第39話

 ダーシーはレジナルドの執務机の椅子に無理やり座らされた。

 前からレジナルドが肘置きを掴んでいるため逃げることは出来ない。

 恐々、窺うと彼は必死に何かに耐えているようで下を向き、肩を震わせていた。


「あの、殿下?」

「もうちょっと待ってください。今、落ち着かせますから」

 何度も深呼吸をして息を整えているようだった。


 待つしかないダーシーは机の上に散らかった書類を見る。

 その中に小さなメモがあり兄の字でダーシーのことが告げられていた。

 零れ出そうな品のない言葉を必死に押し込める。


「ダーシー。何故、私を無視するのです」

 呼び捨てにされて、小さく息を吐く。

「殿下。この書類の中から妃をお選びください。皆、有力者たちの令嬢です。殿下のためです」

「ダーシー!」


「宜しいですか?殿下はこの後、王太子となります。その隣に立つのは国のために捧げる覚悟のある女性でなければなりません」

「自分にはないと仰りたいのですか?」

「殿下は、我が一族の事をお知りになったはずです。王家の鷹として忠誠を誓っています。隣に立つことは望みません」


 レジナルドは目を細める。

「真意は別にありますね」

 ぐっとダーシーは唇を噛み、視線を外す。その仕草で確信する。

「怒りません。教えてください」


 戻された瞳は潤んでいた。

 きつい口調ではなかったが、感情が溢れていたかもしれないと思い、レジナルドはその場に座ってダーシーを見上げて待つ。


「鏡は見ているのでしょう?」

 絞り出された言葉に意味が分からず首を傾げる。

「城の者が皆、言っていますよ、エルフィー殿下にそっくりだと」

 失礼ともとれる発言だが、ダーシーの動揺の原因がはっきりした。


 実の兄弟だと聞かされ、レジナルドも驚いた。

 知っていたのは国王陛下とその周りの一部だけだった。

 人質で取替っ子だったと告げられ怒りにも似た感情に支配されたが、同時に頷けることもあった。

 自分がグラントブレア王国に出入りできたのは両陛下の配慮があったからだということ。

 エルフィーが異様に親身であったこと。


 そして、受け入れられたグラントブレア王国内、王城、あちこちで囁かれる噂。

 レジナルド殿下はエルフィー殿下に似ている。


 レジナルドはその噂を利用し、城内でも味方を増やそうと動いている。

 現国王に息子は一人きりのため、王太子になるのは当然だが、その後、動きやすくするためにも取り入る相手は多いほうが良い。


 だが、それによって心が揺らぐものがいる。

 レジナルドの両手に力が入る。

「だから、嫌なのですか?」

 ダーシーは背中まで伸びた髪を揺らして否定した。

「いいえ」

「では、理由を教えてください」


「殿下を見ていると探してしまう自分が嫌なのです」


 その答えにホッと息を吐く。

「私が嫌ではないのですね?」

 再び問いかけると何故かダーシーは椅子を座りなおした。

「この椅子、すわりが悪いですね」


「ダーシー、私の婚約者になっていただけますか?」

 とぼけようとしたダーシーを無視する。

「探して下さって構いません。でも、近くにいないと私がどうなるか分かりませんよ」


 椅子の具合を見ていたダーシーはゆっくりとレジナルドを見つめる。

 近くにいなかったことで助けることが出来なかったエルフィー。

 その場にいたことで助けることが出来たレジナルド。

 ダーシーの胸に何かが深く押し寄せるが、そのまま言葉にするわけにはいかなかった。


「髪飾りはいつ、いただけるのですか?」

 思わぬ台詞にレジナルドは目を見開く。

「髪もだいぶ伸びました。誕生日がもうすぐです」


 はっと、レジナルドは立ち上がる。

「ま、待ってください」

 執務室内を見渡しても当然ない。

 贈ると言ったのはかなり前だが、実際は用意できていない。

 色々あったせいもある。


「そう、誕生日ですね!分かりました。ご用意します。あ、一緒に街に買いに行きましょう。案内してください」

 妙案だと手を叩き、卓上を引っ掻き回していつならば時間が取れるだろうかと確認する。

 その様子を見て、ダーシーはようやく微笑む。


「婚約の件、ケッコウです」

「え、それはどっちの意味ですか…?」

 乱れた紙の束がレジナルドの手から滑り落ちる。

 ふわり、と柔らかい温かさが近くに来て胸を高鳴らせる。


 ダーシーはあいまいな表情で見つめ返した。

 二人はお互いの体温を感じている。

 手が届くその距離を感謝し、そっと頬を寄せたのだった。


……


「それにしても、急でしたね」

 ダーシーの腰を放さずにいるとじわりじわりと上半身を仰け反らせる。

「慣れてください」

 優しく声をかけてようやく渋々と言ったかたちで姿勢を正す。

 頬が赤く染まっているのを確認してレジナルドは口許を緩める。


「あ、あまり近くに寄らないでください。落ち着きません」

 エルフィーとは直接、触れ合うことはなかった。

 親族以外の異性と近づくこともないので、ダーシーは緊張で動揺が止まらない。


「父に頼んだでしょう?」

「伯爵に貴女の居場所を聞きましたが、それが?」

「王家の者の頼みは断れないので」


「はい?」

 レジナルドが理解するのにかなり時間がかかった。

「ちょっと待ってください。でしたら、以前にも貴女を婚約者にとお話しさせていただきましたよ?」

「その時はロイドクレイブ王国の王子でいらっしゃいました」


 額を押さえて息を吐く。

「そこまで徹底されている?」

「ああ、勿論、頼みとはいえあまりに理不尽となれば断りますし、グラントブレア王国のためにならないとなれば切って捨てます」


 ダーシーの瞳に違う光を見つけてレジナルドは気を引き締める。

「気を付けます」

「そうしてください。今回はグラントブレア王国王子として最初の頼みだったので、特別と父も申しております。本来なら、もっと高位の令嬢を娶っていただき、私などは愛人の一人にでもして頂いて結構だったのですけど」

「エルフィー殿下はそのつもりだった?」


「さあ、存じません。直接、そのようなお話はありませんでした。いつまでも婚約者が決まらないことに周りはヤキモキしたようですが」

 もしかすると、エルフィーは何か考えていたのだろうかとレジナルドは勘繰る。

「どちらにしても、今ここにいるのは私ですし、ダーシーを愛人の一人にするつもりはありません」


 熱い視線で告白したが、ダーシーは卓上の書類を整理し始める。

「ダーシー!」

 話を聞いてくれ、と嘆きたくなるが耳が真っ赤になっているので、聞こえてはいるらしい。

 恥ずかしさをどうにか紛らわしたいようだ。


 幾つかの紙をレジナルドの胸に押し付ける。

「次の会議で必要な書類です。お読みになったほうが良いと思います」

 そそくさと部屋を出ていかれ呆然とする。


 何でダーシーが会議の内容を知っているのだろうか?

 ふと沸き起こった疑問に慌ててダーシーを追いかける。


 大きく開いた扉の向こうで、ダーシーは勿論、ライリー、アイザックに他の補佐官や護衛の面々が驚いた顔でレジナルドを見つめる。

 隣の部屋にこんなに人がいたことに改めて気が付いた。

 その中でダーシーが笑顔を向けている。


「み、皆、ご苦労」

 労いの言葉をかけたことがあっただろうかと今更、反省する。

 ライリーが軽く頷いた。

「次の会議へ向かう。ライリー、頼む」

「かしこまりました」


「それから、ダーシー」

「はい、殿下」

「役職もない官吏でもない貴女がここを自由に出入りしてはいけません」


 やや大げさに目を見張らせると深く頭を下げる。

「はい、申し訳ございません。殿下」

 奥でアイザックがやっとか、と呟く。


 王太子妃となったら自由に出入りさせるのか?

 とライリーが胸の内で突っ込んだが、口には出さなかった。

 満足そうにレジナルドとダーシーが微笑みあっているのをみて、頬を掻きながらライリー自身も笑みを浮かべた。

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