第21話 選手と監督 選抜vs光陵
大きなピンチを乗り切った。秀はヒットやフォアボールでワンアウトランナー満塁のピンチだったものの、それを三振、センターフライで凌いだ。
ただ、そのセンターフライは、おそらく99パーセントの選手が捕れない打球だった。しかし、どんな打球だろうと、別の選手が入っていれば処理できなかった可能性は少なからずある。今回はセンターに巧が入っていたから、長打になる打球がセンターフライとなっただけに過ぎなかった。
巧がベンチに戻ると夜空に帽子を取られる。そして夜空と珠姫によって頭をくしゃくしゃにされた。その後に他のチームメイトたちにも肩を叩かれたり、「ナイスプレー」と声をかけられる。監督の時にはなかった久しぶりの感覚に、巧はたまらず顔が緩みそうになった。
ただ、だらしない顔を見られたくなく、できるだけ自然な笑顔を浮かべながら、巧は口を開いた。
「秀さんが抑えてくれているんで、俺もやることはやりますよ」
守備の好プレーがあったということもあるが、二回までは琥珀によるヒット一本だけで抑えていた。三回ではピンチを招いたものの、秀が抑えてくれることで、得点が少なかろうとも勝ちに繋げられる。攻撃面で楽をさせてもらっているのだ。それならば、守備で貢献し、投げる秀を楽にしたいというのが巧の気持ちだった。
好プレーによって喜ぶこと束の間、今度は選抜メンバーの攻撃が始まる。
四回表、先頭打者は由真だ。明鈴の切り込み隊長である由真がノーアウトで出塁すればチャンスも作れるだろう。まずはここでどのような動きができるのかが見ものだ。
そして先ほど輝花は代打を送られており、光陵はピッチャーが交代する。準備をすでにしていた護が、代打に送られた颯と代わってそのまま九番ピッチャーに入った。
由真が打席に入り、巧は落ち着いてベンチに座る。派手なプレーをしたこともあって、流石に一息入れたい。
巧が水分補給をしながら試合を眺めていると、佐伯先生はグラウンドに視線を向けたまま、巧に話しかけてきた。
「先ほどのプレー、良いプレーでした。流石は巧くんですね」
「あ、ありがとうございます」
褒められた巧は恐縮する。
そして佐伯先生は続けて違う話題に切り替えた。
「つかぬことを聞きますが、巧くんは今何を考えてプレーしていますか?」
唐突な言葉に、巧は頭を悩ませる。
何を考えているのか。それは状況によって変わってくることだ。
ただ、少なくとも今は、選手の時と違った気持ちでプレーしている。
「……他の人のプレーで、明鈴の選手が活かせそうなところはないかとかですかね?」
例えば黒絵はストレートが持ち味のピッチャーだ。だからこそそのストレートを活かすために、秀のように変化球を覚えれば投球の幅も広がってくる。
そして棗はスライダーを投げられるため、輝花のようにシュートを鍛えればどちらに変化するのかとバッターを惑わせることができる。
瑞歩であれば、実里のように全体的な能力の向上や、颯のように代打で期待できる選手になれるように……という具合だ。
「監督としては、それも大切ですよね」
佐伯先生の言葉からすると、巧の考え自体はあながち間違っていないということだろう。
しかし、佐伯先生はさらに続けて言った。
「少し話が逸れますね。巧くんはまだ一年生ですが、将来を考える上で非常に難しい立ち位置に立っていると私は考えています。選手であればプロや大学、社会人、独立リーグで野球を続けれますし、野球を続けなくとも野球をしているという経験は活きてくると思います。趣味でやる分には榛名さんのように仕事をしながら野球をすることもできますし。……ただ、巧くんが監督をしている経験が今後の人生に活きないとは思わないですが、野球に関わるという道は選手でいるよりも極端に狭くなると思います」
あくまでも野球に関わる話を前提として進められているが、それは佐伯先生の言う通りだ。
選手としての話で限定するのであれば、プロになりたいと思ったとしても三年間監督をしていた人がドラフトで選ばれるとは到底思えないし、社会人野球も難しい。独立リーグは場合によっては進め、大学も強豪には入れずとも野球をすることはできる。ただ、周りとのギャップもあるだろうし、チームによっては日の目を見ることがないことだってあった。
「……率直に言います。今のプレーを見て、巧くんは十分に男子野球でも選手としてやっていけると思っています。だからこそ聞きたいのですが、選手に戻りたいという気持ちはないのですか?」
佐伯先生の言葉に、巧は心臓を抉り取られるような気持ちに陥った。その言葉が出るということは、佐伯先生からすると巧は選手として戦える能力を備えている。確かに怪我をした分できることは少なくなっているだろうが、それでも十分なほどに。
そう評価されることは嬉しかった。ただ、巧はハッキリと答えた。
「未練がないと言えば嘘になります。それでも俺は、高校を卒業するまでの三年間、明鈴高校女子野球部の監督をするということを決めています」
巧は中学三年生の時、怪我をしてから腐っていた。野球は相変わらず好きで、何らかの形で野球に関われたら良いとは思っていた。しかしそれは趣味の範疇であり、本気の野球からは遠ざかろうとしていた。
ただ、そんな巧を本気の野球へと引っ張ってきたのが明鈴高校女子野球部の選手たちだった。夜空がきっかけで、伊澄や陽依、黒絵もそうだ。最終的には司の策略によって監督就任が決まったが、今は全員が巧を必要としてくれている。
だからこそ、その気持ちに応えたい。
今の巧が野球に対して前向きになれたのは、間違いなく選手たちのおかげだからだ。
「差し出がましいことを言ってしまいました。すいません」
「いえ、さっきも言いましたけど、選手に未練がないわけでもないので」
佐伯先生は選手たちのことを考えているが、それと同じように巧のことも考えてくれている。普段は同じ監督として尊重してくれているが、今は佐伯監督の下で戦っている選手だ。
「選手のことを考えて、監督としての目線でプレーするのも良いですが、今は藤崎巧という選手の一人として戦うことも考えてみてください。私もよく思い知らせるのですが、選手は監督が思っているよりもちゃんと考えていますから」
佐伯先生が微笑みながらそう言った。
当然選手たちも色々と考えていると巧思っているが、その思っている以上に選手たちは考えている。
それもそうだ。見ている視点は監督と選手という立場の違いはあるが、年齢を考えれば同級生か年上しかいない。知識量や考え方などの違いもあるかもしれないが、巧だけが考えなくてはいけないことではないのだ。
巧ができるのは、選手とは違う視点の考え方を提示することであって、選手の全てを考えることではない。
「……さて、そろそろ守備の準備をしましょう」
佐伯先生と話している間、代わったばかりの護のピッチングは良く、先頭打者の由真は出塁した後に盗塁とチャンスを作ったものの、秀と榛名さんは凡退に終わり、夜空もフライを打ち上げていた。
巧は水分を一口含むとグラブを持ち、帽子を被り直してグラウンドへと一歩踏み出した。
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