第11話

 気づいたら外はすっかり暗くなっていて、店内にはおれだけしか残っていないようだった。コーヒーいっぱいですっかり粘っちまったことを申し訳なく思いながらおれは冷めきったコーヒーの残りを飲み干した。この店のコーヒーは冷めていてもうまい。


 立ち上がって店内を見回したが例のスキンヘッドも見当たらない。会計をしたのは黒縁の大きな眼鏡をかけた若い女だった。初めて見る顔だ。


「七九○円です」


 女に言われておれは金を出した。数時間居座って払うのがこれだけというのはなんだか申し訳ない気がしておれはレジのところにあったコーヒー豆も買い求めることにした。


「これも一緒にお願いします」


「一九九○円になります」


 眼鏡の女が新たな金額を言った。


「没頭されてましたね」


 おれが金をトレイに出していると、眼鏡の女がだしぬけに言った。


「え」


「お仕事、ですか」


「ああ」


 おれは警戒した。この女がおれの監視者なのか。


「雨野先生でしょ」


「え」


「知ってます。読んでますよ、小説」


「それはどうも、ありがとう」


 おれは頭の中で警報が鳴り響くのを感じた。危険だ。油断するな。こんな若い女がおれの書いたものを読むだと。あのねじまがった童貞のわだかまりみたいなものを読むだと。うっ血したペニスが書いたような文章だぞ。そんなことがあっていいものか。この女は監視者に違いない。おれが唯一足を運びそうな場所へ送り込まれて来たんだ。


「新作ですか、書いてらしたの」


「ええ。まあ」


「楽しみにしてますね。またここ、使ってくださいね」


「ああ」


 おれは受け取った釣り銭とレシートをそのままジーパンのポケットにねじ込みながら店を出た。なんてことだ。こんなに近くまで敵の手が迫っていたとは。おれは決断しなければならない。一刻も早く。

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