鴉の浄眼 秘密を暴く

 眼前で繰り広げられる叔父と甥のやり取りについて大いに思うところのあった源吾郎であるが、とはいえそれを口にする事は無かった。

 日頃威勢の良い部分のある源吾郎と言えども、幹部の座を護る大妖怪に咬みつくような無謀な真似は行わない。ましてや不要なトラブルを避けるために敢えて宮坂京子として活動しているのだ。

 源吾郎はだから、無言で三國や雪羽を睨みつけるだけに留めておいた。


「おやおや」


 三國みくにの視線が今一度源吾郎に向けられる。自分たちを取り囲む霧が濃くなった気がした。もしかすると霧の使い手である月華が何かをしたのかもしれない。


「仔狐ちゃん。さっきからずっと俺や俺の可愛い甥っ子を睨んでいるけれど、何か不満でもあるのかね?」


 三國のその問いかけに、源吾郎は一度びくりと身を震わせた。三國の鋭い視線は稲妻のようであったし、低くも明瞭に発音するその声は雷鳴のようであった。雷になじみがある雷獣としての特性と、大妖怪としての圧に源吾郎はおののいたのだ。

 そうして宮坂京子が怯えの色を見せているのは三國もすぐに気付いたらしい。口許に懐っこそうな笑みを作り、今度は先程よりも幾分柔らかい調子で言葉を続けた。


「何かあるんだったら遠慮なく言っても良いんだよ。何、俺や甥っ子がそれぞれ大妖怪だったり力のある妖怪だったりするからって遠慮しなくても構わないよ。

 今は機嫌がいいし、何かと得体の知れない八頭衆の中では一番優しくて親しみやすいって言われてもいるんだ……さぁ思っている事を言ってみたまえ」


 優しく促されたものの、源吾郎は口を開くつもりは無かった。極度に緊張していた事もあるが、流石に自分が抱いている怒りの念を口にしたら三國の機嫌を損ねるであろう事は、いかな源吾郎とて解っていた。

 それに自分を優しいと称する三國の言を信じられずにいた。優しいなどと自称する手合いに本当に優しい者などいたためしがない事は源吾郎も知っている。

 まごまごしている数秒の間に三國の笑みは変質した。つい先程まで上辺だけとはいえ優しさを繕っていたはずが、今では獣性丸出しの獰猛な笑みにすり替わっていた。


「……いや、言いたくないのなら言わなくても構わないよ。わざわざ君の口から言ってもらわずとも、君が何に不満を抱いているのか、大方こちらは気付いているからね。

 本当の事を大人たちに言いたくて仕方が無いんだろう? 俺たちが何か隠蔽工作をしているとか何とかってね」

「……!」


 ここで源吾郎は思わず声を上げそうになり、さり気なく口許に手をやった。まだ汗で所々ぬめっていたが、その汗も部位によっては乾き始めている。

――こちらの腹の底が判っているにもかかわらずそういう問いかけを投げてきたのか。全くもって良い性格をなさっているものだ。

 皮肉っぽく心中で毒づく源吾郎を前に、三國は泰然と構えていた。


「狐は賢いから無闇なもめ事は起こさないしもめ事の種も判ると思っていたけれど、仔狐だったら話は別なのかもしれないね……

 本来だったら躾の一つや二つ入れてやった方が良いんだろうねぇ。ああ、大丈夫だよ仔狐ちゃん。俺は八頭衆の中では末席だけど、優しさランキングを組んだらぶっちぎり一位になれると思ってる。要はそれだけ優しいって事さ」


 優しい、と言ったその直後、三國の瞳孔が針のように引き絞られた。野獣のごときその眼差しは酷薄そのもので、優しさなど一ミクロンも感じられない。


「三國様」


 黙りこくる源吾郎の傍らで口を開いたのは何と米田さんだった。


「この子は……宮坂さん、は単に三國様に驚いて睨んでいるように見えただけだと私は思うのです。

 お気づきかと思いますがこの子は新参ですし、こうして生誕祭に参加するのも初めてですから。差し出がましい話ですが、大目に見て頂きたいと私は思うのです」


 相手の出方をうかがいつつも、凛とした調子で言ってのける米田さんの姿を源吾郎は一瞥していた。助け舟を出された事は確かにありがたい。しかしそれ以上に驚きの念が強かった。

 と、今までぼんやりと三國の言葉を聞いていた雪羽も、翠眼を瞬かせながら頷いた。


「俺もそこの狐の姉さんの言うとおりだと思うんだ。ウェイトレスの顔なんて覚えてないけれど、何となく去年まではここに来てない娘だと思うし。

 それに叔父貴。叔父貴はいつも俺には『女の子は柔らかくて繊細でフワッとしてるから優しく接しないと駄目』だって言ってたじゃないか。だからその……そうやってそこの狐の女の子を責め立てるのは、言葉責めだったとしても叔父貴らしくないと思うんだ」


 米田さんと、雪羽の意見を耳にした三國の表情が目に見えて和らいだ。というよりも、先程までの鋭い表情こそが偽りだったかのような印象さえ脳裏に浮上してくるほどだ。

 三國は笑みをたたえ、まず甥である雪羽の方に顔を向けた。三國は源吾郎を顎で示しつつこの子が可愛い女の子に見えるのか、と雪羽に問いかけている。雪羽はあからさまに訝り首をひねっていたが、奇妙な問答はそこであっさりと打ち切られた。三國の視線は今度は源吾郎に向けられている。


「あは、あはははは……仔狐ちゃん。君は中々運が良いというか、人望に篤いみたいだねぇ。いかな妖狐が魅了の術に長けているとはいえ、我が甥にして雷園寺家の跡取り息子たる雪羽を籠絡してしまうなんてねぇ。前途有望というか、ちと末恐ろしい所もあるみたいだな、君は。

 まぁそれはそれとして、雪羽や米田さんが何と言おうが、そもそも俺自身は君が何かを思っているからと言ってどうにかしようなんて思ってはいないさ。ふふふ、何なら雷園寺家次期当主に免じてって言ってやってもいいけどね」


 源吾郎は相槌を打つのも忘れて三國の言葉を聞くだけだった。三國は穏やかでフランクな態度を見せているが、それでも本能が警鐘を鳴らし続けていた。油断しては、ならぬと。


「でもね、これだけは覚えておくと良い。君の態度を不問にするのは、俺が温情をかけただけではないという事をね」


――やはりそう来たか。

 三國が再び鋭い眼光でこちらを見つめてきた。想定の範囲内なので源吾郎はさほど驚きはしなかった。若い妖怪であるが故の気安さと気性の烈しさを、三國は上手い塩梅に使い分けているように源吾郎には思えた。


「仔狐ちゃん。君だって実は明るみにされたくない秘密を抱えているんだろう?」

「――!」


 三國はすっと屈みこみ、わざわざおのれの目線を源吾郎の目線に合わせた。獣そのものの眼差しを前に、源吾郎は何も言わなかった。黙秘によって切り抜けようとしていたのだが、そもそもその態度こそが答えそのものだった。


「誰だって触れられたくない秘密の一つや二つはあるものさ。だけど、それをわざわざほじくり返して晒し者にするのは粋な男のする事じゃあない。仔狐ちゃん、君もそう思うだろう?」

「はい……そう思います」


 アルコールの香りは三國からもしっかりと漂っていた。彼の言が酔いに任せたものなのか素面でも変わらないのかは定かではない。しかし源吾郎はか細い声で応じるのがやっとだった。

 表向きはしおらしく従順に返事をしたように見えるが、その返事が本心からのものではないのは言うまでもない。甥の悪事を隠蔽する事と玉藻御前の末裔である事を隠して潜入している事。確かにどちらも秘密には変わりない。しかし一方は純然たる悪事に過ぎず、他方は悪事というよりも方便と言った方がふさわしい。もちろん源吾郎の正体が明るみになるのは好ましくないが、その事を黙っておくから悪事を見過ごせなどと言う主張が通るものなのだろうか?

 あれこれ考えながら、源吾郎は未だにおのれが無力なのだと痛感していた。三國はおのれの妖力で威圧し、ついで甥の肩書を持ち出して道理が通らぬ事を通そうとし、半ばそれに成功した。実力や強さがあればどうにでもなるという、妖怪社会の根底に通じる実力主義の厳しさに、源吾郎は良くも悪くも出くわしたのである。おのれに力があれば、それこそ力で三國と雪羽を黙らせて逆に従わせる事が出来たのに、とも思っていた。力で三國をねじ伏せるという考えは、もちろん源吾郎の他愛のない夢想である。源吾郎の実際の実力では、雪羽相手でも相当てこずるであろうから。

 とはいえ、源吾郎も三國の事を黙っておくつもりは無かった。後で紅藤や萩尾丸たちに合流したときに、彼らにこの事は密告しようと考えていたのだ。萩尾丸辺りに相談すれば、上手い塩梅に三國と雪羽に報いる事が出来るだろうし。

 さて三國はというと、聞き分けの良いそぶりを見せる宮坂京子の姿に満足し、腹の底で相手が何を考えているかまでは気にしようとはしていないようだ。彼は満足げに微笑み、ふっと息を吐いてから言葉を紡ぎだした。


「良かった、良かった。これで交渉成立だね。仔狐ちゃん。君はたまたまここでスタッフとして働いているだけの妖狐に過ぎず、甥の雪羽は単にグラスタワーが崩れる所に居合わせ――」

 

 三國は最後まで言い切らなかった。周囲の異変に気付き、当惑と驚きにその顔を強張らせたからだ。隣で静かに控えていた月華が鋭く息を呑む音が聞こえた。

 源吾郎は、源吾郎たちもそこで異変に気付いた。自分たちを取り囲んでいたもやがさっぱりと消え失せていたのだ。それは鵺である月華が操っていた認識阻害の結界が解除された事を意味する。しかし三國と月華の表情を見るだに、彼らにとっても予想外の出来事のようだ。


「は、灰高様!」


 上ずった声で三國が半ば叫ぶようにしてその名を呼ぶ。源吾郎も思わず身体を曲げ、三國が注目する先に視線を向けた。

 灰高と呼ばれる妖怪の事を源吾郎はもちろん知っている。八頭衆の一人、つまりは雉鶏精一派の幹部の一員である。序列は第四幹部であるが、幹部たちの中では最年長である事、鴉天狗の将軍として元々は雉鶏精一派と対立していたという事実のために、他の幹部たちからも一目を置かれているという。

 その灰高は、一見するとロマンスグレーの髪色と和の要素を含んだスーツに身を包む紳士のような印象をもたらした。しかし柔和に細められた瞳には何やら油断ならぬものが見え隠れしている。大妖怪の紅藤が「灰高のお兄様」と呼びならわすだけの存在とも言えるだろう。

 灰高は堂々とした足取りで三國たちが集まっている所に近付いていた。三國も月華も戸惑いつつもそれをただ見守っているだけである。三國の若手妖怪らしい尊大な気配も、月華の鵺らしい気配もなりを潜めている。


「面白そうな気配がしたからやって来たんですが、三國さん。あなたはそこの鵺を使って結界みたいなものを張り巡らしていたんですね」


 三國と月華は何も言わないが、気にせず灰高は続ける。


「まさか、私があの程度の結界を破れないとでもお思いだったのでしょうか? 鵺と言っても所詮は鳥の名を騙る哺乳類ですからね……せめて夜雀にでも頼んだら良かったのではないですか。まぁ、太陽を司る鴉の前では、鵺の暗雲も夜雀の闇も消し飛びますがね」


 それにしても。灰高は周囲にさっと視線を走らせてから今一度三國を見た。


「相談事があるのなら、わざわざ結界を張って行わなくても良かったんじゃあありませんか? あなた方だけでは妙案が浮かばない場合もあるでしょうに……水臭いですね」

「水臭いも何も、身内の話に勝手に割り込むのは野暮というものですよ」


 三國が弱弱しく抗議すると、灰高は笑ったまま言葉を続けた。


「おやおや。野暮とかそういう言葉を持ち出して、自分の行動を正当化するつもりですか? 三國さん。私どもが何も言わないからと言って、あなたの甥の振る舞いを許容しているとでもお思いですか?」

「…………」


 冷徹さを孕む灰高の言葉に対し、三國は何も言えずにいるようだった。その顔は驚きと悔しさに歪んでいる。


「丁度私もこの後緊急の幹部会議を開こうと思っておりまして、メインの議題の前座として、雷園寺雪羽君の話でも致しましょう。心配する必要はありませんとも、あなたの甥御殿、雷園寺家次期当主の処遇の話はあくまでもオマケです。本命の議題がありますからね」


 灰高の最後の言葉は謎めいて意味深だった。だがその灰高は三國から視線を外すと宮坂京子、すなわち源吾郎に視線を向けたのだ。のみならず、さも当然のように歩み寄って来る。


「三國さんと月華さん。第二幹部の擁する若き妖狐・玉藻御前の末裔だという少年はこの度急病で欠席だと雉仙女殿から連絡がありましたよね。しかしそれは嘘なのですよ」


 灰高は未だへたり込む宮坂京子の肩にそっと手を添えた。灰高の持つ妖力の一部が源吾郎の許に流れ込む。相手に無理やり妖気を流し込み、変化術を解くという強引なやり方だ。前に萩尾丸に同じ事をされていたから、灰高が行おうとしている事は源吾郎にも解った。

 しかし、解っている事と対応できる事はまた別問題である。灰高のもたらした刺激により、源吾郎が維持し続けていた変化はあっさりと解除された。


「さぁよく見てごらんなさい。玉藻御前の末裔はんですよ!」


 灰高が朗々とした声で言い放つその時には、宮坂京子の虚像は消え失せていた。本来の姿に戻った源吾郎は、四尾を丸めうなだれるほかなかったのである。

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