魔のものと天使と、人間の世界で~王子に恋した天使、争いに巻き込まれながら旅をする~

かんの沙梨

第一章 出会うまでの旅路

1 舞い降りた天使

 美しき彼らは人、あらず者。

 神の作りし、天の者。

 背に翼の生えた、空の住人。

 彼らはなぜに、我らの前に姿を見せず、

 彼らはなぜに、我らの心を奪うのか。

 神の加護のもとに幸福を呼びもたらす。

 その優しき笑みに、

 夢ではなく、うつつで出会えたならばと、

 我らは願う。

 我らは夢見る―。


 人は詠う。

 雲の上を住家とし、誰もが若く美しい容貌をした、神の手により生み出された天使の詩を。

 

 遥か昔、神々の手により作られた世界があった。

 人々が生まれるよりずっと以前から存在し、この世のどこよりも美しく平穏な世界と囁かれる、神々と天使の住まう天世界。

 草木に彩られ水に満ち、溢れるほどの食物が自然とる。

 その一方では、神々の住まう神殿には細かな細工や巧みな技がふんだんに施されていた。

 天世界は、いがみ合うことも妬むことも知らぬ純粋無垢な女天使と、天を護る役割を持つ男天使。それらを管理し、君臨する神々とで成り立っていた。

 神殿の一つ、風の神の住まう風の神殿近くの庭では、天使たちが舞い踊っていた。   

 天女たちは囁く。


「あら、またパティがいないわ」

「本当ね。あの子ったら、どこへ行ったのかしら」

 楽しそうに笑い合う天使たちはそれでも踊りをやめることはない。天使は噂話と歌と踊りが大好きなのだ。

「風の神シーナ様のご機嫌が心配だわ」

 もう一人、天使が加わり、溜息をついた。

 天使たちを見守っていた、白銀色の長い髪をした凛々しい男天使の顔が曇る。

「またパティか。あの子は本当に変わっている」

 セルリアンは頭を押さえた。

 風の天使パティは風の神殿に顔を見せることも、歌い舞い踊ることも滅多にない。 

 パティは天でも名の通った、変わり者の天使だった。

 いつだったろう、彼女は言っていた。


「セルリアンさまどうして? どうしてなのですか?」

 小鳥の囀りのような声で、パティは憤りを隠すことさえなかった。


「どうしてとは?」

 セルリアンは苛立っていた。

 それはあまりにも愚かな問いだったからだ。


「なぜ、人に興味を抱いてはいけないのですか? 人間の世界を知ってはいけないのですか?」 

 パティは不思議な色合いの七色にさえ見える瞳を真っ直ぐにこちらへ向けた。

 その瞳には見る者を惹きつける力があった。このような瞳を持つ天使は、セルリアンはパティしか知らない。

「知ることに何の意味がある? その必要はないだろう。

分からないな、なぜ人間などに興味を持つのか。まして、その世界に行きたいなどと思うのか」

「だって、知りたいのですもの」

 悪びれもせず、パティは言う。

「人が生きる場所を、働く姿を見てみたいのです。そして人が何を望み、何を欲するのかを」


(この子はおかしな子だ)


 普通、天世界の者は人間などに興味を抱かない。それどころか、口にすることさえ嫌がる。

 皆、知っているからだ。

「あいつらは、皆醜い。欲のために生きる自分勝手な存在だ。知る価値もない」

 それはセルリアンだけではなく、天世界の誰もが人をそう評していた。


「それこそ勝手な言い分ではありませんか。そんなものは想像にすぎません。わたしは、人間の様々な物語を聞き、本を読みました。どれも同じです。今セルリアンさまがおっしゃったことと、全く同じでした。人々は自らの野心のために戦争を引き起こし、欲のために裏切り、醜い一生を終えるのだと」


「当然だ。その通りだからな」

「本当に、そうでしょうか」

 パティは瞳を落とし、背を向けた。

 パティは他の天使と同じように、袖のないクリーム色のドレスを着衣していた。

 背中の翼が生えた部分は布がなく、翼を開いたり閉じたりするのに邪魔にならないように繕われていた。


 背を向けたことで、パティの翼が露わになった。

 その翼は彼女の小さな背丈に似合わず、偉大なものだった。

 彼女の二倍はあろうかというほど大きい。


「わたしには、信じられないのです。まるで、わたしたちが人間を忌み嫌うように仕組まれているよう――」

「いうな!」

 セルリアンは激昂した。

 パティがここまで人間かぶれだとは思わなかった。

 彼女は天世界を、神を侮辱したと同じだ。


「二度とそんなことをいうんじゃない。頭を冷やすがいい」

 セルリアンは言って、身を翻した。

 それ以上その場にいたら、彼女に罰を与えてしまっただろう。



 今から約三千年前のこと。

 六の神によって天世界が創られた。

 風、水、地、太陽、月、山の神々の手により、雲の中に神殿を、その周囲には澄んだ水に満ちた湖や川、草花の彩りも豊かな広大な庭をも神々は造った。

 六の神は、それぞれに五つの、それぞれに力を与えた卵を作った。

 卵から生まれ出たのは男の姿の天使で、彼らは翼を持たない代わりに神より特別な力を与えられ、天を守護する役割を担っていた。

 彼らは守護天使と呼ばれる戦士だった。

 その後、長い時を経て、地上には動物が進化を遂げた人間という種族が姿を見せ始める。

 

 人間が生まれたことにより、新たな神が生まれた。

 炎の神は人間が生み出したせいか、人の性質を色濃く受け継いでいた。

 また幾らか時が経ち、魔族――、異世界から突如現れた、好戦的かつ多大な力を持つ種族が地上にはびこるようになった。

 彼らは人の醜い心を好み、魂を食らい、地上を荒らし始めた。


 魔族はやがて、天世界の存在に気づいた。

 彼らは人間だけではなく、神々にとってもまた驚異となった。

 魔族の中には守護天使よりも多大な力を持つ者も数多く、また魔族は天世界に興味を抱いていた。

 魔は天の領地を得るために、天は魔から領地を守るために、二つの種族は争った。

 天は魔を追い返すことができたが、その戦いに傷つき、荒れ壊され、守護天使は一人を残して死に絶えた。

 

 そうして、傷ついた天世界を蘇らせるために、神々は再び卵を作った。

 今度は神はそれぞれに十の卵を。

 五つは、前よりも大きな力を持った守護天使を。

 もう五つは、白い翼を背に生やした、女天使を。

 彼女たちは天では「天女」、もしくは「歌い天使」と称され、天に花と彩りを与える光として性を受けた。


 その中の一つ、風の神の作った卵は、他の天使に比べ、長い時を殻で過ごし、やがて一番遅くに孵った。

 一番小さな卵は、だが生まれ出てみれば誰よりも大きな翼を持っていた。

 

 それがパティだった。

 七色にも見える不思議な光を宿す瞳をした、天使パティ。

 小さな天使の少女は光の輪に包まれ、流れ星の一つに交じり、今、地上へと舞い降りて行った。しかしそれは流れ星のそれとは違い、ゆっくりと、ゆっくりと、静かに地上へと降りていた。

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