第八話:武士は食わねど

 自身の舎に戻った信守は、隙間風のわずかな変化を察知した。そして自身の机上に干し柿が一個、紙を下敷きに置かれているのに気づいた。

 が、自身は水盃を干しながら、何事もないかのように振る舞いつつも、


「いかな二割にしても、少な過ぎるのではないか?」


 などという揶揄を、部屋の片隅へと投げて寄越す。

 斜め後ろに、気配が浮いて出た。

 亥改の娘。

 衣擦れと、あと微かに金物の音もする。殺す気だったか。否、いつでも手にかけられるという意思表示をして、主導権を握りたいだけであろう。


「無茶を言うな、元より我らの成果など信じていなかったくせに」

 明け透けな物言いに、フと信守は笑みを漏らした。

「たしかにな。だが、俺の思惑とお前が呑んだ条件とは、また別の話ではないか」

「……だから、その詫びに来た。運び入れる手立てはない。皆も言うことを聞かない。せめてこれだけはと思い、届けようとな」


 信守は柿の下に敷かれた紙片を抜き取った。

 そこに書かれた文面を一読するや、

「上出来よ」

 と誉めた。

 だが、娘は机上に投げ出された干し柿に呆れた様子で目を遣り、

「干し柿に毒など入れるか。せめてそれぐらい食ったらどうだ?」

 と言った。

 信守は冷ややかに黙した。


「あんたの様子を遠目に眺めていた。あんた、部下には飯を盛るだけ盛っておいて、自分は水盃だけで済ませてるだろ」

「腹がちれば思考も狂気も鈍るのでな」


 我ながら矛盾していることを口走っている、と信守自身思わないでもない。

 だが、およそこの世に整合性や一貫性を求めること自体が誤りである、というのがこの若武者の行き着いた結論でもあった。

 ゆえに己は好きなように振る舞い、己が考えのままに望む存分の戦をする。


「殿、由々しき仕儀が」

 そう言って幕内に侵入してきたのは、砦内を巡回、かつ特定の人物を監視に当たらせていた侍大将壬岡みおか鹿持しかもちである。

 いかにも少壮の血気も相応の思考力も持ち合わせる戦国の武者というところで信守よりかは二歳ほど上である。


 断りのみを入れ許しも得ずに主君に寄ったこの男は、隅に控える小娘に眉を顰めた。だが、にわかに斬りかかるような浅慮な真似はせず、だが絶えずその視線は少女に定めたままに、急報を耳打ちした。


 信守にとってはさほど驚くべき報ではなかった。

 予期し、かつ待っていたものであった。


「そうか。では譴責に参るとしようか……おい、娘。面白い見世物が見られるぞ、ついて来い」

「……我のことか」

「戦場にお前以外の娘などおるまい。名を明かさぬからそう呼ぶよりほかない」

「ではよもぎと呼ぶが良い」


 信守はまた皮肉げに唇を歪めた。

 言わずもがな、本名ではあるまい。女海賊の投げやりな視線の先に、隙間に伸びる蓬草が在る。

 どこにでも生えて現れる、生命力の逞しい薬草である。ぞんざいな自称ではあるが、その名も付け方も、いかにもこの娘らしくもあった。


 〜〜〜


 蓬。そう名乗った時、娘は初めて亥改の女として以外の己の立ち位置を見出した気がした。

 部下に先導されていくこの男も、何やら妙に吹っ切れて狂人として振る舞ってより後、そういう心境であったのだろうか。

 男たちの背に伴われて向かった先、兵糧を納めた蔵には、かすかに灯がついている。

 実のところ、蓬が侵入する時点で同じような状態となっていた。

 忍び入った連中は念入りに警戒しているつもりなのだろうが、それでも隠密行動に不慣れなのを証明づけるに充分な、拙い光量と時間である。


 声と音とを押し殺して壬岡と信守と蓬は、蔵の戸口に歩み寄り、中の様子を盗み見た。


 少女は齢十五になるが、それでも多くの悪党を見てきた。

 だがそこにいた者ほど、蓬は醜悪で惨めな者らを見たためしがなかった。


 居たのは、あの地田なる武将とその近従であった。

 あらたに飯を炊く技能さえないのだろう。彼らは宴の残飯らしきものをかき集め、めいめいに鍋や椀などを抱え込み、箸を手にする手間さえ惜しむかのように、無我夢中で、あるいは陶然となって粥を手で掬って掻き込んでいた。そこには自身で高説を垂れていた武士の尊厳など、一片も無かった。

 地獄の餓鬼とは、なるほどかくもおぞましき姿であるのかとさえ思った。


「……まさか、ただの一夜とさえ自制できんとはな」

 信守の呟きには、ぞっとするような冷たさがあった。はっと顧みるほどの圧があった。

 たしかに口端は吊り上がっていたが、眼には暗い憤怒の情が宿っている。


 びくりとして盗人どもが守将を顧みた時にはすでに、そこに浮かんでいたのは純然たる揶揄ではあったが。


「これはこれは。地田卿におかれては見事に帝の臣たるを示されましたなぁ」

 多分に毒を含んだ前口上とともに信守は、戸口より踏み入り散らかされた什器を見渡した。

「なるほど他人の富や功績を恨み妬み、それを掠め取らんとしたコソ泥の、第六の子分に相応しい、畜生にも劣る浅ましさよ」


 もはや、地田綱房に反論の余地などなかった。できようはずもなかった。他人に対してどう言い繕おうとも、その振る舞いは盗人自身が知っていたのだから。

 わっと器を投げ打ち、顔を袖や掌で覆いながら、侍の姿をした乞食どもは信守を押し退けて逃げ出した。

 だが、この包囲下では外に出ようとも出られまい。自身の宿舎に逃げ込み、明日よりの味方の白眼視から必死に避けていくのが精々であろう。


 声を放って信守は笑った。

「待て下種どもが!」

 太刀を引っ提げ追わんとした壬岡を制した。


「放っておけ」

「しかし、このままみすみす……!」

 と言いさした男は、主人を顧みた瞬間に沈黙した。

 それほどまでに、初見にて判別が適うほどの剛の者が絶句するほどに、信守の狂笑は凄まじい魔性と凄惨さを帯びていた。


 思わず半歩退いた壬岡と蓬に、不自然なまでにその顔を傾けて、下から刃物で掬い上げるごとき目つきにて、

「どうした、連中の所作、笑えたであろう? ……笑えよ」

 と言った。

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