恋する男子に占いを教えて(6)


 こうして俺は、初対面かつほとんど面識のない女子生徒と二人きり、放課後の教室に取り残された。

 ふと周りを見れば、教室の中に居残ったのは俺と千嵐だけ。さっきからお喋りに夢中で気づかなかったが、他の生徒はとっくに下校してしまったようだ。


 しかし、この時。

 俺は心の中でひそかに葛藤していた。


 ――アイルバイトの面接だ。

 教室の時計を見ると、どうせ今から急いで行っても間に合いそうにない。というか、何かもう面倒くさくて仕方がない。

 先方にも都合があるだろうし、一応断りの電話くらいは入れておくべきか?


 部活を辞めるならバイトしろ。勉強もせずに遊び呆けるな。それが俺の母親の口癖だ。

 あともうひとつ、自分のことは自分で決めなさい。


 そして俺は、自他ともに認めるマザコンである。

 高校生になっても週に一回は買い物に付き合い、たまの休日にはドライブへ出かけて一緒に食事したりする。

 そういう場面を知り合いから目撃されて、からかわれることも少なくない。


 千嵐小夜は、そんな俺の様子を横目でちらちらと盗み見て、まるでおびえた猫のように不審がっていた。

 スカートの丈ばかり気にして膝元で携帯電話を隠し持ち、俺に見つからないように小刻みに指を動かしている。……もしかして110番してる?


 きっと、自分もさっさと荷物をまとめて帰りたいのだろうが、無理やり日直の仕事を押しつけられた俺の手前、お先に失礼とも言いづらくて、どうしようか迷っているのだろう。


「あとはいいよ。俺がやるから」

「私でよければ、お手伝いします」


「だからいいって。遅くなるから」

「私がやります。やらせてください」


 そう言うや否や――千嵐は、椅子を倒して勢いよく立ち上がった。


 ところが、前髪の分け目を気にするあまり足がもつれて蹴つまずき、あわや転びそうになる。

 教室の床の板目に合わせて、ずれた机の位置を戻したあと。背伸びをしながら黒板の落書きをかき消す。


 チョークの粉末にまみれた黒板消しを両手に持ち、教室の窓を開け放つと、目をつぶったままがむしゃらに叩きまくる。

 慌てて止めようとしたものの間に合わず、真っ白な煙幕を浴びて、たちまち玉手箱を開けたように老けてしまう。


 この学校は、古き良き校風を是とした歴史と伝統ある高校である。


 日本全国の小中学校で電子黒板やタブレット端末が導入されている昨今において、今時、携帯電話の持ち込みを禁止している高校は少なかろう。

 とはいえ、諸般の事情を鑑みて学校側も事実上黙認しているのが現状ではあるが。


「お前さ――」

 俺は、教室の窓辺から中庭を見下ろしつつ、頃合いを見計らってそれとなく話を切り出す。


「先週の放課後、どこで何をしてたか覚えてるか? もし差し支えなければ、アリバイを教えてほしいんだが……」


 ひょうたん池の周りに芝生が敷かれて、さながら公園のように整備された場所だ。

 広場の片隅にベンチが設置されており、この学校のシンボルでもある大きな桜の木が植えられている。


「アリバイ、ですか……?」


 千嵐は、ひどくうろたえていた。

 誤って砕いてしまったチョークの欠片を拾おうとして、ぎくっと腰を引きつらせる。


 色あせた夕日が斜めに差し込む、がらんとした教室。

 風に吹かれたカーテンが波のように揺れて、長く伸びた影を見え隠れさせる。


「やっぱり、あれは青木さんだったんですね」


 千嵐は、ケータイをしまった鞄を後ろ手に隠しつつ、伏し目がちにこちらを振り向く。

 まさか、そんなふうに相手から近づいてくるとは思ってもいなかったから、俺は内心、焦ってたじろぐ。


 もしかすると、じつは彼女も彼女で、今までずっと俺の正体を疑っていたのかもしれない。

 はたして俺という人物が、あの時事件の現場で目撃された男子生徒だったのかどうか。


「もとはと言えば、私が言い出したんです。学校帰りに寄り道してみたいと言ったら、だったら一緒に行こうと野々坂さんが誘ってくれて……」


「寄り道って?」


「じつを言うと私、昔からずっと憧れだったんです。いつか私も女子高生になったら、制服のまま友達と一緒に可愛いスイーツを食べたり、スマホで映える写真を撮ってSNSで自慢したり……」


 デザートだとお腹にたまるけど、お菓子だとちょっと物足りなくて……と、千嵐は指と指のあいだでちょうどいい幅を示して、その当時の自分の気持ちを表現する。

 いや、その部分についてはそこまで詳しく説明しなくていいから。俺は何となく分かったふりをして適当に相づちを打つ。


「あの日は、私が悪かったんです。あまり時間が遅くなると、晩ごはんが食べられなくなりますし、門限を破ったら外出できなくなってしまうので、やっぱりまた今度にしようと思って、何度もメッセージを送ったんですけど、全然返事がなくて……」


 千嵐は、後先も考えずに一気にまくし立てて途中で息切れした。

 それからまた、身振り手振りをまじえて必死に思いついた言葉をつむぐ。


「どうしても今すぐ会いたい人がいるから、戻ってくるまで待っててと言われたんですけど、私ってほら、ものすごく心配性じゃないですか。だから、誰にも見つからないようにこっそりあとをつけて、野々坂さんのケータイに電話をかけてみたんです」


「あいつのことが、心配だったのか?」


「だってほら、本当は私のメッセージに気づいているのに、わざと無視しているかもしれないでしょう? ひょっとしたら私自身が気づいていないだけで、着信を拒否されている可能性もありますし」


「……なるほど、それは心配性だな」


 俺は、一体なぜ自分がこんな状況に追い込まれているのか分からず、できるだけ当たり障りのないように、否定も肯定もせずにただただ相手の言葉をそのまま繰り返す。

 どうやら彼女は、あの日、自分自身が犯してしまった過ちを心から悔やんでいるようだ。それこそ自らの胸に手を当てて、苦しさのあまり涙ぐんでしまうほどに。


「じつは俺も、お前に話しておきたいことがあって。何を隠そう、俺と野々坂の関係についてなんだが……」


 俺はこの時、すでに帰り支度を済ませていた。頼まれた仕事はもう終わっていて、あとは教室の鍵を閉めるのみだ。

 なるべく目を合わせぬようによそ見をした俺に対して、千嵐はさらに一歩、足を踏み出して距離を縮めてくる。


「さっきの話、野々坂さんには黙っててくれませんか?」

「えっ?」


「私、周りの友達からそういうキャラだと思われたくないんです」

「そういうキャラって?」


「……しいて言うなら、おうし座のA型みたいな性格でしょうか?」

「つまり、自分では認めたくないんだな」

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