Mission-24 明けの空に緋燕が舞う

 ホークスビーが天幕を出て歩みを進める間、白み始めた東の空が中隊の集結する丘の袂に微かな輪郭を浮かびあがらせようとしていた。

 闇の中から起き上がるように現れるのは、小山のような黒々とした影。偽装ネットが掛けられた90式戦車の群れだ。50tを超える巨体が整然と並ぶ様は、ある種の墓地の様な薄気味悪さを纏っている。

 時折、巨大な墓標の間を走り抜ける影は糧食を配る炊事班のものだろう。小さな影は器用に小山をよじ登ると、砲塔の中で欠伸を噛み殺していたらしい墓守達と二言三言交わし、持ってきた荷物をハッチの中に押し込んでいる。

 今朝の献立は何だろうか、昨日、いや、一昨日は特大のハムバンだったが――

 精神の内には相変わらず暗雲が垂れ込めているが、少々余裕が出たのかそのような益体も無い思いつきが現れた時だった。


「中尉殿」


 獣道と化しつつある轍の、右手側の闇が形を成したかと思うと、見覚えのある顔がぼんやりとした輪郭をもって目の前に現れた。

 まだまだ疲れが抜けぬ声とは対照的に、闇の底に沈んだ浅黒い顔の中で油断なく光る1対の瞳。自身より大柄な体格を持ち、相対する時は僅かに見上げる格好になるのが常だが、この図体でどうやって狭い操縦手席に滑り込んでいるのかは未だに理解できていない。それでいて、大胆不敵な風貌からは似ても似つかない丁寧な操縦をすることで評判の男だった。


「伍長か。すまない、少し遅れた」

「いえ、こちらも漸く作業を終えたところであります――それで、アイツはどうなりますか?」


 闇の中から現れた下士官――1号車操縦手、エリオット・プラント伍長が指し示すように振り返り、後方(つまりホークスビーの進行方向)の一際大きな小山へ視線を向ける。

 徐々に光量を増していく世界と暗順応によって、暗い背景から億劫そうに起き上がったのは、特大型運搬車トランスポーターとそのトレーラー部に乗せられた90式戦車。巨大な主力戦車が街中で見かける工事車両の様にトレーラーの荷台に乗せられている様は、何度見ても遠近感が狂いそうになる。輪郭すらも覚束ないこの時間ならばなおさらだった。

「いや、このままスピグナまで後送する事に決まった」伍長を引き連れてトレーラーに歩み寄りながら、ホークスビーはあっけらかんとした調子で答えた。彼の隣を歩く格好になったプラントから、僅かに安堵の雰囲気が漏れた様な気がした。


連合王国リーレムから追加でもう一個中隊分が届いたらしくてね、そいつを使って大隊の損耗分を補充するのだとさ。回収可能な奴は送り主が欲しがっているから送り返すって話だ。海の向こうの足長叔父さんとしては、不足している戦場での実績バトルプルーフを補う大事な資料と言う所だろう」


「むさくるしいジュディも居たモノですな」下手な諧謔かいぎゃく交じりのホークスビーの言葉に、プラントが小さく噴き出す。


「とにかく収まるところに収まった、と言う事ですか――個人的にも、コイツがバラバラになるのを視ずに済むのは良い知らせです。最初はどうかと思っちゃいましたが、なかなかどうして悪くないヤツなんで」


 そう言って笑うプラントに「違いない」と話を合わせるホークスビーだったが、歩みを進めるごとに近づいてくる鉄牛を見る目には、酷く厳しい物が込められていた。

 確かに、高性能な主力戦車であることは認める。FCSも主砲も精度が良く火力も十分、正面装甲は言わずもがなであり各部の総合的な防御能力、抗堪性も見事と言う他無い。

 しかし、と内心に燻ぶり続ける言いがかり同然の思考にイラつきすら覚えながら、荷台の上に鎮座する鉄牛へ向ける目を微かに細める。

 彼の視線は見上げるほどにまで迫った鋼鉄の巨体の上をなぞっていき、ややあって防水シートで塞がれた砲塔左側面のある一点に注がれた。その内部には、一通りの清掃はされているが、血と硝煙が未だにこびり付いているように感じる破孔が口を開けている。

 この車両が中破ないし大破と判定された元凶。つまりは、あの時の襲撃で降り注いだ最後の対地ロケットが自身にもたらした損害だ。

 今考えても、避け様が無い一撃だった。とホークスビーは思考を十数時間前へと巻き戻す。

 左側面へ後方から滑り込むように着弾した無誘導ロケットは、砲塔側面にしがみ付いていたエリック・ダイソン軍曹以下3名の機械化歩兵を血飛沫へと変換し、着発信管を作動させた。

 砕けた弾頭から延ばされたエネルギーの穂先が、砲塔側面と言う脆弱部を引き裂き貫通。砲塔内左側の砲手席に陣取るマーティン・コンラッド軍曹をなぎ倒し、屈強な小隊先任軍曹の肉体と砲塔を構成していた鋼板が礫となって砲手用照準器、無線、主砲閉鎖機と言った機器類へ叩き付けられた。

 弾け飛んだ大小の破片が大音響と共に車内を蹂躙し、血と臓物を引きずる胸部の断片が、目を見開くことしかできない自分の目の前でバウンドして白い車内に鮮血をぶちまける。着弾の衝撃で車長用ペリスコープに頭をぶつけ、暗転していく世界で最後に知覚したのは、血飛沫なのか肉片なのか判別のつかない熱いものが、頬に張り付く感覚だった。

 唯一の救いは、昏倒した数秒後車体が石に乗り上げて大きく揺さぶられたことだろう。

 鉄牛が痛みに身を捩るような衝撃で再び覚醒した自分は、左手から噴き出す血になんとか応急処置を施し、失血死による脱落を辛うじて回避した。其の後、部隊の再掌握まで気を回すことが出来たことについては、もはや奇跡の範疇と断言できる。

 もっとも、その時点で残っていたのは自身の小隊長車と2号車だけであり、散々自分たちを蹂躙した敵機は耳障りなジェットノイズを凱歌に飛び去るところだったが。

 車内がどのような地獄に変貌しているのかを知ったのは、残存兵に集結を命じ、一先ずの退却指示を出して車長席に座りこんでからだった。

 決して長い付き合いではないが、いい加減見慣れたはずの車内に30分前の面影を残す物は何一つなかった。

 砲塔左側に開けられた巨大な破孔と、至近距離からショットガンでも叩き込まれたように螺子くれた砲閉鎖機。白い車内に施された黒と赤のスパッタリング。砲手席に残った下半身からは微かな湯気が漂い、床に散らばる無機物と有機物の混合物は既に乾き始めている。破孔からは闇に沈んでいく東の空が見え隠れし、エンジンと履帯の駆動音を伴った空気が車内で渦を巻いていた。

 氷点下に向けて駆け降りていく冷風が、自身の血と肉片がこびり付いた頬を引きつらせる感覚は、当分忘れることはできないだろう。

 黒々とした破孔を覆うシートを見上げるだけで、それらの光景が五感を伴って呼び起こされる。既に細部は忘れ去られようとしているが、それでも喉の奥にすっぱいものを感じるには十分だった。

 だからこそホークスビーは、背中に戦友の血を浴びる程度の損害で済んだプラント伍長の様に、素直にこの戦車の事を気に入ることが出来ないでいた。

 並べた筒先で敵を穿ち引き潰す一方で、一度損害を受ければ腹の中に飲み込んだ戦車兵を力の代償とばかりに嚙み砕き、無残に破壊された後は後送され徹底的に調べ上げられる鉄牛。いくばくかの時が過ぎれば、この車両の情報遺伝子を受け取った次世代が次々に誕生し、戦場へと送り込まれていくのだろう。そして、再び敵を穿ち、味方を噛み砕く。

 その意味では、闇の中に鎮座する傷ついた鉄牛は今から本当の仕事に向かうと言えるかもしれない。戦時における兵器として実に当たり前すぎる生態を、今一度理解したホークスビーの背筋に怖気のようなモノが走り抜けた。

 鉄と血を糧に際限なく進化し、増殖し、死んでいく殺戮機構。その中に臨んで組み込まれたとはいえ”自分は何と悍ましい物で戦っているのだ”と軍人に有るまじき思考が脳裏を過る。

 全幅の信頼を置こうとしていた者、八つ当たり気味の印象を持っていた者、特にこれと言った感情を持っていなかった者。それら全てが、全く平等に死の機会を賜り目の前から姿を消している。なぜ自分自身がその機会を逃し此処にいるのか、その答えは当分思いつきそうにない。

 ああ、だからこそか。

 そこまで考えた時、ホークスビーは自身の内心のわだかまりに結論を見出した。

 この戦車は、自分が抱いてきた、戦場の勇ましい幻想を蹂躙し血生臭く惨い現実を叩き付けたのだ。

 要は、苦い薬に違いない。これが無ければ自分がどうなっていたのか考えたくもないが、有ったとしても好きにはなれない。自身が思い描いていた幻想を叩き壊す存在に、好意を抱けるような人間は少ない。

 性能は認めているはずなのに、なぜかこの戦車が好きになれない理由は、その程度の代物だった。

 ふと気が付くと、遠くの方で遠雷のような音が早朝の大気を震わせ始めている。おそらく、中隊司令部天幕で聞いた作戦が始まろうとしているのだろう。同じように無言で戦車を眺めていたプラント伍長も、遠雷に気が付いたのか南の空へと視線を向けた。


「これは……【エントランス】による仇討ちってところですかね」

「さて、どうだろう」


 何処か喜色を込めた伍長に、意図せず冷たい声が口を突いて出ていった。

 怪訝な顔をして振り向く彼に視線を向けず、ホークスビーは逃げる様にトランスポーターの助手席へ向けて歩き出している。


「奴らは所詮ハゲワシだ、俺たちが流した血の匂いを嗅ぎつけて、今頃出てきただけだろうさ」


 メスナーは”疑惑にすぎないが”、と前置きをしていたがホークスビーの中では既にだと決めつけている作戦のを頭の中で転がしながら、だんだんと大きくなってくる轟音を掻き消すように言葉を続けた。


「さあ伍長! 我々は午前中に河を渡らねばならない。行動開始だ」

「はい、中尉殿」


 上官の冷淡な態度を、個人的な趣味の範囲と好意的に解釈した伍長は、偵察部隊に組み込まれて出撃する前よりも実感の籠った敬礼を送り、逆側に位置する操縦手席へ向けて巨大な車体を回り込んでいく。

 少ししてビルを切り取ったかのような無骨な車体が震えると、主力戦車のモノとはまた異なる音色の重厚なエンジン音が響き始めた。ただしトランスポーターの低いエンジン音は、間近に迫って来た未明の空を引き裂く甲高いタービン音に飲み込まれていく。

 耳障りな高音が一際大きくなったかと思えば、シャープな機影を持つ複数の影が、自身の姿を見せつける様にホークスビー達の上を次々とフライパスしていった。一拍遅れて、鋼鉄の怪鳥達が押しのけた風の残滓が頬を撫でていく。

 轟音の接近に空を見上げていた中隊の他の面子が、それぞれ拳を振り上げて思い思いの歓声を送る中、肘から先を失った左腕に右手を添えたホークスビーは、たまたま目についた流麗なシルエットにボソリと呪詛を吐き出した。


「死神め……」


 鴉のようなエンブレムを尾翼に描いた機体は、彼の呪詛を轟音で拭き攫いながら北の空へと溶けていった。


 ◇


『グレイヴ・キーパーより各機、作戦開始』

『目標地点に魔力反応多数! 上がってくるぞ!』


 レシーバーからいつも通りの不機嫌そうな声が響くと同時に、レーダー画面を睨みつけていたノルンからの叩きつけるような警告が耳朶を打った。

 西にはどす黒さすら覚える闇が淀み、東の地平線では黄金が滲み始めている。頭上には顔を出そうとしている朝日を受け止めながらもじりじりと退却を始める紫紺が広がり、HUDの向こうでは黒々とした丘陵のウネリの中に周囲よりも一際暗い森――VTOLの秘密の園が横たわっていた。


「グラム1、エンゲージ」


 交戦を宣言し、スロットルを全開にまで押し込む。敵陣地へ向けて加速開始、アフターバーナー・オン。マスターアームスイッチ・オン。2発のRD-33MKが獲物に飛びかかる猛獣の様な甲高い咆哮を上げ、巨大なノズルから蒼白い火焔を吹き延ばした。17tを超える飛燕が朝焼けの迫りつつある空を真一文字に引き裂き、丘陵地にジェットノイズを轟かせながら駆け抜けていく。


『クラーケン1、エンゲージ! 制空隊はこのまま突っ込め! ミグ野郎に遅れるなよ!』

『クラーケン2より、襲撃隊。各機高度速度そのまま、ダンスは荷物を届けてからだ』


 一瞬遅れて、クラーケン1が率いる空対空ミサイルを満載した4機のF/A-18Cが2機ずつのエレメントに別れ、騒々しい金切り声を引きずって猛然と加速する。

 やや加速性に劣ると評されることもあるホーネット系列ではあるが、それはあくまでも遷音速域以上の高速度域での話だ。中低速域でのF/A-18の機動性は、愛称ペットネーム通りの獰猛さを秘めていた。

 レーダー画面上では森の中から湧き上がるように、複数の機体が戦場へと姿を現している。HUDの向こうに目を凝らしてみると、三色迷彩を施した小柄な機体がクレーンに吊り上げられるように垂直に上昇している姿が見えた。

 しかし、9tを超える機体をエンジン出力で浮上させる強烈な排気を受け止めている筈の森の木々は、不自然なほどに静まり返っている。VTOL機を野戦で運用する際には、浮力補助術式と共に高温高圧の排気を受け止める地面を保護するのが鉄則ではあるが、森の木々については切り倒すか無視するかの二択だ。

 つまり、目の前に広がる森は隠蔽魔術が作り出した実態を持つ幻術であることを暗に示していた。

 森の中から1機、また1機と姿を現していくが、幾ら垂直離着陸が可能な機体でも、本格的な空戦が可能な速度にまで達するには高度も速度も時間も足りない。森の上で藻掻く敵機に対し、腹をすかせたハゲワシが容赦をするはずがなかった。


『クラーケン1――FOX3!』

『クラーケン3――』


 緩降下しながら敵の湧き出る森へと突入するレーヴァンのMig-29M2の頭上を、クラーケン隊が放った対空ミサイルが薄い白煙を残して追い抜いていく。

 機動性ではホーネット等歯牙に掛けない新たな愛機Mig-29M2ではあるが、ミサイル相手に速度勝負を挑めるわけでは無い。

『先を越されたぞ、グラム1』何処か不機嫌そうな声を上げるグラム2と、せわしなく〔SHOOT〕の文字を明滅させるダストを無視し、ガンモードを選択。突入続行。

 程なくしてクラーケン隊の放ったAMRAAMが、なだらかな丘と森の境界線に差し掛かる。同時に、発射母機の火器管制装置の誘導に従う中間誘導から、ミサイル本体のレーダーを利用するアクティブ・レーダー・ホーミングARHの終末誘導に切り替わった。槍の穂先から放たれたレーダー波が、漸く水平方向の加速を始めた2機の敵機と、森の中から新たに頭を出した1機を捉える。命中まで5、4――

 刹那、VTOL機群の手前にまで迫っていた超音速の投槍の前に、爆竹のような無数の炸裂が生じた。

 爆発自体は極々小規模で、兵器どころか花火と大差なく、殺傷能力など欠片も無い様に見えてしまう。しかし、東から差し込んだ朝日が花火の炸裂した空を舐めると、黒々とした森の上に、金箔をバラまいたかのような黄金の光が無数に踊り始めた。

 突如として出現した光の雲に突っ込んだミサイルは、衝突コースを外れて次々と森や丘陵に突き刺さり爆発していく。目標の息の匂いを嗅ぎつけられるほどの至近にまで踏み込みながら、電子の猟犬たちは金色の雲に悉くその鼻を狂わされ役目を終えていった。


『クソッタレ! チャフか!』

『襲撃は予想済みってかぁ!? 上等!』


 クラーケン隊の悪態を聞きながら、まき散らされたチャフの雲を切り裂き、全速力で敵の野戦飛行場の上空へと乗り入れる。途端に、地上に設置されていたらしい対空砲が火箭を上空に吹き延ばすが、友軍機を強引に発進させているせいか誤射を恐れて何処か遠慮がちだ。

 突き出される火箭の槍衾を押しのけ、幻想の森を威圧するかのように低空へと舞い降りたMig-29M2の姿は、奇襲を受けてただでさえ混乱の只中にある偽装野戦飛行場を、一時的な恐慌状態へと蹴り落とした。


《一機突っ込んで来るぞ!》

《離陸中止! 離陸中止だ! 止まれ!》

《いや間に合わん! 地上員は退避しろ! 何やってる!?》

《地上撃破なんざシャレになんねぇよ! 俺は出るぞ! どけ!》

《敵だって!? 何処だ!? 見えない!?》

《チュレーニ4! 右だ!》


 先に離脱した2機に遅れて加速上昇しようとしていた3機目の敵機――AV-8BハリアーⅡの特徴的な姿が、HUDに写り込んだと同時にトリガーを僅かに引き絞る。途端にコクピットの左舷側を曳光弾の火箭が走り抜け、離脱を計った敵機へと突き刺さった。

 命中弾は3発。一体成型された主翼を、ぶら提げられた空対空ミサイルごと捻じ切り胴体中央へ飛び込んだ徹甲曳光弾が、スクランブルで叩き起こされたエンジンのタービンブレードを魔力炉心ごと食い破る。大口を開けたエアインテークの横面を叩いた徹甲榴弾が炸裂し、湾曲した蓋板が無数の破孔を穿たれはじけ飛ぶ。指呼の距離にまで踏み込んだMig-29M2の姿に目を見開いたヴァルチャーが、コクピットに命中した焼夷榴弾によって愛嬌すら感じさせる機首と共に紅蓮の中へ叩き込まれた。

 小さくバレルロールを行い先ほど仕留めた敵機を飛び越えると、Mig-29M2のしなやかな機影が、湧き上がった黒煙を浴びる様に切り裂いた。

 天地逆転した世界の中を、多数の黒煙を血飛沫の様に纏った残骸が後方へと吹き飛んで視界から消える。

 再び頭上に空を頂いた視界の先には、一番最初に離陸に成功し北西へ離脱を計るハリアーⅡが2機。

 既に上昇離脱中ではあるが、まだまだ間合いだ。降下によって得た速度の幾らかを高度に変換しながらレーダー照射開始、HUD上をターゲットボックスが滑り、ロックオンを告げる連続音が響く。


〔RDY R-27〕

「グラム1、FOX1」


 軽い振動の後、2発の中距離空対空ミサイル(在庫処分品オマケ)が切り離され加速を開始した。レーダー照射警報とミサイル接近警報の混声合唱を聞かされた敵機は、即座に回避行動。

 物騒な猟犬の標的になったことを悟った敵機は、大振りな主翼を振り回し、チャフとフレアを狂ったように吐き出してミサイルシーカーの範囲から逃れようとする。だが、発射母機のレーダーを利用するセミアクティブ・レーダー・ホーミングSemi-active radar homingのミサイルには幾分効果が薄い。白いエッジを濃紺の空に刻むミサイルが、敵機の予想針路を目指し円弧を描いて駆け抜けていく。


《クソ、振り切れない!》

《もう少し粘れ! 母機を黙らせる!》


 とはいえ敵もSARHの弱点位は熟知している。狙われた方とは別のハリアーが反転し、ヘッドオン。間髪入れずに敵機の両翼に閃光が走り、一瞬遅れてミサイル接近警報が鳴り響く。


『グラム1、ミサイル接近。正面!』


 グラム2の警告を耳に残したまま発射したミサイルの誘導を続行、命中まで2、1――命中。主翼の真下で膨れ上がった火球が、ハリアーの小柄な機体を飲み込み無数のアルミ片へと解体する。

〔RDY FLR〕ディスプレイの端にそのような表示が流れたことを見計らい、思いきり機体を捻り大きくバレルロール。魔術による慣性制御を施していなければ、ウィザードの命など簡単に葬り去る翼が朝焼けの空を切り裂いた。

 体がシートに押し付けられ、視界が滲みバックミラーが明るく染まる。紫紺の空に刻まれたヴェイパーのエッジを、ダストが自動放出した高温のフレアが彩り、正面から迫った2発の空対空ミサイルをからめとるように後方へと受け流す。回避成功。

 グラム2の溜息なのか安堵の息なのか判別のつかない音を聞きながら、機首を跳ね上げてループ上昇。再びスロットルを開き、ミサイルを放った後に上昇離脱を計った敵機を追跡する。



《こちらチュレーニ6! 追われている! 助けてくれ!》

《離陸許可まだか!? 早く上げさせろ! アイツらを見殺しにする気か!?》

《もういい、出るぞ! ついてこいチュレーニ5!》

《馬鹿上がるな! ――あぁ、クソッ!》

『ミグ野郎がまたやったぞ! 何機目だ?』

『おいおい! 鴉に全部食い散らかされちまうぞ!』


 強大な推力によって明けに染まりつつある空を駆けあがっていくMig-29M2を前に、逃げ切れないと悟ったハリアーが再び反転。高度の優位が有る内に、上昇するこちらの頭を叩こうと言う腹だろうか。

 だがチュウヒが急降下に移ろうとするよりも早く、燕が獲物に食らいつく。シーカー・オープン、ロックオン。


〔RDY R-73〕

「グラム1、FOX2」


 旋回を終えた先に突き出された槍へ自ら突っ込んでいく形となったハリアーは、回避機動を取る間もなく文字通りミサイルによって串刺しにされる。エアインテークに短距離空対空ミサイル(8本纏め買いで10%OFF)をねじ込まれた敵機は、内側から膨れ上がるように爆散し3つ目の火球を空に描き出した。

 サッと周囲を確認するが、少々戦闘空域から離れつつあること以外は万事問題は無い。エアポケットのような戦闘の切れ目の中で、グラム2から通信が入る。深みのあるアルトには、多分に呆れが含まれていた。


『3機目の撃墜を確認、悪くない戦果だ。だが、撃たれたミサイルに突っ込む性癖は何とかならんか?』

「性癖言うな、一番楽で確実で潰しやすい方法ってだけだよ」

『それを性癖と言うのだ、バカガラス。そら、ぼさっとするな。方位0-9-2、レフトターン。焼き鳥に成りたくないハリアーが飛び出してくるぞ』

了解ウィルコ


 敵機の最期を確認したMig-29M2が魔女の指示に従い優雅に反転する。瞬く間に3機のハリアーⅡを血祭りにあげた燕に朝日が差し込み、明灰色に塗られた機体が黄金色を反射する。

 その間に、レーヴァンに続いて敵陣地へと突入した4機のホーネットが、対空砲の火箭を縫うように次々と上空を航過していった。あえて危険に身を晒し敵機の離陸を牽制しつつ、後続の襲撃隊に防空火器の位置を教えるつもりのようだ。


《隊長、連中の殿が来ます!》

《真正面から叩き潰せば済むことだろうが! チュレーニ1、エンゲージ!》

『クラーケン5より7。どうやら向こうの親玉が上がって来たぞ、合わせろ!』

了解ウィルコ! こっちは右をやる!』


 隊長機が率いるエレメントの直後に突入した2機のF/A-18Cの眼前に、再びハリアーの特徴的な機影が浮かび上がる。

 やや機首を下げる格好で森の中から姿を現した2機のハリアーは、突入する2機のホーネットへ既に軸線を合わせ正対していた。離陸直後を狙われるのであれば、狙いを定めながら上がることを決めたらしい。

 先に動いたのはホバリングもそこそこに徐々に水平方向の速度を得ながら加速するハリアー達の方だった。暗緑色系統の三色迷彩が施された主翼に閃光が走り、2発ずつのミサイルがクラーケン隊の2機――クラーケン5、クラーケン7めがけて飛翔する。発射母機の速度があまり乗っていないため加速は鈍いが、相対速度を考えれば回避の猶予は殆どない。

 しかし彼等は、自身が喧嘩を売ったのが【エントランス】でも集団戦ならば上位に位置する連中であったことを、をもって知ることになる。


NOW!』


 何方の合図かは判然としないが、鋭い声が無線を切り裂いた瞬間、間隔をあけて併進する2機のホーネットは、大きく翼を振ると互いの方向へ向けてバレルロールに入る。それと同時に放り投げる様にフレアがまき散らされ、翼端の軌跡を描く4条のヴェイパーが螺旋を描きながら絡み合い、バレルロールの頂点で2機が交錯して左右のポジションを入れ替えた。

 突入する4発のミサイルは振り撒かれたフレアに目移りをした挙句、最終的に最も熱の密集したエリア――2機が交錯したロールの頂点へと向けて突進し、虚空を貫いて未明の空へと飛び去っていく。

 曲芸同然の回避機動で更に懐に踏み込んで来たホーネットに、今度は怯えたような25㎜ガトリング砲の火箭が2条伸びるが、2頭のスズメバチは迫りくる火箭に弾かれるように90度ロール。横倒しになったホーネットの腹側を曳光弾が駆け抜け、丸いエアインテークやパイロンにぶら下げられた空対空ミサイルを淡く照らす。


『このままやれ!』


 目標、ガンレンジ。F/A-18Cの細い鼻面が輝き、20㎜ガトリング砲が火箭を吹き延ばし、曳光弾の軌跡が2機のハリアーを包み込んだ。

 真面に20㎜機関砲弾の掃射を喰らった1機は、機首部分で瞬いた火花に食いちぎられるように機首を失う。着弾の衝撃で下に向けられた針路を起こすことも無く、可能な限りの推力を発揮したまま大地へと突入し火焔へと変わった。

 続いて僅かに反応が間に合った一機は、機体を沈ませることでコクピットへの直撃だけは避けてみせる。しかし、キャノピーの頭上を走り抜けたスズメバチの毒針は機首下げによって逆に持ち上がった尾部を直撃した。

 異様な振動が機体を揺るがし、垂直尾翼と片方の水平尾翼に無数の弾痕が穿たれたかと思うと千切れ飛ぶ。直後、コントロールを失いつつあった機体のキャノピーが吹き飛び、射出座席が宙を舞った。明けの空にパラシュートが開く前に、眼下の森にまた一つ火球が膨れ上がる。


「やるもんだな」

『感心している場合か。方位0-7-6より新手、数7機。速度からして同じくVTOL、反射の具合から恐らくハリアーだろう。先に当てろ』


 呆れたような彼女の言葉と共に、ディスプレイの端にも〔CAUTION〕が明滅する。レーダー画面上には低空を接近する機影が7つ、全て敵を示す表示。位置関係としては、新手との間にクラーケン隊の制空グループが居るが、IFFに問題は無い。少々が、掘り出し物の中距離対空ミサイルならば届く。

〔RDY R-77〕裏を知る由もないダストは件の中距離空対空ミサイル4発の使用を推奨している。異論は無い、シーカー・オープン。火器管制装置が彼方の目標を捕捉、HUD上に複数のターゲットボックスが浮かび上がり、虚空に溶け込んだ敵へにじり寄る。程なくしてロックオンを告げる連続音が響き渡った。


「グラム1、FOX3」


 軽い振動が連続し、左右で膨れ上がった白煙に押し上げられるように機体が軽くなる。ミサイルを切り離した際の反動に従う形で上昇開始、眼下を加速していく4条の軌跡の先で、アフターバーナーの閃光が4機分瞬く。


『クラーケン隊、ミグ野郎のミサイルに続け!』


 一瞬敵陣地の方を振り返れば、襲撃を担当する4機のホーネットが目標に取り付いたところだった。編隊を解いて侵入したF/A-18Cの翼下には、積めるだけのMk.82低抵抗通常爆弾がぶら下がっている。

 目標に張られている幻術は展開されたままではあるが、襲撃隊の各機の腹部には熱線映像装置の一種であるAN/AAS-38ナイトホークが搭載されている。コクピットのディスプレイには、つい先ほどまで火箭を噴き上げていた対空砲や、暖機運転のまま離陸の隙を伺う敵機の姿が、前方監視赤外線装置FLIRの目を通して浮かび上がっている事だろう。

 レーザー誘導爆弾が有ればもっと楽な仕事になるのは事実だが、初期型のナイトホークにはレーザー目標指示機能は無く、そもそも1発当たりのコストが跳ね上がる。クラーケン隊はヴァルチャーの習性に従い、性能を技量で補う事に躊躇は無かった。

 向こうは任せておいても大丈夫だろうと確信し、視線を正面に戻す。

 HUDの彼方に、自分が放った4発のミサイルがレガシー・ホーネットの群れを抜き去り、朝日を背に接近する敵編隊へと伸びていく姿が見えた。クラーケンの制空隊は、全速で突入を続けてはいるもののミサイルを放つそぶりは未だ見せない。

 相手がハリアーの系列であることは彼らも気が付いているだろう。VTOL機ならではの特異な機動性を持つが、少なくとも、空戦においてホーネットが簡単に後れを取る相手ではない。此方の放ったミサイルに乗じて敵増援に切り込み、近距離での格闘戦で揉み潰すつもりだろうか。

 だが敵も大人しくミサイルに串刺しにされる気は無いようだ。

 7機分の影は編隊を解き、派手にチャフを巻いて回避機動を始める。終末誘導に切り替わったミサイルがそれぞれの獲物へ向けて旋回するが、結局4発中3発は目標を見失い、残りの1発が至近距離で炸裂するだけにとどまった。至近弾を受けた敵は、微かな煙を吹くだけで落ちる様子は無い。『何がお試し価格45%オフだ、畜生』珍しく当てが外れたノルンの盛大な舌打ちがレシーバーに響いた。

 後で折檻を受けるだろうミネルヴァに内心で手早く十字を切り、戦場へ意識を引き戻す。物理的な戦果としては少々微妙なところだが、編隊が崩れた一瞬の隙を4機のホーネットは見逃さなかった。

 編隊の綻びへ向け、白条が8つ伸びていく。狙われたのは編隊左翼に位置していた2機。続けて回避機動を取ろうとするが、逃げる間も無く2発以上の槍をその身に受けて火球へと変わった。

 これで撃墜2。残るは無傷の4機に損傷を受けた1機。

 クラーケン隊は編隊を解き、5機に減った敵機の群れへと突入しドッグファイトを始める。鮮烈な赤から淡い蒼に染まり始めている世界の中で、スズメバチとチュウヒが複雑な軌跡を描き始めている。

 こうなってしまえば、遠巻きに眺めていても誤射の危険があるばかりで戦果にはならない。マイナスG旋回、上昇していた機首を下に向け、スロットルを開いて敵味方が取っ組み合っていく低空へ針路を取る。

 曳光弾の閃光や短距離ミサイルの白条が大気を切り裂く戦場に、鋼鉄の緋燕が淡色の空を逆落としに駆け下っていった。

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