震えるマリーツィア


「万引きをしたことを見つけられて、それを理由に特定の生徒たちをいじめるように命令されてたの」

「あなた一人じゃないわね?」

「はい。理由はいろいろだけど元々素行が悪くて学校を追い出されそうになってる子とか、私みたいに弱みを握られて言うことを聞くしかなかった子とか全部で30人以上」

「随分大掛かりね」

「はい。中にはこれ以上は耐えられないと言って学校から逃げ出した人もいます」


 私は一呼吸おいて彼女に問いかけた。


「あなた自身は今回の事どう思ってたの?」


 少しの沈黙の後にマリーツィアは意外な胸の内を口にした。


「いつかこうなると思ってた」


 喉の奥からしゃくりあげながらマリーツィアは思いを吐き出した。


「だって、あの子がどこかの大きい上級候族と繋がりがあるって事は薄々わかってたから。そこが動いたら一巻の終わりだってずっと思ってた。あの子の領主拝命式の事を知ったとき、ただの地方出身候族じゃないって直感した」

「だったらなぜ、その時に誰にも言わなかったの? もっと早くあなた自身も助けを求めればこんなに苦しむことは無かったはずよ?」


 そして彼女は自分の胸の奥に締まっていた重い重い心の内を吐き出した。


「だって、バレたら………にひどい目にあわされる」


 そう怯えて語るマリーツィアの顔は涙で崩れていた。後悔の涙ではなく恐怖に怯える涙だった。彼女が心のうちに押し隠していた恐怖の核心だった。目を逸らしていた恐怖そのものを口にしたことで彼女は明らかに全身を震えさせていた。自分の親に何をされるか分からないという絶対的な恐怖のもとに。


「やっぱり、そんなことだろうと思った」


 私がそう言い放った時だ。


「マリーツィア! あなたまだそんなこと言うの?!」


 アレディアが大声を上げてマリーツィアの髪の毛を掴もうとする。私はとっさにマリーツィアの体を抱いて引き寄せるとアレディアの手をかわした。

 私はその胸の中のマリーツィアに言った。


「大丈夫よ! 私が守ってあげる!」


 その一言にマリーツィアは頷く。返す刀でアレディアにも言い放つ。


「アレディア夫人。あなたの普段の娘さんへの接し方、おおよそ見当が付いてます。何か気に食わないことや面白くないことがあるとヒステリックに喚き散らし場合によっては叩いたり髪の毛をつかんだり! 折檻と称してもっと酷い事ですらしていたんじゃありませんか?! あなたはそれを叱った・指導したと言うかもしれませんが、世の中ではそれを〝虐待〟と言うんです!」


 彼女をこのままここに置いておけばもっと酷い目に合わされるだろう。彼女のことも保護する必要がある。


「いらっしゃい」


 私はマリーツィアをアレディア夫人から引き離すと、応接室の片隅にあった、背もたれのない長椅子に一緒に座らせた。 

 泣きじゃくるというよりは、心の中に抱え続けていた恐怖心の限界点を超えてしまったことで自分で自分をどうしていいのか分からなくなっている状態だった。

 私はここに至って、彼女もまた被害者だったと痛感したのだ。


「言いたいことがあれば全部話しなさい。私が全て聞いてあげる。何があっても助けるから」


 ガタガタと震えながらマリーツィアは頷いた。そして彼女の口から語られたのは彼女のことを人として見ていない、親もどきの人非人の姿だった。


「昔からお母様には絶対に逆らえなかった」

「マリーツィア!」


 それでもなお干渉しようとするアレディア夫人に私は腰に下げた戦杖を引き抜いて突きつけた。そして鋭く言い放つ。


「黙れと言っているの! この子も被害者であるとわかった以上、加害者であるあなたを黙らせるのに私は手段を選ばない! 顎を砕かれたくなかったら黙って座ってろ!」


 私にはあの父親の記憶がある。子として親を信頼できないというのは真綿で首を絞められるよりもはるかに辛いことなのだ。それは私自身がいやというほど知っている。

 私の剣幕にさすがにまずいと思ったのだろう。アレディア夫人は大人しく引き下がりソファーへと腰を下ろした。


「大丈夫よ。続けて」


 マリーツィアが頷いて言葉を続ける。


「何を決めるのもお母様の意見が全てだった。ドレスを着るときも、友達と遊ぶときも、ましてやよその男の子と口でも聞いたりしたら何を言われるか分からない。そのくせ、学校の成績や、外での評判ばかりにはあれこれとやかましくてどうしたら許してもらえるのか、毎日毎日そればかり考えてた――」

「それで?」

「昔、猫が飼いたくてお父様にお願いして取り寄せてもらった。でも動物が嫌いだったお母様は私が学校に行っている間に使用人に命じて捨てさせた。探しに行ったけど生きたまま川に捨ててきたって」

「なんてこと」

「そのことを文句言ったら、顔が腫れ上がるほどビンタされた。親に口答えするなって……、そんなのはしょっちゅうだった」


 泣きながら話す彼女の言葉は痛みに満ちていた。


「他の家がずっと羨ましかった。家族と仲良くしてお母さんと普通にお話しして、小間使い役の侍女も居て、そんな人たちが羨ましくてたまらなかった。気がついたら意地悪ばかりするようになってた。やっちゃいけないってわかっても気がついたらそういう事ばかりか喋ってる」


 つまりはこうだ、冷え切った親子関係。子を子と思わない親、それに対する苦痛から逃れるために自分の家の外へと攻撃心を向ける。一時的にそれで苦痛が軽くなるからそれに依存するようになる。

 私は彼女にさらに尋ねた。


「万引きをするようになったのも、自分の気持ちをどうしていいか分からなくなったから?」


 彼女は頷いた。


「それもある。でももっと一番つらかったのは、自分の行きたい学校に行かせてくれなかったこと」


 このままでは彼女は心を病んでしまう。ここで吐き出せるものは吐き出させた方がいい。


「何になりたかったの?」

「看護師、医療の仕事に就きたかった。中央上級学校なんて進学の学校、行きたくなかった」

「なぜ行きたい学校に行けなかったの?」

「それは――」


 それは彼女にとって一番重く辛い記憶だった過呼吸を起こして体を震えさせながら渾身の力を振り絞って言葉を吐いた。


「私の知らないところで結婚がすでに決まってたから。どこの誰かも知らない候族の三男坊と結婚するまでのつなぎに無理やり今の学校に通わされてた。花嫁修行の一環だとか言って」


 ああ、そうか、この子は私と同じだ! 2年前の自分が瞬間的に蘇り、婚礼衣装を自らの手で焼き捨てたあの日を思い出していた。

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