第16話
――点呼を取って驚いた。
夏休みの集中強化期間。その大事な練習初日に、ウチの体育館に小学生がふたり混じっているのだ。神戸の全日本卓球強化委員名乗る男から電話が来たときはいたずら電話だと思って適当にやり過ごしたが、まさか本当に神戸から小学5年生の少年がこの中学校の体育館にやってくるとは思いもしなかった。
「茸村監督、早くこの状況の説明を」
部員のひとりが名簿を眺めている私に声を出した。私は顔を上げ、部員達の横に立つ小学生ふたりを見つめると彼らに自己紹介をお願いした。
「神戸から来ました
「山破ショージ。町はずれの銭湯で賭けピンポンをやってる。まあせいぜいよろしく頼むわ」
真っ黒に日焼けしたショージの話が終わると場に怒りと
「キャプテンの
「出た出た。キャプテンの嫌味たっぷりの空笑い」
「心の声、漏れまくってますよー」
ふたりに握手を求めたヒューガを周りの部員たちが冷やかす。笑ってはいるが彼らもキャプテンのヒューガと同じ気持ちだろう。
『小学生のガキが俺たちの練習を邪魔するな』。ヒューガの手を握るユウマの背中に部員全員の視線が突き刺さる。その光景を眺めていたショージが頭に手をやって声を伸ばした。
「ああー。オマエラの顔見覚えあるわ。去年の全中予選一回戦負けの港内中卓球部の面々じゃねーか。現地で観たけど酷かったな。…おい、クガヤマ。こいつらと一緒に練習して得られるモンなんてあんのか?時間の無駄なんじゃねーの?」
「こぉのガキ、黙って聞いてればいい気になりやがって」
「まあ待てって。確かにウチが去年、一回戦で負けたのは事実だ。よく知ってるね。ツンツンしてるけど、もしかして俺たちのファン?」
激昂した部員を他の部員が冷静になだめるとショージが彼らに指をさしてこう言った。
「勘違いすんなよ。オマエラのプレーが酷すぎて印象に残ってるだけだっつの。まず、最初に言っておく。オマエラ全員、見込みナシ」
部員達はそれぞれ顔を見合わせると口元を歪めたり、肩をたたき合ったりしながら私の前に列を作って並んだ。ショージに絡む時間が無駄だと判断したのだろう。私が前もって用意していた士気向上のトークを短く締めくくるとキャプテンのヒューガに話のバトンを引き継ぎ、私は用意しておいた自席のパイプ椅子に座った。
「……それでは練習開始!」
ヒューガの号令が鳴り、部員達はストレッチの後、学校の外に出て外周を始めた。その後に体育館に戻って再び短距離の走り込み。歩幅や走り方を変え、実戦的な反復動作を体に叩きこむ。練習開始から3時間。11時を過ぎた辺りでひとりの練習生に異常が訪れた。
「おい、こいつ吐いてるぞ!」
「きたねぇな!ゲロなら外で吐けよ!」
バケツを持って駆け寄るとユウマが体育館の端でうずくまっていた。「大丈夫か?」バケツを顔の前に置き、背中をさすると「ご迷惑をお掛けしてすみません」とまるで公務員のような言葉が返ってくる。「ちっ、だらしねぇ野郎だぜ」横を走るショージがユウマの姿を見て呟くと先を走る部員達の背中に焦点を定めてその場から駆けて行った。
――昼休憩。部員達と離れて弁当を食べるふたりを見つけると私は彼らに声を掛けた。
「自己紹介が半端になってすまないね。私はこの港内中卓球部顧問の茸村という者だ。ショージ君とは銭湯で一度会ったことがあるよね?キミも一緒なのは驚いたけど、キミの実力を間近で見れるのは嬉しいよ」
「はぁ?覚えてねーし。意味のねぇ基礎連ばっかしやらせやがって。俺がこれ以上、時間の無駄だと思ったら即刻帰らせてもらう。それは予告しておくぜ」
愛想の無い言葉が小学生の口から返ってくる。こみ上げる怒りを愛想笑いでかみ殺すとユウマに向き直った。弁当にほとんど手を付けていない。午後の練習についていけるだろうか?「大丈夫か、ユウマ君」と声を掛けると彼は立ち上がって私に頭を下げた。
「お気遣いありがとうございます。この度は貴重な先輩たちの練習期間に一緒に参加させて頂き嬉しく思っております」
「あーあー、私や部員達の気遣いならいいから。キミ達のような異分子による刺激は公式戦負け続きで緩み切った我々にはいい薬だ」
ショージをちらり見ると彼は既に弁当を食い終わってラケットに泡を塗り始めていた。私はユウマに向き直って話を続けた。
「まさか本当に神戸からウチの学校にやってくるとは思わなかったよ。キミの学校の監督から電話が来た時は冗談だと思っていたんだが」
「それについて本人から直接お話があります」
そういうとユウマはカバンからタブレットを取り出し、通話を繋いだ。
「ハロー!港内中卓球部の皆さん、初めましてー!……あー、あー。ユウマ。これ映像繋がってる?」
「問題ありません。繋がっています」
ユウマがタブレットを私とショージに向ける。ビデオ通話が始まると画面にジャージを着崩した若いアッシュヘアの青年が片手を上げ、画面の向こうの相手である私たちに「ハローハロー」と繰り返している。
「なになに~?最近流行りのユーチューバーってやつ~?オレにも見してよ~」
タブレットを眺める私たちに部員のひとりが食いついてきた。彼の名は
「卓球スクールチーム、『神戸ビーフスカッシュ』監督の薬葉ステアでぇーす。あっ、ビーフは牛肉って意味じゃなくてー。『闘争』って意味で、スカッシュはジュースじゃなくて『解決』するって意味ー。センス良いでしょ?ボクはその名付け親で創設者で監督をしておりまーす。夏休みの間、短い期間ではありますが、ひと夏の貴重な体験。ウチのユウマをよろしくお願いしまーす」
「うわ、情報量多っ!ネタの詰め込み方が芸人並っ!ユーチューバーってここまで進んでるのかよっ!」
「シュンジ、タブレットを放せ。話が聞き取れない」
すっかり画面の向こうの薬葉ステアなる人物に心を奪われてしまったジュンジからタブレットを奪い返す。「コイツがお前の監督か。人をくったようなツラしてやがる」ショージがタブレット覗き込むと「おっ、ショージ久しぶりー。同い年同士、ユウマの事よろしく頼むよー」と軽い口調で薬葉氏が言葉を返す。ショージがタブレットを掴んで画面の相手に叫んだ。
「おい、待て!なんで俺の事知ってんだ!?俺のプレイや癖までこいつに教え込みやがって、お前はいったい…!」
「あー、ペットのデグちゃんの散歩の時間だー。それじゃ、午後の練習頑張ってね~」
一方的に通話と映像が打ち切られると私はショージからタブレットをつかみ取り、真っ黒な板に戻ったタブレットをユウマに返した。
「すいません。飼育しているネズミの散歩が監督の日課ですので」
「すげぇ、ネズミを散歩させてるなんて…最後までネタたっぷりじゃん、あの人」
シュンジが目を輝かせていると昼休み終了を告げるチャイムが学校中に響いた。
「それじゃ、午後も走り込み頑張ろうぜ♪ルーキー諸君」
嫌味を感じさせない明るい声でシュンジが鼓舞するようにふたりの肩を抱く。げんなりする表情を浮かべるユウマと明らかに不快な態度をしめしたショージを見て私はひとつの提案を出した。
「練習内容変更だ。ランキング戦を行う。今の段階でレギュラー選考の序列をハッキリさせておきたい」
「実戦か。そう来なくっちゃな」
ショージが私を見て白い歯を見せて笑う。「マジで!?それなら早く、みんなに伝えてないと!」仲間の部員達の方に走り去るシュンジを見送ると私はふたりにキメ顔でこう告げた。
「ウチの卓球部の実力をナメるなよ。小学生」
周りの空気が張りつめるこの瞬間。私はこの感覚が味わいたくて生徒たちの上に立つ教育者をしている
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