07 異世界転生は人を差別しない



 人を助ける制度の網があれば、そこから必ず、こぼれ落ちる人がいる。

 三年間、生活保護ケースワーカーとして働いてきた公平の得た教訓だ。生活保護は上の網からこぼれ落ちてきた人々を救う、最後の網となるべきだ、とはわかっていたけれど、現実はなかなかそうもいかない。次の日、また出勤した公平はぼんやり、そんなことを考えていた。

「うう……情けない……私は…………この年になって、行政のご厄介になるなんて……」

 窓口の中、応接スペースに座り、身を縮こまらせて泣き続ける、少年。

「どうかそんなこと仰らないでください。困っている人がいるのに、それは自己責任だと言って助けない社会なんて、僕はいやですよ」

 なんとか彼の肩を叩きなだめようとするのだけれど、少年の涙は止まらなかった。異世界区役所の中に彼がすすり泣く、身を切るような切ない音が満ちる。女の子といっても通用するような整った顔が涙に濡れる様は、見ている公平の胸に、非常に複雑な感情をもたらした。

 少年は〈赤銅位冒険者コッパー 鈴木すずき健作けんさく〉。転生民は転生の際に名付けられるか、自分で新たな名を名乗るかするのだが……鈴木の場合は、それどころではなかった。

「うう……私は、私は自分が情けないです……本当に……」

 なにせ四十七歳にして、十五歳の少年冒険者の体に転生してしまったのだ。

 特に変わったところ一つない、大手自動車メーカーが納入先の九割の、部品会社のエンジニアだった鈴木は、トラック転生を果たすと途方に暮れた。

 一般に転生者は、零次スキルと呼ばれる、このレベル・スキルベースの異世界にあっても非常に特異で、強力なスキルを得られる。鈴木が手にしたのは技能強盗スキル・バーグラー。文字通り、叩き伏せた相手のスキルを強制的に、永続的に盗み出せる、とんでもないチートスキル。

 が、彼は争いごとが嫌いだった。

「小さな頃から、逃げてばかりで……死んで、この世界に生まれ変わっても……変わらず……」

 人に暴力を振るうのを、想像しただけでいやな気分になるという鈴木は、零次スキルを使うことはなかった。それどころか冒険者の日常である、魔物を倒して日銭を稼ぐ暮らしさえ、彼には無理だった。あからさまに普通の動物ではないこの異世界の魔物さえ、彼にとっては決して徒に傷つけてはいけない動物に映ったのだ。そして彼には、転生モノ知識が皆無だった。鈴木はただの、四十七歳の、仕事とビートルズと缶ビールを愛する、温厚な紳士だったのだ。

 異世界の人間たちは、そんな世間知らずを放っておくようなお人好しばかりではない。本来は運良く、なのだろうがこの場合は運悪く、一見女の子かと見間違うような美少年に転生していたことも相まって、あっという間に借金から奴隷に落とされた。半ば精神が崩壊して奴隷市で、子どもの頃に見たアニメのエンディングテーマを口ずさんでいたところ、別の転生者に助けられ保護され、彼経由でようやく、異世界区役所にたどり着けた、という経歴の持ち主だ。

「そんな……鈴木さんみたいに優しい方、滅多にいらっしゃいませんよ」

 泣き崩れる鈴木の肩を、優しく叩いてやる公平。だが鈴木はそれでさらに泣いてしまう。

「うう……吉田さん……申し訳、申し訳ない……私がふがいないばかりに……」

 公平の胸にすがりつく鈴木。まいったな、という顔をしながらも、肩を抱いて受け止めてやる。ミーカは無言のまま、あらあらまあまあ、みたいな顔をして二人を見つめてきたので、公平はため息だけで答えた。けれど、彼をどうしたらいいのか、ということについてはもう目処がたっていたので、彼が落ち着くのを待って、一階に向かうのだった。

 公共事業ほど頼れるものは、あまりない。


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