The Chosen Self
西村に関する一通りの説明を終えた。
「西村君……なんでっ。そんなことする人じゃないでしょ……なんで……」
俐一の声には、壊れゆくガラスのようなもろさが宿っていた。そして瞳は虚ろだった。その場でへたり込んでしまった俐一の腕を掴む。こんな風にオープンに感情を表現できる俐一がある意味羨ましい、と思いながら「立て」、と言って俐一の身体を起こした。
「自分の目的のためなら何でもする奴だったってことだ。もうこの先、西村と関わることはないだろうよ」
「……もう心がぐちゃぐちゃだよ」
「こればかりは同情するよ」
「……」
俐一は一瞬俯いた後、何かを思い出したかのように口を開いた。
「ねぇ、今朝、どこにいたの?」
その声は、か細く、傷ついた鳥が最後の力を振り絞って鳴くような声だった。
「詩音の家」
その瞬間、周囲に深い静寂が広がった。この短い言葉が俐一にとって強烈な衝撃であったことは明らかで、彼の目の焦点があちこちに動いているのが分かる。
「泊まったの……」
「泊まった」
俐一は絶句した表情になった。
「詩音は今どこにいるの」
抑えきれない悲しみと、そして動揺が顔に表れている。
「今は俺らの家に待ってもらってる」
あくまで淡々と質問に答える。
「詩音と寝たの?」
質問が次から次から飛んでくるが、どうせ最初から、これを聞きたかったんだろ。俐一は真剣な面持ちながら、瞳は不安に揺れていた。
ため息が漏れる。胸の奥からいら立ちがこみ上げてきた。誰のせいだと思ってやがる。一晩中、俺はただただ心配で、詩音のそばにいたんだ。本当にそれだけだった。やましい感情なんてなかった。そんな自分の誠実な気持ちが、俐一によって軽々しく疑われてしまっていることに腹が立つ。確かに俐一に疑われても仕方ないような言動をこれまでしてしまっていたことは否めないが、そもそも俐一が最初から電話に出ていれば、俺が詩音の家に泊まることなんてなかった。そうだろう。
「さぁな」
苛立ちに任せて投げやりに答えた。
「おい!」
俐一の少し大きい声が、廊下に響いた。悲しんだり疑ったり怒ったり。……知られたくなかったであろう秘密を俺に知られ、友達だと思っていた人に裏切られて、恋人と弟が寝たとなれば……さぞ心が乱れているんだろうが、情緒が不安定にもほどがある。
「うるせぇ」
突き放すようにして言うと、俐一は掴みかかってた。
「んだよっ」
俐一の襟元を掴んでその場に転がす。軽いその身体は地に打ち付けられた。その後、床に手をつきながらうめき声をあげたかと思うと、俐一は力無くその場でただ呼吸を繰り返していた。磁石のように床にへばりついている身体。俐一の目から溢れた涙が下に落ち、廊下に小さな水たまりができた。
「詩音を返して」
俐一は力無く言った。
「……」
「カイ、お願いだから詩音を返して……返して……返して……返して――」
聞いたこともない、感情のこもっていない声のトーンで呪文のように繰り返される、「返して」という言葉。正直、怖い。壊れたか。
このままにしていたら俐一の精神が本格的におかしくなりそうな予兆がしたので本当のことを言うことにした。
「寝るわけねーだろが」
「……本当?」
「本当。起きろ」
床に張り付くクリーチャーの腕を掴んで再度起こす。
何度この動作をすれば良いのか。もうやりたくない、さすがに。
「ねぇ、本当に寝てない?」
「本当だよ。何度も言わせんな」
歩き出すとやや遠慮がちに俐一はついて来た。
自分のものを誰かに取られるのが嫌だという心境は理解できるが、ここまで執念を出されると、さすがに俐一の詩音への好意を認めざるを得ない。
エレベーターに乗り込み、扉が閉まった。ちらっと俐一の方を見るとみるからに元気のない表情だった。ため息を漏らす。
「昨日聞いたけど、詩音はまだリーのことが好きだって言ってた」
俐一は驚いたようにこちらを見た後、静かに唇を嚙みしめた。
「詩音……」
「こんなに悔やむなら、最初から詩音の電話に出てりゃ良かっただろうが」
「色々重なったから……。階段から突き落とされたりしてメンタルやられてたりで。こんな大ごとになってるなんて思わなかった……」
「一本メッセージでも入れとけよ」
「……スマホのせいにしたくないけど、スマホの充電がすぐに切れる状態で……さ。詩音からの連絡に出ようと思ったら切れちゃって……電源つかないからメッセージも送れなくて……だからスマホのせいでもあるんだ」
「スマホのせいにしてんじゃねーかよ」
「……。でも結局、全部僕のせいだよ。僕のせい」
握り拳を固めている手が震えている。
「今回のことが、たまたまこうなってしまっただけっていうなら……詩音のことを本気で愛してるなら……行動で証明しろ。誠意を見せろ。それができないなら、俺は……詩音のことを狙うかもしれない」
「……分かった」
俐一は何かを決意したようにゆっくりと、確実に言葉を発した。
「男になるよ」
「……」
エレベーターの扉が静かに開くと、俺たちは沈黙の中、家へと向かう足を進めた。病院の廊下の灯りは薄暗く、その中で二人の影が重なり合いながら、これから訪れる未知の未来へと静かに歩みを進めていった。
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