって来た。

 事件は、十日ほど後の、裕樹の月命日つきめいにちに起きることとなる。 

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