恋する男子に天気を教えて(3)

 その日の午後。

 俺は、学校から直接アルバイト先の花屋へ向かい、置き去りだった自転車に乗って帰ることにした。


 昨晩は、天気予報で暴風警報が出るほど危険な状況だったので、閉店後の夜10時まで居残って、配達用のワゴン車で自宅まで送ってもらったのだ。

 翌朝、俺がバスに乗って通学したのはこのためである。


 どうせ明日は学校が休みなので、今すぐ自転車を取りに行く必要はない。

 ところが、今日の午前中まで降り続いていた雨が、台風が過ぎ去った途端にすっかり晴れてしまった。


 だから、面倒な用事はその日のうちに済ませておくことにする。


 雨ざらしだった自転車のかごに学生鞄を放り込み、濡れたサドルに尻が触れぬように立ち漕ぎをする。

 信号のない場所を横断して反対側の歩道へと渡り、行きつけの古本屋に立ち寄って商品を物色する。


 映画やドラマなどのレンタルビデオを取り扱っているこの店舗では、中古の漫画やゲームソフトの買い取りも行っている。

 演歌や童謡しか入っていない安売りのワゴンケースや、成人向けの作品が並んだアダルトなコーナーもある。


 結局何も買わずにそのまま店を出ようとしたら、思わぬところで中学の後輩たちと出会ってしまい、何でもいいからおごってくれとせがまれる。

 俺は、今年から彼らの担任になったという恩師によろしくと伝えて、ふたたび自転車を漕ぎ出す。


 それから、久しぶりに公園の裏手にあるバッティングセンターへ行こうかとも思ったが、ガラの悪そうな連中がいたのでやめておく。

 母親から届いたメッセージを声に出して読みながら、近所のスーパーマーケットで晩飯の買い出しを済ませる。


 どちらかと言うと、俺は雨の日が好きだ。

 もっと言うなら、雨が降っても濡れない場所が好きだ。


 たぶん、根っからの日陰者なんだと思う。

 こういうのを天邪鬼と言うのだろうか?


「――そういえば、青木君って自転車通学だっけ?」

 だから、今日の放課後に学校の図書室へ行った時、郷土研究部の香川先輩から、


「すっかり雨も上がったことだし、たまには学校の外へ出かけてみない?」

 そんなふうに話しかけられて、正直どうしようかと思った。


 香川先輩は、図書室の片隅に収められた文集のバックナンバーを読み返しながら、こっちこっちと本棚越しに手まねきをする。


「去年の卒業生に、惜しくも金賞を逃した部員がいてね。今年こそ生徒会で予算を勝ち取るために、青木君にその研究テーマを引き継いでほしいの」


 俺は、宿題のプリントで折った紙飛行機をためつすがめつ、窓の外に向かって飛ばす真似をする。


 参考までに付け加えておくと、この学校の生徒会では、現在所属している部員の人数や、過去に表彰された実績を踏まえて、それぞれのクラブへ活動予算を分配している。

 けれども、必要な備品やら他校への遠征が多いことから、どうしても運動部ばかりが優遇されがちで、弱小の文化部は部室すら貸してもらえない。


「一旦、持ち帰って検討させていただきます」

「どうせまた家に忘れてきたって言うんでしょう? それとも今度は、ちゃんと提出しようと思ったのになくしたって言うの?」


「夏休みの自由研究なんて、小学生じゃあるまいし」

「ろくに読書感想文も書けないような子が、ずいぶんと偉そうなことを言うじゃない」


 ――ところで、去年まで青木君が通っていた中学校はどこ? いつも帰り道はどの辺りを通るの?


 顧問の先生がいる図書準備室から、綴りごと裁断された資料を持ち出してきて、一枚ずつテーブルの上に並べる香川先輩。

 するとそこに、さっきまでお絵描きに夢中だった千嵐小夜も加わり、印刷機でコピーされた地図に赤ペンで印をつける。


 それは、この学校を中心とする地域全体の航空写真だった。

 白黒で何度となく印刷を重ねたせいか、細かい箇所はインクで潰れてしまっていて、虫眼鏡で覗いても判別できない。


「とにかく、この夏はみんなで力を合わせて、ひとつの課題に取り組んでみない? うちの学校のことをもっとたくさんの人に知ってもらうために、通学路のガイドブックを作るのよ」


 そういう経緯でもって――俺はこの日の放課後、まっすぐ学校から帰らずに少しだけ寄り道をすることにした。


 今回、俺が郷土研究部のメンバーとなって初めて取り組むことになった研究テーマは、水辺に暮らす生き物と生活ごみの関係について。

 この町の住人たちが、自治会の持ち回りで嫌々ながらも続けてきた清掃活動が、はたして河川流域の生態系にどのような影響を与えたのかを調査するのが目的だ。


 鉄橋のたもとにある土手道で自転車を乗り捨てて、おそるおそる転ばぬように河川敷へと下りる。

 雨上がりの草むらはぬかるんでいて滑りやすく、教科書とノートが入った鞄をかばうあまり、たちまち靴の中までびっしょりと濡れてしまう。


 やはり俺の目論み通り――台風が通過した直後ということもあり、コンクリートで護岸された橋の下には、空き缶やビニール袋などの生活ごみが大量に散乱していた。

 俺自身はもう高校生だから立派な大人だが、場合によっては水かさが増していて危険なので、よい子は絶対に真似をしてはいけない。


 俺は、今さっきスーパーで買ってきた家庭用のごみ袋を携えて、川岸に流れ着いた漂流物を拾い集める。

 念のために断っておくが、ボランティアの慈善活動ではない。あくまでも学校の課外活動の一環である。


 燃えるごみと燃えないごみ、それからプラスチックと缶瓶を適当に分別する。さらに細かく種類と分布を記録したあと、証拠としてスマホで撮影しておく。

 道ばたに生えているタンポポの在来種と外来種など、どうやって見分ければいいか分からないし、草むしりはまた今度にしよう。


「……あんた、こんなところで何をしてるの?」


 地べたに段ボールを敷いて橋の下に座り込んだ俺が、たまたま河川敷で見つけたエロ本を読んでいると、

 その他の友達と同じカテゴリーに登録されている野々坂百花のケータイから、何の前触れもなく電話がかかってきた。


「お前こそ、部活はもう終わったのか?」


 何だか相手の様子がおかしいと思って、立ち上がりざまに周囲を見渡してみる。

 すると、部活帰りのジャージ姿で犬の散歩をしている本人の姿があった。


 ここ最近日課にしているランニングの途中で、たまたま付近を通りかかったようだ。

 俺の自転車が道ばたで倒れていることに気づき、橋の欄干から身を乗り出して川を見下ろしている恰好だった。

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