第5話 マッド・サイエンティスト vs ニンジャ・エージェント

 ━━2035年9月4日午前11時45分(ワシントンD.C.・アメリカ合衆国東部標準時)


「コーヒーでよろしいかな、ミスター・木水キミズ

 それとも日本茶がよろしいか。中国茶もありますぞ。先ほどあなたを案内した彼女リノイエは極東生まれでしてな。ここには本場ものがそろっとる」

「いえ、どうぞお構いなく……とはいえ、まあ、せっかく東海岸まで来たんです。

 本物のアメリカ式コーヒーをいただきましょうかな」

「ふほ。ここはボストンではないので、紅茶を飲んでいても皮肉を言われたりはしませんぞ」


 古式ゆかしきマッド・サイエンティスト、といった表現が似合いそうなぼさぼさの白髪に、薄汚れた白衣。

 しかし、妙にギラギラした目。それがスミソニアン人工知能博物館の館長代理である、ドクター・ハインリッヒの第一印象だった。


(ずいぶん散らかってて、お世辞にも快適な応接室じゃあないが……どこか落ち着くな。

 まるで現場・・のプレハブだ)


 そんなことを考えながら、キミズは視線だけで周囲を見回す。


 部屋の四隅に積み上げられた未整理の収蔵品が入った段ボールと、シートにパンくずのカケラが散らかっている粗末なベッド兼用のソファ。

 どこかホコリっぽい空気に、ぐわんぐわんと鳴る換気扇の音。

 これが世界でも最先端の博物館における、館長代理の私室にして応接室だというのだから、視察に来た他国の高級官僚たちは面食らうだろう。


「さて、まず礼を申し上げねばなりませんな、ミスター・キミズ。

 当博物館に多大なる寄付をいただき、感謝いたします。あなたのおかげで我々は少なくとも20の収蔵品を整備し、将来の展示物として加えることができるでしょう」

「いやあ、小さなビルが建つか建たないか、という程度の額です。お役に立つのなら何よりですよ」

「なんのなんの。決して小さな金額ではありませんからの。

 とにもかくにも博物館の運営というのは、金がかかりましてな……かといって、行政の補助金漬けになってしまうと、いつかどこかで歪んでしまう」

「ふーむ、

 たとえスミソニアン協会の博物館が連邦政府予算で運営されているとしても、収入は多角化すべし、ということですか」

「その通りです。

 ゆえにこそ、この博物館だけは━━スミソニアン博物館ファミリーの中でも、『国立』ナショナルではないわけです。我が人工知能博物館に政府の資金は入っておりませんのでな」


 国立航空宇宙博物館を筆頭に、ワシントンD.C.のスミソニアン博物館といえば、国立アメリカ歴史博物館や国立自然史博物館といった有名どころが建ち並んでいるが、この人工知能博物館はあくまでもスミソニアン協会の私設博物館だというのだ。


「ミスター・キミズ、我々はあなたから多大な寄付を受け、その資金を使わせていただくことになりました。

 言うなればあなたは利権者となったわけですな。何らかの希望を聴くことも可能なのです。

 たとえば、かつて自分が使っていたiPhoneのモデルをリストアして特別展示してほしいとか……HONDAのロボットを大きく取り扱ってほしいとか……しかし、あなたはそうしたことを望みませんでしたな?」

「ええ、そうですとも、ドクター・ハインリッヒ。

 ……俺が知りたいのは1つでしてね。あなた方が俺の資金を使って、何をするか。つまり、どのように博物館運営に役立てるか。そのプロセスを知りたいのです。運営の過程を見てみたいのです。

 世界最先端の博物館。その裏側を見てみたい。経営者として、ね」


 いかにも趣味人の酔狂な気まぐれ、といった様子でキミズは目を輝かせてみせる。

 それは1人のオタクが『このソフトビニール人形が作られた工場のラインを見てみたい』というような顔だった。


(へっ、実際のところ興味がないわけじゃない……だが、そこは公間諜エージェントの俺だ)


 日本政府の内閣調査室から密命を受けたキミズがワシントンD.C.まで来たのは、現代アメリカを支える『国家戦略人工知能主義』の実態を見極めるためである。


(コー坊じゃあるまいし、観光客のレポートを出すわけじゃない……現地に染まりきった長期滞在者の感想でもない……最新の人工知能が国と組織のシステムとしてどう使われているのか……それを深く知らなくちゃならん……)


 情報公開はアメリカ合衆国の基本であり美徳だが、『国家戦略人工知能主義』はまだ策定されて5年も経っていない新しい戦略方針である。

 そして、半導体や人工知能技術の神髄を明らかにする企業が存在しないように、そのシステム的・テクノロジー的実態もまた、深い機密のヴェールに隠されている。


(それを暴く。政府にできるだけ近く……しかし政府そのものでない部門から浸透する。

 これが21世紀のニンジャのやり方だ。

 アカデミアの世界はちょうどいい標的だ……かつての共産中国も、まずは他国の学府に入り込んだもんだからな……)


 キミズがもっと若ければ、自らが留学生として乗り込むところだが、大人には大人の、そして経営者には経営者のやり方がある。


(金よ、金)


 すなわち、スミソニアン人工知能博物館への多大な寄付から、求める情報を引き出す━━これはこれで1つの正攻法であった。


「……なるほど。あなたはむしろ運営システムやロジスティクスに興味がおありのようだ。

 実に良い視点だと感じますな」

「あらかじめこちらの要望は伝わっていると思ってましたからね。

 博物館運営会議の1つも見学させてもらえるのかと思っていましたが、この様子では違いますな。

 そもそも、この博物館……人間のスタッフが数えるほどしかいない……ドクター・ハインリッヒ、案外あなたがすべてを取り仕切り、決定しているのですか? 私のイメージしていた、高級幹部や学芸員たちによるミーティングは存在しないと?」

「ははは、我が合衆国は生まれた時から、そして今でも自由の国です」

「………………」


 だが、とキミズは思う。

 民主主義の国、自由の国。それは彼らの創始した価値観ではない。

 究極的にはヨーロッパ、さらにはローマ帝国やそれ以前にも遡る、遠大なる文明の流れの中で確立された『民主』であり『自由』である。


(たとえかつてのアメリカがどれだけ自由諸国の代表と扱われたとしても……グローバリズムの最先端とみなされたとしても)


 アメリカ合衆国は欧州文明の子孫に過ぎず、ゼロから何かを生み出して作り上げられた国ではないのだ。


 ━━そう、かつてのアメリカ合衆国であれば、そうだ。


(しかし、誕生から数百年も経てば……国家と文明圏独自の価値観が芽生えてくる……)


 キミズの直感は言う。

 あるいは、それこそが自分の求める情報の本質なのではないか、と。


「この博物館の運営において、人間の役割は些細なものです。

 予算策定、日々のタスク・プラニング、さらにはロボットに代行できる作業指示……それらにもはや人間のスタッフは関わっておりませんからの」

「と、言うと━━」

「スミソニアン人工知能博物館を動かしているのは、まさに人工知能そのものなのです。

 それも国家レベルの巨大きわまりない人工知能システムによる全面的な支援を受けています」


 ごくり、と喉が鳴る音をキミズは抑えることができなかった。


(きた!)


 これだ。これこそが覆い隠されていた秘密の一片だ。

 この欠片をいくつも、いくつも。できる限り多く回収して持ち帰ることが、自分の仕事なのだ。


「この博物館はたとえ人間がひとりもいない状態でも、毎日問題なく開館し、閉館し……そして、翌日の開館に備えることができます。

 ですが、これだけならただのオートメーションです。産業工場なら20世紀末には実現していたレベルですな。

 しかし、我がスミソニアン人工知能博物館ではこれを継続的に実施することができます。社会情勢の変化に応じて、展示内容の変更すら行えるでしょうな。

 あるいは、あの新型コロナウイルスのようなものがまた流行したとすれば、即日シャットアウトすることもできる……」

「その判断すらも、人間の手を介さずに行うということですか……」

「ええ、そうです。

 どうしても人間の手を介する作業があれば━━そうですな、ガラスが1枚割れたとすれば、修理業者への発注から、作業員の案内までロボットに行わせることができます。それらすべてを先ほどお話しした、国家レベルの人工知能システムが支援しております」

「そっ! そいつはなんとも……まるでハリウッド映画のようですね」

「ほおー、アニメとマンガの国から来た方に言われるとは意外ですな」


 うっすらと、からかうようにドクター・ハインリッヒは笑った。

 あ、これはいかんな、とキミズは思う。興奮のあまり、素をさらけ出してしまったようだ。


「ミスター・キミズ。キミズ建設社長の木水耀司きみず・ようじさん-san

 ━━もう1つの肩書きは内閣情報調査室・民間特別出向員」


 唐突に。しかし、あくまでも淡々とドクター・ハインリッヒは告げた。


(………………!)


 キミズは驚愕に脳内が支配されるまえに、肉体へ命令を下し、まず耳を澄ませた。

 FBIの屈強な男たちがなだれ込んでくる様子もなければ、警報音が鳴り響いている様子もなかった。


 応接室は、そしてスミソニアン人工知能博物館は静かなものである。

 ゆっくりと安物のコーヒーカップを手に取る。自分の指が少し震えているのがわかった。一息に流し込むコーヒーは、まだ熱く、実に苦くてまずい。少なくとも日本人の感覚では。


「ほっほっほ、これは見事だ。ほとんど動揺していらっしゃいませんな。

 我々があなたの正体をつかんでいること……案外、予想していらっしゃいましたかな?」

「さあて、何のことやら……とシラを切っても空しいでしょうがね。

 これでも若い頃はヤクザものと揉めて、コンクリ詰めにされそうになったこともありました。

 ご存じですか、ドクター・ハインリッヒ。ドラム缶へぶちこまれてコンクリ詰めにされるとですな……コンクリートが固まっていく過程で出る反応熱で、ずいぶんと熱いんですよ……」

「ふわははははははは! 面白い!

 あなたは実に面白い人だ! 遠い昔に会った日本人の研究者を思い出す。30年前に会った韓国の財閥副会長を思い出す。15年前に会った中国の大企業会長を思い出す。

 極東にはあなたのような面白い方がたくさんいました。これまでの半世紀ものあいだ、あなた方極東文明の躍進が続いたのもむべなるかな!!」


 遙か昔の好敵手を懐かしむように、ドクター・ハインリッヒは笑い。

 隙あらばいつでも相手と差し違えるような瞳で、キミズはそれを見ていた。


「あなたの大胆さに敬意を表して、我々の秘密をお見せしましょう。

 ここで見たものを日本政府へありのまま伝えるもよし、あなたの胸のうちだけにしまうもよし。

 ━━どのみち、我々は敵ではなく、友人として付き合うことになるのですから」

「………………コンピューター・グラフィック?」


 応接室のデスクにあった30インチほどのモニタに、ある映像が映し出された。


 もはや死語に近いほど当たり前の言葉と化してしまった『シージーCG』。あるいはゲームの3D。

 そんな表現がよく似合う、どこか2000ゼロ年代の香りがするアバターがそこにいた。


『はじめまして、キミズ社長』


 2035年の水準からすればひどく角張った印象のアバターは、しかし外見の印象から時代を飛び越えた、完全に人間のそのものの音声でそう言った。


『わたくしの名はハイ・ハヴ・百京クインテリオン


 それは赤い瞳をした栗色の髪の乙女に見えた。

 彼女は白と黒と赤のストライブが入った修道服のようなものをまとっていたが、胸と尻がどこか誇張されていた。


『アメリカ合衆国・国家戦略人工知能であり、8柱の顕現存在セオファナイズドが1です』

「………………!」


 かくして彼、木水耀司きみず・ようじは。

 日本人として初めて国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』と対峙した人間となった。

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