Song.26 緊急

 紙に書かれていたのは、恭弥の家族が事故に遭い、病院へ運ばれたという内容だった。それを読むと顔が一気に青ざめた恭弥は、信じたくない内容に何度も紙と教師を交互に見ている。


 それを後ろの席に座る鋼太郎は、明らかに怯えている恭弥を見て目を見開いた。その理由は何だろうと、手に持っていた紙を覗きこむ。


 角度のせいで一部見えない箇所もあったが、鋼太郎が読めた単語は『ご家族』、『事故』、『病院』。それだけをつなぎ合わせれば、あらかた想像がつく。


 恭弥は震えながらも、小さな声で「違う」、「そんな訳ない」と自分自身に何度も言い聞かせる。


「急いだ方がいいだろう。全部荷物は持って、すぐに行きなさい」


 2度目の教師の言葉で、恭弥は口を固く結ぶと、渡された紙をくしゃっと握りポケットに入れる。そして顔をゆがめながら机の上に広げていた勉強道具をバッグへしまい、窓へと立てかけていたベースを持って立ち上がった。


「おい、野崎!」


 鋼太郎が立ち上がって恭弥の手首を掴んで呼び止める。

 恭弥は振り向かなかったが、その足をいったん止めた。


「俺、いつでも話聞くから。だから……」


 戻ってこい、とそう言おうとしたが最後まで言い遂げることなく、手を振り払われてしまう。


 恭弥はそのまま勢いよく教室の扉へ向かうと、普段と違って乱雑に肩にかけてしまったベースのヘッドが思いっきり扉にぶつかる。ドアが外れるほど大きい音であったため、クラス中がビクンと反応したが、恭弥は止まることなく教室から出て行ってしまった。


「野崎……」


 なりふり構わず去っていく恭弥を見送るしかできなかった。

 クラスは何があったのかとどんどんざわめきが大きくなり、彼らの勝手な想像が言葉になって膨らんでいく。


『授業サボりすぎて退学処分なんじゃね?』

『いやいや、犯罪とかかもよ。ほら、何も言わないし不気味だし』

『話したことねぇけど、何考えてるかわからねぇ奴だしな』

『きっと、御堂くんを盗った罰よ』

『神様に嫌われているんじゃない? 前世でやらかしたとか』


 男女問わず、教室を飛び交うそんな声がいやでも鋼太郎の耳に入った。


 今回バンドを組むことになるまでは、鋼太郎も恭弥と話す機会はなかった。それゆえ、恭弥のことをあまり知らなかった。


 普段から単独行動をしていた恭弥はもともと誤解されやすい。

 鋼太郎も積極的に人と関わるタイプではなく、見た目からも人に避けられていたいたので、誤解されることが多々あった。だからこそ、似た者同士という点からも恭弥に興味をもった。


 顔色悪いまま学校へ来ては、しょっちゅう姿を消す。

 たまに授業に出たと思えば、悲し気に窓から遠くを見つめている。

 何を見ているかと視線の先を追っても、蒼い空が広がっているだけ。

 ただただ、不思議な人だと思った。


 そんな中、アルバイト先で恭弥に会った。

 いつもの悲し気な顔と違って、今にも死にそうな顔をしていたから心配になった。

 その後一緒にバンドをやることになり、練習をしていくうちに、表情が明るくなっている。きっと音楽が好きな人なのだとわかった。


 人は関わらなければ、何もわからない。

 恭弥に関わってみれば些細な事でも顔に出るほど感情豊かで、それを音楽に活かせるほどの隠れた才能を持っていることを知った。


 共に練習しはじめてからは、授業中だけでなく練習時間も恭弥を後ろから見ていた。

 周りをよく見て動き、最善の方向へ向かわせるために、そしてバンドに荒波を立てないように言葉を飲み込んでいる姿を。


 曲のことで相談したいと言えば、恭弥は親身になって聞いてくれる。そうして教室でも話すことが多くなっていった。


 しばらくすれば、恭弥が言いたそうにした飲み込んだ言葉が薄々わかってくるようになる。

 だから恭弥を代弁するかのように、鋼太郎が発言すると、ぱあっと恭弥の顔が明るくなる。

 恭弥のことを「顔に出やすい」と思ったのはこの時からだった。


 そのようなことがあったために、恭弥が何かを隠していることは薄々わかっていた。

 でもそれを無理に聞き出したり、周りに反論すれば、また恭弥が死にそうなほどの苦しい顔をするだろう。

だったら傷付かぬように守ろうことに呈した。


 だが今、先ほどの表情。死にそうな顔で出ていった恭弥。

つい先日起きた揉め事で気を落としてることを心配していた上に、家族が事故に遭ったとの連絡。


いくら動揺しているとはいえ、顔を見ることも反応することもなかった恭弥。


鋼太郎は何一つ、恭弥を守ることは出来ていなかったことに悔しさを覚える。


そして今、ありもしないことを噂されている。

鋼太郎は恭弥が苦しむ理由を知っているが、それをここでクラス全員に言うわけにもいかない。

そうなれば、本人がまた、苦しむかもしれないから。


「適当なことを言ってんじゃねぇよ……」


 恭弥のことを何も知らない、何も知ろうともしないクラスメイトたちに苛立ちが募る。


 だけど、強く言い返すこともできない。

 また、自分が何かを言ったところで、クラスの空気が変わるはずはないと諦めもある。


 何も出来ない自分へ対する苛立ちからチッ、と舌打ちをし、目を窓の外へ向ければ、恭弥がよく見ていた真っ青な空が広がっていた。


「片淵。席に着け。ほらほら、全員静かに。授業再開するぞー」


 教師がパンと手を叩き、授業を仕切りなおす。

 鋼太郎は悔しそうな顔をしながら座った。他の生徒たちも「えー」と文句を言いながら、前を向きなおし、しぶしぶ授業を受けるのだった。



 ☆



 教室を出た恭弥は、廊下で篠崎と会った。

 いつものへらへらとした顔ではなく、眉間に皺を寄せた篠崎に。


「送っていく。自転車より、そっちの方が早いし。詳しい話は車の中でしよう」

「……は、い……」


 篠崎は急ぎ足で階段を下りていく。恭弥の足取りは重かったが、胸をぐっと抑えながら昇降口へと向かった。


(やっぱり、俺のせいで……俺が音楽を。こんなことしてるから、だからっ)


 頭の中で今朝の夢がよみがえる。

 いつも背負って登下校し、練習では肩にかけて慣れているはずのベースが何倍にも重く感じた。



 教職員と生徒が出入りする場所が違う。

 恭弥の足が遅かったこともあって、先に篠崎が外へでて生徒用昇降口で待っていた。


「俺の車、こっちだ。このまま直行するぞ」


 言われるがままに篠崎の車の後部座席に乗り込む。

 もともと大きくはない車、ベースを持っていることもあって一層狭いようだった。


 黙ったまま動き出す車。

 学校を出て、大通りを走って行く。

 後方を写すミラーにうつった恭弥は、固く口を結びながら自分自身を抱きしめる姿を写す。


 そんな恭弥へ、篠崎が恭弥を連れ出した理由を話し始めた。


「昼過ぎだ。おそらく、歩いて出かけるところだったんだろう。後ろから来たワゴン車と接触。そのまま救急車で運ばれた」


 淡々と話す篠崎。


「本人は大丈夫って言っていたらしいが、念には念をってことだ」


 外は太陽が輝いていて暑い。朝から日の当たるところに停めてあったので、車内もまだ暑い。

 しかし、恭弥の背中には暑さではない理由で汗が流れる。


「悪いな、俺も詳しくは聞けてないんだ。だからわからないことも多い。だが、お前の過去を知ったからこそ、早く言うべきだと思ってな」


 信号で車が止まり、篠崎が体をひねって後部座席の恭弥を見る。


「それと……申し訳なかった。つい余計なことをあいつらの前で話して」


 頭を下げ、恭弥に謝罪をする。今までに見た事のない顔で。

 そのまなざしに、虚ろな目を外へ向けたままの恭弥がやっと声を出した。


「別に、もう、いいです」


 落ち着いた声だった。だが、これ以上の会話を拒むような声でもあった。


「全部、俺のせいだから……」


 ぼそっと呟いた声は篠崎の耳にも入る。

 だか篠崎は黙ったままゆっくりと前を向きなおし、ハンドルを強く握ると、青に変わった信号を確認して車を走らせるのだった。

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