雪羽への裁定

 思いがけぬほど暗い雪羽の過去を聞いた源吾郎は、自分もそういう境遇にあったような気分になって視線を落としていた。

 しかし他の面々はそこまで戸惑ったり驚いたりしていた訳でもないらしい。


「ま、簡潔に言うと当主だった母親が亡くなって、継母に目を付けられたから本家から逃げ出した。そんな感じかな三國君」


 萩尾丸が三國に問いかける。彼の口調は夕食のおかずでも読み上げるかのような軽快さを伴っていた。三國は鋭い視線を萩尾丸によこしていたが、事実だと言わんばかりに頷いた。


「雷園寺家も雷獣の名家として永年その地位を護っておりましたが、後継者争いが水面下で勃発していたのですね」


 灰高は興味深そうに呟いている。灰高自身も浜野宮家という一族の頭だったらしい。浜野宮家自体は今も存続しており、白鷺城を根城とする刑部狐と同盟関係にあるという。

 八頭衆は実力のある大妖怪揃いだ。紅藤や萩尾丸のように、おのれの力で上位にのし上がった者が目立つものの、名門の血を誇る者も所属しているのは事実だ。酒呑童子の孫である緑樹や、浜野宮家元当主の灰高、そして胡琉安の従姉だという紫苑などが好例だ。


「三國さん。あなたが雷園寺君の事を大切に思って面倒を見ている事に異論は無いわ。あなたの説明からは、実の甥にきちんと愛情を抱いている事がこちらには十二分に伝わってきました」


 優しげな口調でそんな事を言ったのは紅藤だった。三國と、その隣に控える月華のその面に、あからさまに安堵と喜びの色が浮かぶ。はっきりと、雪羽の事を自分たちがどう思っているのかを理解してくれたと言わんばかりの表情である。

 情深く、尚且つ年齢を重ねた紅藤にそう思われたのだから尚更であろう。

 しかし、紅藤の主張はそれで終わりはしなかった。


「だけどね、闇雲に愛情を注ぐだけが保護者の務めではないのよ」

「……紅藤様」


 叱責というには憂いの色を含んだ紅藤の言葉に、三國は臆せず言葉をぶつけた。


「俺が間違っていたと仰りたいんでしょうが、紅藤様は、八頭衆の皆様は引きとったばかりの雪羽の状態は覚えておいでですよね? それなのに、甘やかさずに厳しく接しろなんて言えるんですか?」


 三國は感情のこもった口調でおのれの意見を述べていた。しかし話している内容自体は大分ぼやかされている。要するに実家を追い出された雪羽の身を案じてあれこれ甘やかしすぎたと言いたいのだろう。だが雪羽自身がすぐ傍にいるので、色々と配慮して当時の事は言わないようにしているのだろうと源吾郎は思った。


「言われてみれば、雷園寺君は最初の一、二年は大人しくておどおどした感じだったよね」


 吞気な調子で萩尾丸はそんな事を言った。その視線は三國から外れ雪羽に注がれる。

 萩尾丸は意外にも何も言わなかった。その代わり、という訳ではないが口を開いたのは紅藤である。その面には若干の呆れの色が浮かんでいた。


「そりゃあもちろん、落ち込んでいる子を優しく励まし、勇気づけるのも年長者の役割よ。だけど三國君。あなたは優しく接する事と甘やかす事を、そして自信を持って振舞う事と増長する事をいっしょくたにしてしまった。それが間違いだったの」


 紅藤は深く息を吐き、それから物憂げな視線で周囲を見渡した。


「確かに私たち妖怪は、力が、実力が伴っていればなんだってできるように感じがちだと思うわ。だけどそんな環境下だからこそ、おのれの身分や立場をわきまえて動く事が大切なの。権力とは縁遠い、普通の暮らしを営む妖怪であってもね」


 雷園寺君。一呼吸置いてから、紅藤は雪羽に優しく呼びかける。


「あなたは雷園寺家の当主の座を目指しているみたいだけれど、それはの望みかしら?」

「もちろんだとも」


 紅藤の問いかけに真っ先に答えたのは、雪羽ではなく叔父の三國だった。相変わらず興奮しているらしく、彼の頬は火照ったように紅く染まっていた。


「雪羽は雷園寺家の血を引く事を誇りに思っているんだ。その誇りこそが、雪羽の生き甲斐でもあるんだよ」

「そうさ……叔父さんの言うとおりだよ」


 割合食い気味に言い放つ三國の後に、雪羽はぼそりと呟いた。苦手な科目をへどもどしながら答えるような物言いだと、源吾郎は何となく思った。さしもの雪羽も、大妖怪紅藤を前に緊張しているのかもしれない。


「雷園寺家の当主を目指しているのならば、なおさら今のままの暮らしを続けるわけにはいかないでしょう」


 口調こそ穏やかであるものの、紅藤のその言葉には異論を許さぬ気配があった。彼女は少しの間目を伏せていたが、やにわに瞼を開き、紫に輝く瞳でもって雪羽たちを睥睨した。


「今のあなたには少し難しい話かもしれないけれどしっかり聞いて頂戴。当主にしろ組織のあるじにしろ、権力者というのは意のままに権力を操れる暴君ではありません。権力者はであり、おのれを信じて付いてきてくれるものに存在でなければならないの」


 雪羽は狐につままれたような表情で紅藤を見つめ返していただけだった。しかし彼よりも年かさの三國は思うところがあったらしい。はっとしたような表情でもって紅藤と雪羽とを交互に見つめている。

 実を言えば、権力者と権力を語る紅藤の言葉に、源吾郎自身も感じ入るものがあった。先の言葉は表向きは雪羽のみに向けて放ったように見せかけているが、末弟子であるのだと解釈していた。

 何せ源吾郎自身も、権力と名声を求める妖怪の一人に違いないのだから。

 紅藤の言葉の意図はさておき、彼女の言葉そのものには圧倒的な説得力が伴っていた。雉鶏精一派の第二幹部として長きにわたり君臨し、しかもその権力に半ば辟易している彼女であるからこその発言である、と。


「厳しくも含蓄のある言葉ですね、紅藤様」


 半ば感心したと言いたげな様子で紅藤の言葉を評したのは灰高だった。表向きは紅藤の言葉を褒めているようにも取れるが、そういう解釈で問題ないのかは残念ながらはっきりしない。


「実はだね、さっきは三國さんや雷園寺君には色々言い募ったとは思うけれど、私としては雷園寺君には是非とも当主になって欲しいと思っているんだ」


「何だって……」

「それって、本当ですか灰高様」


 にこやかに語る灰高の言葉は思いがけぬものであった。源吾郎の正体を暴く目的もあったとはいえ、灰高は事実を隠蔽しようとする三國と、隠蔽されるようなことをしでかした雪羽を糾弾しているようにしか見えなかったのだから。

 案の定、三國も雪羽も驚きの声をあげている。三國の声には疑念の色が、雪羽の声には喜びの色が若干濃かった。


「ふふふ、私もまぁ長く生きていますからね。自分の害にならないのであれば、若い子の夢を応援したいという心持ちになっているんですよ。

 それに長い目で考えれば、雷園寺雪羽君が当主になるという事は我々雉鶏精一派にもメリットがあるのです。巧くいけば、雷園寺君を通じて、雷園寺家と我々にパイプが出来る事にもなりますからね」


 灰高は説明を終える。きちんとしたたかに利害を把握している彼の言葉に、源吾郎はその通りだろうなと密かに思った。萩尾丸を間近に見ている源吾郎であるから、ある程度経験を積んだ妖怪が、おのれの実力を押し通すだけではない事も知っていた。

 むしろ経験を積んだ妖怪の方が、周囲のパワーバランスや利害に敏感なくらいだ。紅藤はまぁその辺りが弱い気がするが、筋金入りの研究者だから仕方ないのかもしれない。


「まさしく仰る通りですね、灰高様」


 雷園寺雪羽の将来を応援する。その灰高の意見に萩尾丸も積極的に賛同の意を示した。


「三國君。そう言えば君はさっき雪羽君の父親で君の兄にあたる現当主からチマチマとポケットマネーを貰っているなんてみみっちい真似をしているみたいだけど、僕が交渉すればしっかりがっぽり雷園寺家から頂く事だって出来るんだよ」


 三國はきっと、萩尾丸の主張に驚いている事だろう。しかし内容が突飛すぎて、何をどう言えば良いのか考えあぐねているようだった。


「――とはいえ、現状の段階では、今の雪羽君の状況が今後も続けば当主になるどころか一般妖怪としても非難されるような立場にある。そういう事ですよね、八頭衆の皆様」


 相手が何も言わないのを良い事に、萩尾丸は言葉を重ねた。普段以上に彼の言葉には緩急が付いており、相手を持ち上げる時と叩き落す時の落差が烈しいように源吾郎は感じた。何せ雪羽君は当主になれる、といったその直後に今じゃあ全くもってダメダメだなどと言い放つのだ。灰高の意見を笠に着ているとしても。


「ははは、萩尾丸さんも辛辣ですが的を射た意見だと思いますよ」

「まぁそもそも、当主候補だったのにたった一人で実家を追い出されるというのも僕は気になってたんだ。鬼の場合は、どれだけ兄弟や親族が多くても腕っぷしとかで決めるからそんなに後腐れは無いんだけど」

「今まではそんなに僕たちもとやかく言わなかったのもマズかったかな」


 八頭衆の言葉を萩尾丸はしばらく聞いていたが、それがひと段落したところで萩尾丸は満面の笑みをたたえ、高らかに言い放った。


「だから僕は、雷園寺君は一旦叔父である三國君の許から引き離して再教育すべきだと思っているんです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る