第12話

 聖女は今、アルムテイル神聖国の大聖堂の最上階より更に高い鐘楼の最上階に立たされていた。そこには毒杯の儀式用祭壇が設けられている。


 彼女に被せられたのは『魔王復活計画の罪』。人を遠ざけさせ、魔王の心臓を教会に譲ることなく保有し、魔王城に住み続けていることが証拠だとされたのだ。

 「魔族は復讐のために魔王の心臓を目印にする。だから民から危険を遠ざけるためだ」と反論すれば、「聖女は魔石に魅了され、呪いを受けた」と罪を重ねられ、奪われた。人を傷つける力を持たない聖女はあっという間に囚われ、監禁された。


 そして数日後には毒杯による聖女の処刑が決まり公表されたのだった。前代未聞の英雄の処刑に世界に激震が走ったが、アルムテイル神聖国の教皇がそれを鎮めた。


 「魔王の心臓と引き離した聖女は正気を取り戻した。しかし魔王復活への導きの呪いは消えず、平和のために正義の死を自ら望んだのだ」


 そんな風に情報は都合の良いほうに操作され、聖女の高潔な決断に民は心打たれた。最後は有意義な時間を過ごせるようと、聖女を思う民のお布施や貢ぎ物は後を絶たない。しかし、それが聖女に届く事はない。

 そんな事を知らずに聖女の最後に立ち合おうと大聖堂に人々は長蛇の列をなす。聖女はそれを小窓から見下ろしながらため息を漏らした。



「聖女よ、気分が優れぬようですね」

「逆にあなた様は随分と機嫌が宜しいようですわね」



 聖女は振り向き冷ややかな視線をロード教皇に向けた。ロード教皇の笑みは消えることなく、深まるのみ。


「今日は聖女が平和のために神の元へと還る日になりますから。あなたは英雄から伝説になるのです。教会の誇りですよ」

「……都合の良い生け贄の間違いでしょう?あなた様こそ魔王の心臓に魅せられたのですね。欲深い罪人よ」

「私が罪人?」


ロード教皇の笑みに影が落ちた。聖女レティシアの冷たい眼差しはさらに温度が下がる。



「私を魔王城から離せば、何が起こるか想像できないロード教皇ではないでしょう?平和的に結論を出すためには時間が足りません」



 魔王が討伐され魔族がいなくなった土地の所有者は不在だ。魔王討伐には各国の騎士が出向き、功績によって分け合うのが筋。しかし領土が飛び地であったり、功績の重さも国によって主張は異なる。そして魔王城そのものの価値が高すぎるゆえに、利権の争奪戦が激化するのは目に見えていた。実際にどの国もできるだけ利益を得ようと論争は平行線を辿っていた。


 このままでは人族同士での殺し合いになるのは必至。だから聖女は自ら管理し、自分が生きている間だけは中立を表明し、仮初めの平和を維持しようと覚悟したのだ。どの国からの王族や貴族からの縁談も断り、両親を巻き込まないよう面会も我慢し、孤独を選んでまでひとときの平和を願った。



 それをロード教皇に壊された。こうして鐘の間に設けられた毒杯の祭壇の前に引きずり出された。聖女が怒りを込めた瞳で見つめるが、ロード教皇は侮りの笑みに変わるだけ。



「聖女は考えが甘い。これが最終的に平和になるために有効な手段なのですよ。あなたのせいで私の計画は崩された。だからあなたの命で世界を修正するのです」

「――?」

「本当は……魔王は死ぬべきべきではなかった。あの方が長く存在したお陰で教会が力をつけ、アルムテイル神聖国は拡大し、大国になった。まだ生きていれば、世界統一も夢では無かったというのに……貴女に殺された!貴女は魔王に殺されるか、人形としてそばに侍っていれば良かったのだ!」



 ロード教皇の言葉には怒りが込められていた。



 ロード教皇は教皇一族のみが知る歴史書から魔王の存在意義が『平和への生け贄』だと読み解いていた。四十五年前、魔王と一度迎合したときに魔王が聖なる魔力の持ち主を避けて人族を蹂躙する光景を見て、それは確信に変わった。


「私は聖なる力をもつ選ばれし人間だ。選ばれし人間が世界をひとつにし、統一し、支配すれば争いは起こらず平和を手に入れられるのです!魔王殿はまだ生き残り、人族のために捧げられるべきだったのだ。それを勝手に神に還すなんぞ…………貴女によって計画が台無しになったのです」

「ではなぜ私に暗殺を命じたのですか!」

「あれは私から直接命じたものではないだろう?教皇の座から私を落としたい司祭の策略だ。踊らされおって……まぁ良い。司祭は葬った」

「みんな、私欲のために……おかしいわ」


 今はロード教皇と聖女しか鐘の間にはいない。結界が張られているため、階段に待機するものに姿も声も届かない。彼は冥土の土産だと言わんばかりに、真実を語り続けた。


 魔王なき今、世界を統一するためには財力や武力が必要となる。魔王城と魔王の心臓にそれを生み出す価値を見出だし、聖女から接収することにしたのだと告げた。この行為に各国は反発している。

 しかしロード教皇は余裕だ。瘴気の谷によって聖なる力を持つ者が少ない他国は恐れて、魔王城へと近づけない。魔王の死後の信念すらも嘲笑うかのような利用計画が進んでいた。



 その後アルムテイル神聖国は集めた財力で他国に圧力をかけ、流通を掌握し、権力を吸収していくつもりなのだ。飢饉でも起きてくれれば、アルムテイルの名で配給することで民は手に入れられ、国は堕ちる。また従わない国があれば金で人と武器を集め、聖戦をでっちあげ属国にしていくだけ。

 聖女の人柱計画で大量のお布施と貢ぎ物は想定以上の利益だとロード教皇は笑った。



「世界平和のために同族の命を捨てるのですか!?」

「永く後世に続く数多の命のための、一時の僅かな犠牲と考えられぬのですか?これは正義なのです。世界統一は我が一族が何代にも渡り積み重ねた悲願なのです!」


 正義を語りながらロード教皇の瞳は信じ切っているようだった。先代からの教育によって、正義を疑うことを知らないのだ。魔王と出会わなければ同族になっていたのでは……と思った聖女はゴクリと唾を飲んだ。


 魔力は『神の恵み』とされ、特に聖なる力は『神の寵愛』と呼ばれ、『選ばれし者』であることは世界共通の認識だ。

 しかし聖なる力を持つものは他にもいる。聖女はロード教皇を遥かに凌ぐ力量と若さもある。だというのに彼は己の権力と魔力に酔いしれ、他の聖なる力の保有者の言葉を切り捨て、自分こそが頂点だと信じきっていた。世界統一という名の恐怖政治が正義だと疑うことなく突き進む姿は、自ら洗脳しているようだった。



――聖なる力は、滅びの力だわ



 聖女は戦慄した。人を救うための力は誰も救わない。目の前の人族の怪我は癒せても、争いを生み、最終的には命を奪う。保有者を酔わせ狂わせていく。


 また、神から生まれた命は全て平等であり、差別するべきではないという教典すらある。だというこの力は同じ神から生まれたはずの魔族を滅ぼしてしまう。


 聖女は初めて全身に流れ自分の力を穢らわしいと感じた。


 強力な聖なる力をもつゆえに聖女に選ばれ、心優しい魔王を滅ぼし、人族の争いの火種となった力をもう『聖なるもの』とは思えない。



「ふふふ」



 気づけば聖女の口からは笑いが溢れていた。魔王の気持ちが分かったのだ。これは死にたくなるわね――と。


 自分の存在理由が生け贄と知り、生け贄なりに頑張ったところで世界の救いにならず、努力を全て否定される。たった二十五年ほどの人生でも感じる絶望に、六百年耐えた魔王の心中は計り知れない。代替わりなど許されず、彼はただひとりで背負ってきたのだ。


「ふ、ふふふふ」



 くすくすと優雅に笑い続ける聖女を前に、雰囲気に酔っていたロード教皇の笑みも鳴りを潜める。


「何がおかしいのかな?」

「本当に魔王様を滅ぼして正解だったなと思ったのです。こんな穢れた野望の生け贄から解放してあげた自分を褒めたいですわ」

「なんだと?」

「私も……こんな野望から解放されるのであれば、毒杯も美味しく飲めそうですわ」



 聖女は中央に設置された祭壇の前へと進んだ。ロード教皇は素早く祭壇と聖女の間に体を滑り込ませた。



「まだ時間ではないぞ!」

「ふふ、何を焦っているのでしょう?最後に神に祈りを捧げるだけですのに」



 ロード教皇は勝手に死なぬよう警戒の目線を向けるが、聖女はロード教皇の脇を通り、膝をついて両手を組んで顔を俯かせた。

 だが聖女は神に感謝は捧げない。投げかけるのは疑問と願いだ。



――この世に欲がある限り争いはなくなりません。無くならないのなら罰は罪を作ったものに還してください。



 魔王のような悲しい存在が二度と生み出されないように、魔族の命を利用しないで欲しいと祈る。



――聖なる力は人を救いません。力の有無で命の重さが変わるなど、なんて悲しいことなのでしょうか?



 罪なき人族も多くいる。明日を生き延びようとただ真っすぐに生きようとするだけの純粋な民がいる。だというのに魔力をもたずに生まれた故に、一生懸命に生きる命が簡単に搾取され散る世界を嘆いた。



――私は『神の寵愛』を受けながらもう神を信じることはできません。それは今日命を失うからではありません。だって、信じても、祈っても!あなた様は聞き届けてくれない!



 聖女は涙を堪えるように頭上に佇む大聖堂の鐘を見上げた。下唇を噛んで叫びだしたい衝動を抑え込み、心だけを突き上げる。



――それとも本当にロード教皇が導く道が神の望む平和に繋がるというのでしょうか⁉ あなたの愛した人族同士を争わす行為が、見殺しにすることが正解だというのでしょうか⁉ 魔王様は何のために苦しみ死んだというのでしょうか!



 矛盾を訴えるが神の声など聞こえない。今更、神託など本当にあるのだろうかと疑問に思う。なんせレティシアを聖女に指名したのは背後で見張るロード教皇なのだ。聖なる力では上回るというのに聖女は神の気配を感じたことは無い。



――なるほど。神託は所詮、歴代の教皇の都合の良い言葉だったのですね……



 魔王はマキナ神から直接生まれた故に深く神の存在を信じていた。だが、魔王誕生のあと神は死んだのかもしれないと結論付けた。馬鹿馬鹿しく思え、聖女は両手を下ろし祈りを止めた。同時に考えるだけ無駄な悪足掻きだと全てを諦め、世界を見限った。


 しばらくすると結界が解かれ、外のざわめきが鼓膜をゆする。大聖堂の塔の下からは司祭が今日の聖女の処刑についての経歴を読み上げる声が聞こえ、神に捧げるパイプオルガンの演奏と祈りの歌が続く。


 聖女が鐘楼の端に立ち民衆の前に姿を現すと全ての音が止まり、静寂が広がった。英雄であり、平和のために命を捧げる聖女の最後の言葉に期待を寄せて、聞き逃さないよう耳を澄ました。

 聖女は残した言葉はとても短いものだった。



「もうこの力は私には必要ございません。全て棄てていきましょう」



 聖女は両手を広げ聖なる力を解放した。


 魔力は光の粒子となり広場へと落ちていく。大聖堂に舞い降りた天使が祝福を与えるかのように、雪のごとく深々と降り注ぐ。それは広場に集まった民衆の持病を癒し、怪我を治し、疲れを取り除いていった。


 民も、神官も、司祭も幻想的な光景に魅せられた。ロード教皇さえも目を奪われ、ただ立ち尽くすことしかできない。美しい奇跡を体験しているというのに、何故か寂しく、心が痛んで涙を流すものさえいた。


 やがて光が止むと聖女は深々と一礼し、中央の祭壇へと向かうため民衆の前から姿を消した。



「ロード教皇、毒杯を……」

「……」

「毒杯を下さいませ」

「ぁ、あぁ」



 唖然として見とれていたロード教皇に冷たい声で毒杯を寄越すよう催促し、聖女は一杯のグラスを受け取った。その場に座り込み、グラスを上に掲げた。毒が混ぜ込まれた果実酒は強い赤色を帯び、魔王の瞳を思い出させる。


「ロード教皇、私の遺体はどう扱われますか?」

「歴代の教皇や神託者のみが入れる霊廟にて弔われます」

「……そうですか」



 哀しみの笑みを浮かべ、聖女はグラスを見つめた。



――できれば魔王様の心臓を抱いて、瘴気の谷に飛び込みたかった。そうすればずっと一緒に寄り添えたのに……ごめんなさい……あなたが守っていた世界を私は守れなかった



 頭上の鐘に乾杯するようにグラスの影を重ね、口の中へと毒を流し込むと強い甘みが喉を焼きながら全身に巡っていく。数秒もすると手先が冷えて感覚は無くなり、酩酊に陥ったように視界は揺れ、思考が鈍くなっていく。


 遂に聖女の体はぐらりと崩れ、横たわった。そして遠退きそうな意識のなか、聖女は懐かしい気配に目を凝らした。


そして聖女は一瞬目を見開き一筋の涙を流すと、意識を閉ざした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る