　タイムが終わり各々守備位置に戻ると、琉華はテンポよく初球を投げ込んだ。

「ストライク！」

　まずは力みを取るように、緩いカーブを入れる。打席には二番の奏だが、速いテンポから繰り出される遅い球に手が出ずに見送った。

　そして今の琉華はあまり動揺が見て取れない。タイムを取ったことで多少なりとも落ち着くことができたのだろう。

　ただ、状況が苦しいことには変わらない。この状況を脱するために、まずは一つずつアウトを奪っていかなくてらならない。

　そして現状は四点差。内野ゴロでアウトを奪った上での失点であればまだ軽傷だが、アウトを奪えずに点を取られることは避けたい。

　二球目、今度は内角へのチェンジアップだ。

　初球の緩い球からの二球目も緩い球。二球連続とはいえ球種は違う。そして手の出しやすい球に奏は待ち切れずにバットを振った。

「ファウルボール」

　早いタイミングで振られたバットから繰り出された打球は、大きく一塁側のファウルゾーンへと逸れる。

　調子良く二球で追い込んだ。

　そして琉華がテンポ良く投じた三球目。外角へと速い球、ストレートだ。

　バッターの奏はバットを出すタイミングが少し遅れている。緩い球、緩い球と続けたため、意識が緩い球へと引っ張られたのだろう。

　それでも奏は強引にバットを振り抜いた。

「セカンド！」

　打球は弱く、しかしピッチャーの横を抜ける。セカンドの夜空は前進する。

　この位置であれば本塁は際どいタイミングだ。セーフとなれば一点を返された上にランナーが一、二塁となる。

　一塁であれば余裕でアウトにはできるが、それはサードランナーが生還して二塁にランナーを残すこととなる。かと言って二塁に投げようとしても、捕球してから反転すれば間に合うかわからない。それなら本塁の方が確実性は高いだろう。

　しかし、夜空は勝負に出た。

「晴！」

　夜空はセカンドベースに待つ晴を指刺す。その右手にはグラブを持っていた。

「……まさか」

　その夜空の動作だけで、巧は夜空が何をしようとしているのかということがわかってしまった。

　それでも信じられない。考え過ぎで期待し過ぎだとも考えたが、夜空はそれをやってのけた。

　前進する夜空はグラブを持たない……外した左手、素手で打球に合わせて捕球する。すると、そのまま勢いをつけて二塁へと送球した。

「アウト！」

　晴はセカンドベース上で送球を受け取る。しかし二塁へ向かうファーストランナーの咲良は当然スライディングし、それが同時に晴が送球する妨げともなった。

　ルール上問題ない、バッターランナーが一塁に到達する幇助をするプレーだ。

　ただ、晴もショートを守ってきた水色学園の元キャプテンだ。経験は豊富で、この状況に幾度となく遭遇している。

　晴はスライディングを避けるように三塁方向へと足を踏み込むと、後ろに体が流れながらも力強い送球を放つ。

「……アウト！」

　バッターランナーの奏も懸命に走ったが、一歩届かない。

　サードランナーの春海はすでに本塁に到達しているが、フォースプレーでのダブルプレーによってスリーアウトとなり、その生還は認められない。

「ナイスプレー」

　巧は声をかけながらベンチとは逆方向、送球の際に体勢を崩して転倒した夜空に駆け寄った。夜空は琉華の手を借り、すでに立ちあがろうとしていた。

「よくこんなプレーできたな」

　夜空はユニフォームについた砂を払うとベンチへと駆け足で戻り、巧もそれに合わせてベンチへと戻る。

「ん、まあできることだけ磨くのも良いけど、珠姫も新しいことに挑戦してるし、現状で満足すれば周りに追い抜かれちゃうし。どっかの左投げセカンドの二塁送球は理にかなってると思ったからね」

　左投げのセカンドと言えば、知っている限り咲良しかいない。確かに一塁への送球は左投げだと難しいが、二塁へは反転しない分左投げの方が送球しやすい。

「夏の大会までは他にやることがあったからできなかったけど、終わってからなら逆にやることなかったから。ちょうど両投げの後輩師匠が一人明鈴にもいるじゃん？」

　夜空はそう言いながらグラウンドの外にいる陽依に目を向けた。陽依は基本右投げだが左投げもできるため、右投げの選手が左投げをする感覚の違いも教えられるのかもしれない。もちろん夜空は本格的に左投げをするわけでもなく、守備の中で左で投げるという選択肢を増やすためのものであり、とりあえずは送球ができる程度でも良い。そのため、低い目標から始めたということに加えて元々の野球センスによって、短期間で習得できたのだろう。

　そして、夜空の言うように『やることがなかった』というのは極端ではあるが、今まではチームのことを考えながら夜空自身も成長しなくてはいけなかった。キャプテンではなくなり、チームのことを考えるという負担が格段に減ったことによって、自分に裂ける時間が増えたこともその要因だろう。

「やろうと思うこと自体、頭おかしいねぇ……」

　巧と夜空の会話を聞いていたのか、晴は苦笑いをしながらそう言った。

　晴の言う通り、普通にプレーする中で利き腕とは逆で投げようという発想はあまり出てこない。使えるプレーと言えば今回のように素手で捕れる打球くらいで、グラブを持ち替える余裕のある打球でしか使えない。使う場面は極端に限られてくるのだ。

　投げれたらいいなと思うことはあっても、実現することは難しいのだ。

　それに夜空は『現状に満足すれば周りに追い抜かれる』と言ったが、そのために利き腕とは逆で投げるという成長をするのは、正直巧も頭がおかしいのかと思うほどだった。

　ただ、その予想もつかない発想ができるからこそ、……考えついたとしても誰もが躊躇するようなことを実行しようとするからこそ、夜空は上手いのだ。

　強豪と比較すれば明鈴の練習量は大したことがないかもしれない。それでも強豪の選手と遜色ない……むしろそれ以上の実力を持っているのは、どんなに限られた状況下で行われるプレーだろうと最悪の事態を想定して練習する。できるプレーだけを練習するわけではなく、できないプレーを練習する向上心を持つということが、夜空の実力へと繋がっているのだ。

　勉強でも同じように、解ける問題をひたすら解くのではなく、苦手を克服することこそが向上の糸口となる。ただそれと同じことを夜空はしているだけだった。

「流れは引き寄せたよ。……次は攻撃だ」

　光陵に追加点を与えてもおかしくないピンチをスーパープレーで凌いだことによって、流れを選抜メンバーチームが手繰り寄せたと言っても過言ではない。

　ただ、スーパープレーをすることがこの試合の目的ではなく、勝つことがこの試合の目的だ。

　まだリードはある。しかし、乗りかけていた光陵の勢いを殺すためにも、ここでさらに突き放したいところ。

　マウンド上には巧がホームランを放った後、その後は出塁を許すことなく三人を打ち取った琥珀が立っている。

　さらに追加点を加えるためにも、まずはこの琥珀を攻略しなければならなかった。