第8話、隠せそうで隠せてないアイデンティティが壊れるから



「すぅには、生まれた時から、やらなくちゃいけない役目があるのです。そのために、強くならなくちゃいけないから……」

「それで、ここに来たって言うんか? 生まれた時からって……そんなん押し付けられたものちゃうんか?」


僕の声はよく分からない不安のようなもので、だんだんと強くなっていたと思う。

しかし、すぅはまた首を振り、続けた。



「そんなことないです。すぅは、この役目が、すぅが頑張って世界を守るってことが好きなのです。ピアノよりも好きなのです。だから、ここに来たんです……」


その言葉の先にあるものは、強い意志の宿った瞳。

有無を言わせない力を持ったその瞳に飲まれそうになって、僕は視線を逸らしてしまった。


僕にはないその強さに、僕が探していたその強さに、嫉妬と羨望が混ざったような感情を覚える。



「さよか。やぼな事訊いてもたみたいやな。だから、ここにいるんやもんな」「あ、でもここに来たのは家にいるのが嫌だったっていうのもありますけどね」


僕が頭をかいてそう言うと、しかしすぅはなんでもない事のように照れ笑いをして、そんな言葉を返してくる。

言葉面だけを取ればその言葉の意味が、一人暮らしが自由気ままでいいとか、うるさい親のお小言を聴かなくて済む、みたいな感じなんだけど。

例えそう思っててもそれを口に出すタイプには見えなかったから。

何か引っかかる物があった。


「……何で嫌になったん?」


出たのは、そんなストレートな言葉。

言ってから何でもっとオブラートに包めないのかなって思ったが、それでもすぅはちゃんと答えてくれた。


「家にいると……お父さんとお母さんに会うんです。世界を守る英雄になることを教えてくれたのはお父さんとお母さんなのに。すぅがそれをしようとすると、悲しそうな顔をする、お父さんとお母さんに……」

「……」


そして聞いた瞬間、小さな後悔が僕を襲った。

誰もが心の奥に鍵をかけて、しまっておきたいような事まですぅが話してしまいそうだったから。

僕に尋ねられたというだけで、全てを答えてしまいそうだったから。


「最近は、何もすぅがしていない時でもお父さんとお母さんは、すぅに悲しい顔を向けるようになりました。二人はとっても仲が良かったのに、ちょっとの事でもケンカするようになって……すぅがいなければ、二人がそんな風にケンカすることなかったんですけど、すぅは、生きて強くならないといけなかったから、サウザン学院長にお願いして、ここに来たんです。それで……」


何かの物語を語るかのように、まるで自分には関係のないことであるかのように、すぅはすぅ自身の事を語りつづける。



「もうええ、もうええって、分かったから」

「え? あ、はい……」


耐えられそうになくて、思わず止めた僕の声に驚いたのか、びくついて言葉を止めるすぅ。

僕がそのまま自分のデリカシーのなさに唸って自己嫌悪していると、すぅが申し訳なさそうに口を開いた。


「あの、吟也? ごめんなさいです。すぅ、吟也に嫌な思いさせるつもりじゃなかったのです。ほら、吟也言っていたじゃないですか。相手の事を知ると同時に、自分のことを知ってもらうって。前、吟也が自分のことを話してくれたから、すぅもって思ったのです……その、ごめんなさい」

「……」


僕は唖然となる。確かに僕は、そんな事を言った。

なんとなく提示した、友達の条件。

すぅは、ただそれを実行しただけだったんだろう。


「そんななんべんも謝んなや。すぅはなんも悪い事してへん。むしろ話してくれて良かったわ。自分がどんなに甘っちょろいかよう分かったしな。逆に感謝せなあかんくらいや」

「感謝なんて、そんなっ」


とんでもないって感じでオロオロするすぅを見て、僕は苦笑を漏らし、言葉を続ける。


「それにな僕、すぅのことやっぱりすごい奴やって思った。尊敬できる奴やって。きっとな、すぅのおとんとおかんも今ここで頑張っとるすぅ見たら誇らしく思うんちゃうかな、自慢の子やーってな」

「ほ、ほんと?」


こちらを伺うようにそう聞いてくるすぅ。


「ああ、僕はそう思うで」


こんなすぅ見たいな奴、自慢に思えない親なんて親じゃないって、僕は本気で思ってた。


「……」


僕が気持ちのままにそんな事を言うと、すぅはそのままぴたりと黙り込んでしまう。


「どしたん? 電池でも切れっ……」


そして僕はそう言おうとして言葉を失ってしまう。


―――すぅの、瞳から零れる、一筋の涙を目の当たりにして。



それを目にした瞬間、今の今まで毛ほどにも感じていなかった心音が、激しく胸を叩いているのを感じていた。



(何や、これはっ?)


時が経てば経つほど収まらない動悸に胸を押さえる。

呆気に取られたように何も言わない僕を見て、自分が涙を流していることに気づいたらしいすぅは、はにかむように笑顔を見せて、言った。


「へへ……嬉しいのに涙出てきたみたいです。これが嬉し涙ですよね? すぅ初めての嬉し涙です」


笑い泣きのその表情は本当に喜びに溢れていて。

僕は心臓を鷲掴みされたかのような衝撃を受ける。

……素直に、可愛いって思ってしまった。



「って、ちょっと待てや!」

「……?」


僕は自分の考えに思わず突っ込みを入れる。

可愛いってなんだっ、年下(たぶん)とは言えこいつは男だぞっ!

……男だよな?

そういや年いくつか聞いてない気も。

僕は、危ない精神状態に揺さぶられながら、改めてまじまじとすぅを見つめる。


男にしては長い髪、綺麗な肌、顔立ちだって中性的で……。

そもそも僕って何を根拠にすぅのこと男だって思ってたんだっけ?

何か確たるものがあったような気がして思い巡り……すぐそれに思い立った。


そうだ、制服だ。すぅは男子学院生用の制服を着ていたから男だと疑わなかったんだ。


「あ、あの……何ですか?」


不躾に眺められ、居心地が悪くなったんだろう。

そんな言葉と上目遣いも、男には見えなかった。

ふと、そこまで考えて僕はすぅの違和感に気づく。

今すぅが着ているのは私服なのだろう。

薄青色のカットソーと白のブラウスのアンサンブル。

生成り色のキュロット風味のパンツ。

一見そうは見えないが、少なくとも男が好んで着る服装でないのは確かだった。



「なあ、すぅ? 今更訊くんも失礼すぎる話なんやが……やっぱりあんさん、女……なんか?」

「え、ええっ! ど、どうしてっ? ち、違うですよっ! すぅは……違うんですっ!」


見ていて哀れなくらいにうろたえるすぅ。

しかし僕としても、禁断の領域に足を踏み入れたなんて認めたくなくて。

必死に言葉を続けた。


「だ、だってその服、男はフツー着ないやろ?」

「こ、これは違うのですっ! まさか吟也がここに来るなんて思わな……じゃなくって! すぅはこう言う服が好きなのですっ!」

「ホンマかいな?」

「本当ですっ、だってすぅ、ホントは男の子でも女の子でもないんですっ、だから女の子の服もしょうがなく、持ってるのです! あの缶コーヒーみたいにどっちつかずの中途半端さんなんですっ!」


もう自分が何言っているのかも分からない様子ですぅはまくし立てる。

しょうがなくって言った割には随分お洒落な服だったし、すぅが何で誤魔化そうとしてるのかは分からなかったが……隠したかった事だけはなんとなく分かった。


「おいおい、それはまた強引な解釈やなあ」


それでも瀬戸際にいた僕の言葉は止まらなくて。


「強引じゃないですっ、嘘だと思うなら、すぅの身体、見ればいいですっ!」


なんて言葉を返された。


「な、アホっ! や、やめんかいっ!」


何やこいつ、なんでこんな、いきなりムキになってるんだっ?

自分の失言のせいだろうとも思ったが、突然の行動にパニックに陥りつつも、今にも服を脱ぎだしかねないすぅの手を、僕は何とか押さえつけるのに成功する。


だが、成功したのはいいが、結果的にすぅを抱きかかえるみたいになっていて。

いったん女の子だって思ってしまったから、もう女の子にしか見えなくて。

小柄だと思っていた背丈も、柔らかく細い身体も、みんな女の子だって確信させるには十分過ぎるほど十分で……。



「は、離してくださいっ!」


すると、すぐ傍で聴こえてきたのは、そんな事考えてたのがバレてしまったのかと思えるすぅの声。


「す、すまんっ!」


僕は慌てて離れるも、すでに手遅れだったみたいで。


「……っ」


さっきとは違った意味で泣きそうな表情のすぅは、そのまま何も言わず、部屋を出て行ってしまった。


「な、何でこないなことになったんやーっ!?」


故に僕は、何しにここに来たのかも忘れて。

ただそんな声をあげるしかなかったのだった……。



              (第9話につづく)






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