第10話 落ちこぼれのセシル

 ともかく、僕たちは列車の暴走の恐怖からは逃れた。

 僕らを敵視するような何者かの視線は気になるが、それ以上の追及は難しそうだった。


 僕はクロエと一緒にその場を離れた。


 泣き止んだクロエは、恥ずかしそうにしていたが、やがて吹っ切れたのか、僕に微笑みかけた。


「取り乱してごめんなさい、レノ」


「別に謝ることじゃないと思うけど」


「そういうレノは強いのね。昔は泣き虫だったのに。火事のときだって、王女様を助けに行こうとしていたもの。見直しちゃった」


 クロエに言われ、僕は内心、「しまった」と思った。

 普通の12歳の少年なら、死の恐怖を目の前にすれば、怯えて当然だ。

 僕の態度は不自然だったかもしれない。


 とはいえ、レノ少年は一度、火事に巻き込まれて死にかけているから、普通の子どもとは違うけれど。


「今日はもう帰る?」


 クロエはふるふると首を横に振った。


「怪我をしたわけじゃないし、レノに学校を見せてあげるって約束したんだもの。行きましょう」


 クロエは僕の手を引いて、歩き出した。

 その手は小さくて、ひんやりとしていた。


 街は鉄道の暴走で大騒ぎになっていたが、事故の現場から離れると、しだいに静かになってきた。

 やがて王都の東にある文教地区に僕たちは着いた。


。白い石で舗装された美しい道の左右に、荘厳な赤レンガの建物が立っている。

 高等師範学校だとか国立行政大学だとか、権威ある学校らしい


、ただ、そういった学校は、僕やクロエよりももっと上の年齢の学生が通う場所だ。

 思春期の少年少女が集まる学校としては、やはり王立魔法学院が最も名門なのだという。


 やがて文教地区の奥に、大きな城のような建物が見えてきた。

 その中央には天にもそびえ立つような巨大な尖塔がある。

 

 クロエは僕をくるりと振り返った。

 ローブの裾が風に揺れて翻る。


 クロエは満面の笑みを浮かべていた。


「ようこそ、王立魔法学院へ!」


 僕は圧倒されていた。

 たしかに魔法は衰退した。


 ただ、かつて僕が生きた時代に、これだけ大規模な学校は存在しなかった。

 魔法学院の建物は、かつて要塞だったという。

 だから、学校の周りには城壁がめぐらされている。

 加えて、水で満たされた堀があり、石造りの門までは跳ね橋がかけられていた。


 僕はクロエに案内されるまま、橋を渡り、学校のなかに入った。

 そこには中庭が広がっていて、中央には立派な噴水があった。


 クロエは得意げに校舎の建物を説明してまわった。

 休日だから、生徒の姿はまばらだけれど、それでもまったくいないわけでもなかった。


 そして、校舎の廊下で出くわした一人が、僕たちに話しかけてきた。

 栗色の髪の女子生徒だ。

 少しそばかすが目立つが、けっこう美人だ。


「なに? クロエじゃない? 休みの日にどしたの?」


「あら、そういうセシルこそ珍しいわね」


「あたしは落第して、補講を受けてんの。優等生のあんたと違ってね」


 セシルという少女は肩をすくめ、そして、僕のほうを見た。

 そして、セシルがぱっと明るい笑顔を見せる。


 その表情は生き生きとしていて、魅力的だった。


「可愛い!」


 僕はきょろきょろとあたりを見回した。

 誰のことを言っているんだろう?

 クロエのことを可愛いと言っている……というわけではなさそうだ。

 近くには他に誰もいない。


 つまり、セシルは僕のことを可愛いと言ったのか?

 急に温かい感触に包まれ、柔らかいものが僕の頬に押し付けられる。


 セシルが僕を抱きしめていると認識するのに、少し時間がかかった。


「ふぇぇ?」


 思わず幼い少年のように(実際そうなのだが)情けない声を上げてしまう。

 セシルはそれを聞いて、目を輝かせ、ますますぎゅっと僕を抱きしめた。


 胸の谷間に僕の顔はうずくまる。

 なんだかとても心地よい。


「ちょ、ちょっと、セシル? なにしてるの!?」


「この子、すっごく可愛いじゃん! 思わず抱きしめたくなっちゃう!」


 僕の転生したレノ少年は幼いながらになかなかに美少年だ。

 が、それ以上に、なぜか周囲の少女たちの庇護欲をとてもそそるらしい。


 クロエが慌てて僕とセシルを引き離そうとする。


「ダメ! レノは私のものなんだから!」


「この子、クロエの弟?」


「従弟なの」


「ふうん。よく似てるね」


 セシルは興味深そうに僕を見つめ、そして僕から手を離した。

 窒息するかと思った。


 セシルはくすっと笑い、身をかがめて、僕と目線を合わせた。

 そのはずみに大きな胸が揺れて、思わず目線が釘付けになる。


「あたしはセシルっていうんだ。クロエの同級生。君は?」


「えーと、レノ。レノっていいます」


「そうかー。レノくんかー。ね、クロエさ、この子、あたしの弟にしてもいい?」


「ダメだってば!」


「レノくんの意見を聞いてみよう。きっとクロエお姉ちゃんより可愛がってあげられるよ?」


「ええと……」


「あたしの家の同じ部屋で一緒に寝るの! どう?」


 魅力的な提案かもしれないな、と一瞬思ってしまい、僕は言葉に詰まった。

 でも、僕はすぐに考え直した。


 隣のクロエが、涙目で「ううっ」とつぶやいていて、可愛そうになったからだ。


「ありがとうございます。でも、僕にはクロエたちがいますから」


 僕が微笑んで答えると、セシルは心底残念そうに「そっかー」と肩を落とした。

 まあ、さすがに僕をセシルの弟(?)にするわけにもいかないし、本気で提案しているわけではないと思うけれど。


 クロエを見ると、さっきとは表情がガラッと変わっていて、「レノはやっぱり私がいないとダメだものね」と胸に手を当てて、得意げな笑みを浮かべていた。


 そんなことを話していたら、廊下に一人の教師風の男性が現れた。

 三十代後半ぐらいだろうか。

 彼は長身で、なかなか颯爽としていた。

 黒髪黒目の容貌と対象的に、白いマントを羽織っている

 その背面には大きな盾形の紋章が描かれていた。


「「学院長先生!」」


 クロエとセシルの声がハモった。

 二人の女子生徒の声を聞いて、学院長と呼ばれた男は微笑んだ。


「やあ、クロエ君。それと……」


「中等部三年のセシルです」


 セシルが小声で答えた。

 その顔にはさっきまでとは違う、陰鬱そうな表情が浮かんでいた。


 学院長はクロエの名前を記憶していて、セシルのことは覚えていないようだった。

 クロエは生徒会長であるほどの優等生で、きっと有名人なのだ。

 反対に、セシルは補講を受けているように成績も振るわず、かつそれ以外にも目立った活躍がないのかもしれない。

 僕はそう推測したし、セシルの暗い表情もそのことを裏付けているように見えた。


 学院長は僕のほうをちらりと見た。

 クロエが僕のことを説明すると、「ほう」と彼はつぶやき、微笑んだ。


「将来有望な子がうちの学校を受験してくれることはとても嬉しいね」


 そう言って、学院長は右手を差し出した。

 僕は握り返そうとし、彼の目が笑っていないことに気づいた。


 どこかでこの男に会ったことがあるような不思議な感覚に襲われる。

 握手を終えると、学院長はクロエに用があるのだと告げた。


「私、ですか?」


「そう。中等部生徒会長の君に少しだけ相談したいことがあってね。……昨今の生徒行方不明事件のことだが」


 クロエの金色の瞳が急に曇った。

 僕の案内をセシルに頼むと、クロエは学院長室へと行ってしまった。


 セシルと二人きりになった。 


「あのさ、セシルさん」


「呼び捨てでいいよ?」


「ええと、セシル?」


「そうそう」


 セシルがにんまりとする。


「生徒の行方不明事件って、なんのこと?」


「ああ、それね。最近うちの学校の生徒が突然、何も言わずにいなくなっちゃうってことが続いているの」

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