第四十八話 利助





おりんは今年で、十六になった。


秋夫も真面目に働いてくれるようになって、次郎と八百屋をしている。仲間内みんなが真面目になったわけじゃなくて、何人かとは袂を別ったと言っていたけど、とにかくうちの暮らしはやっと元に戻った。


おりんは今、美しさの最中だというのに、繕い物をしたり、手内職をしたりと、うちに籠ってばかりだ。


もちろん父親の俺としては、変な虫がついて、そっちに掛かり切りになられるよりはいい。でも、あんまり家の中で閉じこもっていては、病気になりやしないかと、不安だった。だからたまにおりんを、煙草屋や豆腐屋へ使いにやる事があった。




「あ、煙草が切れちまった。おりん。お前、刻みの葉を買ってきて、それから羅宇屋らおやがどっかに居るだろうから、とっつかまえて煙管の掃除を頼んでくれないか」


「あいよ、おとっつぁん」


おりんは綿を詰めた袷を縫い合わせていた所から、顔を上げる。


俺を見るのに見開いた目がぴかっときらめいた。それは、初めて見たら驚くくらい、大きな目だろう。


鼻の頭も、頬の膨らみも、男ならみんながむしゃぶりつきたくなるくらい、透き通るように光っている。鼻や唇は少し尖っていたけど、それが「おやっ?」と印象に残るのだ。


「んじゃ、行ってくるよ」


そう言って俺に笑い、目を細めた所は、おかねに似てお狐様のようだった。


おりんはおかねによく似て美しく育ってくれたけど、いつも恥ずかしがって顔を伏せてばかりだ。それに、おかねは念入りにお化粧をしたり、綺麗な着物で自分を引き立てるのを嬉しがるけど、おりんはうちの仕事に夢中になって、自分がどんなに美しいかなんて、てんで気にしない。



何も艶やかな着物なんて着なくたって、おりんは誰がどう見ても美しい少女に育った。大家さんはこの間、「おりんは綺麗になったなぁ、出世が出来るくらいだよ」なんて、冗談めかして言っていた。


「出世」というのは、江戸城奥の“大奥”の話だろうけど、俺達夫婦はそんなの堪ったもんじゃない。


なろうことなら、真面目で優しく、おりんをいつも可愛がってくれる亭主と、思い合った上で一緒にさせてやりたい。それは俺もおかねも同意見だった。


この時代なら、“なるべく裕福な家へ”とか、そういった見方もあっただろう。でも、自分達夫婦が“くっつきあい”だったし、それで幸せになった。


俺達は、「好きな奴と一緒にさせたいさね、木偶の坊じゃ話にならないけど」、「そうだなぁ、真面目ならなぁ」と言い合っていた。




「ただいま」


「おうお帰り。掃除はしてもらえたか?ありがとう」


俺はおりんから煙管を受け取って、前に置いてもらった刻みの包みから、一口分を摘まんで煙管に詰めた。火鉢へ屈もうとすると、おりんはこんな事を言った。


「掃除、してもらえたよ。それと、煙草屋の人とね、世間話して…」


俺はびっくりして顔を上げた。おりんが外で人と話したなんて、自分から言ったのは初めてだったからだ。


「そうか、何を話したんだ?」


「何も…昨日、雨だったから、店の前で、犬の糞の掃除大変だった、って言ってただけさ…」


そう言っておりんは、何も無かったようにまた元の所に座り、綿を押し込みながら袷を繕っていた。





それからふた月ほどして、俺達両親は、大家さんから家に呼ばれた。


どうしたんだろう、どうしたんだろうねと言い合いながら大家さんの家に着いてみると、一人、若い男の人が、おかみさんとお茶を飲んでいた。


俺達が何か聞く前に、その若いのはハッとした顔になって、立ち上がって俺達に深々と頭を下げる。


「まあ、あの…」


おかねが困ってしまって頭を下げると、大家さんが「あがって。ばあさん、羊羹を」と言った。



俺達は若いのと向かい合って、大家さんはその若いのの隣に座っていた。


誰もなかなか喋らなかったけど、大家さんが「ほれ」と若いのの肩をつつくと、その人は座布団を降りて、俺達にまた頭を下げ、こう言った。


「自分は、しがない煙草屋です。名は利助と言います。父から、代替わりをする時に嫁をもらえもらえと言われて…でも、他はみんな嫌です…もし、もしお嫌でなければ…お宅様にいらっしゃいます、おりんさんを…!」


“おりんさんを”と口に出した途端、利助と言った人は顔を真っ赤にして、それきり俯いたまま、茫然と放心してしまったように見えた。


俺達は呼ばれた訳も分かり、大家さんの顔を見る。


「…というわけなんだ。どうだい、おりんの意見を聞いてみては。よく店先で顔を合わせて、何度か話をしたみたいだから」


そこで俺は、煙草屋から帰って来たおりんを思い出し、“ああ、あの時のが利助さんか”と思った。


利助さんはそのままほとんど何も言えなくなって、顔を赤くして俯いてばかりだったけど、「とにかく今夜聞いてみるから」と話した。利助さんは、「どうぞよろしくお願い致します。申し訳ございません」と、心配になるくらい声を震わせ、相変わらずまっかっかだった。




その晩、秋夫とおりんが花札をしているところに、おかねが話し掛けた。おかねからの方が、おりんも遠慮をせずに本当の事が言えるだろうと、俺達は話し合っていたのだ。


「ねえおりん。お前、ちょっと話があるから。秋夫、花札を片付けな」


「なんでぇ」


返事をしたのは秋夫で、花札を片付けたのはおりんだった。


それからおりんは正座をして、鏡台の前に居たおかねに向かい合う。


俺達は軽く目くばせをして、おかねはなるべくゆっくりこう言った。


「今日ね、大家さんへ呼ばれて行ったら、煙草屋の利助さんというお人が来ていてね」


おかねがそう言った時、おりんは急に脇を見て、俺達は顔が見えなくなった。秋夫はおりんの顔が見える壁際にもたれていたけど、おりんを見てびっくりしているようだった。


「それで、利助さんの言うには、お前を家に迎えたいって言うんだ。お嫁にだよ」


そこでおかねは少し黙っていた。おりんに考えさせるために、「どうだい?」と聞くのはずっと後にしようと決めていたのだ。おりんは人一倍遠慮をするから、すぐに聞いたら、「ええ、いいです」と無条件に答えかねない。


おりんは何も言わないし、俺達の顔も見なかった。おかねは次に話そうと決めていた事を喋り出す。


「あちらはね、お前と二、三、話をしただけだし、お前はそんな事考えてなかっただろうから、断ろうと思えば断れるんだ。だからお前、心配おしでないよ」


そこでおりんは顔を上げ、おかねを見つめた。俺はその横顔を見て、はっきりと分かったのだ。おかねにも分かっただろう。



おかねの言った事に反論しようとしたんだろう。おりんは頬を真っ赤にして弱弱しく眉根を寄せているのに、大きく開いた目はとても悲しそうだった。「断れる」ことを喜んでいるような顔じゃなかった。俺とおかねはもう一度、緊張気味に目くばせをする。秋夫は脇をみていて、どこか憮然とした表情だった。



「おりん、お前、嫌じゃないのかい?」


そう聞かれて、おりんはみるみるうちにもっともっと赤くなっていったけど、俯いて、首を横に振った。


「でも、なんとも思ってないんじゃないのかい?」


もはや「なんとも思っていない」娘の取る仕草ではないけど、あえておかねは念を押したんだろう。


その後おりんが言った事は、俺達家族にはすぐに合点がいった。おりんはまた秋夫の方へ向いて俯き、口元をで指で隠し、もごもごと喋った。


「そんな事…あたしからなんて言えやしない…」


そう言って、困らせられているようにずっと真っ赤なまま、畳に目を落としているおりんを見て、俺達はほっとした。





つづく

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