Mission-17 天龍


「ったく、運の無い」


 がなり立てる警報と暴風に弄ばれる機体の悲鳴に包まれながら、最初で最後の一撃をヒラリと躱し、黒煙を棚引かせつつも体勢を立て直すF-15Jに思わず悪態をつく。せめて片翼ぐらいは持っていきたかったが、現実はそう上手くはいかない。奇策を弄した甲斐は幾らかあったものの、結局、小賢しい鴉の嘴が荒鷲に届くことは無かった。

 エンジンを1基失った片肺でも飛行可能なF-15Jに対し、単発機のMig-21こちらは落ちる他無い。戦闘など以ての他。一対一の空戦らしく、一瞬の交錯の後に、勝者と敗者の間には明確な線が引かれていた。

 今の自分敗者が出来るのは、何とか無事に地上に降りられるように努力する事だけ。未だに攻撃能力は残っているだろう黒雀に対しては一端棚上げする。どうにもならない問題に頭を悩ませるのは馬鹿らしい。

 高度が有る内に緊急脱出ベイルアウト手順を実行、しかし射出座席のハンドルを引いてもキャノピーは飛ばずロケットモーターも作動しない。もう一度手順を繰り返す。反応なし。己の体は鋼鉄の棺と化したMig-21の中に収められたまま、地面へ向けて降下を続けている。

 どうやら最初の一発。背後の防弾板にぶち当たって跳ね返された弾が、射出座席の機能を奪ったらしい。NATO西側よりも優秀とWTO東側が豪語する射出座席も、流石に鉛玉を喰らった後のことまでは保証対象外のようだ。

 思考を切り替え、損傷した炉心が暴走を引き起こさない内に緊急停止スクラム手順を実行。一瞬だけ後ろを振り返り大規模な火災が起きていない事を確認した後、燃料投棄開始。機体が軽くなっていくが、滑空距離を稼ぐためというより不時着時の延焼を防ぐ意図の方が大きい。同時に通信機のスイッチを入れ、遭難信号を発信した。


「メーデー、メーデー、メーデー! こちら【エントランス】所属グラム1、被弾しエンジンを失った、緊急脱出不能、不時着を試みる、位置はフォライト湖沼群SE54-76付近――ッ!?」


 ガゴン、と後方から異音が響けば機体が徐々に右へと回転を始め、黒煙を棚引かせながら空から滑り落ちようとしていく。バックミラーに、脱落したらしい機体の破片が、陽光を反射しながら黒煙に飲み込まれていく姿が小さく映った。

 咄嗟に操縦桿を左へと倒そうとするが、操縦系統へ損傷が及んでいるのか酷く重く硬い。Mig-21にはフライ・バイ・ワイヤFBWなどと言う高尚なモノは搭載されていない。操縦桿の動きが機械式の機構を介し、動翼へ直接伝達される昔ながらの方式だ。そのため操縦桿は元から重い方ではあるが、流石にこれは異常にすぎる。空戦中よりも、更に強い力をかけてもビクともしない。

 用済みになったスロットルレバーから手を放し、両手で操縦桿を押して漸く回転が止まる。更に力をかけると、機体が徐々に水平飛行へと復帰していった。

 状況は悪いが、少なくとも舵が動くのならば断線しているわけではないようだ。機銃弾によって変形した機体の構造材が、動作を伝達するケーブルを押しつぶしているのかもしれない。多大な努力を要するが、制御能力が失われていないのは明るい知らせだろう。

 遭難信号を発信したはずの通信機は、依然としてノイズのみを吐き出している。ノルンは勿論、信号を受信した近場の友軍機が状況を問いかける通信すら入ってこない。これ以上、通信装置に何かを期待するのは止めた方がよさそうだ。

 高度は既に1500フィートを切った。二重三重にブレるキャノピーの外には、フォライト湖沼群の枯草色の大地と黒々とした沼が広がっている。柔らかい大地はクッションとしての効果を期待できる反面、ギアや機体の一部が突き刺さって派手に横転する危険性もある。傷ついた機体で胴体着陸を強行してバラバラになるのと、どちらがマシだろうか。

 少なくとも、馬鹿げた自問自答が出来るのならば判断力はそう鈍っていないな。レーヴァンはマスクの下で唇を歪めながら、後者の案を蹴り落とした。

 ギア・ダウン、フラップダウン。各種の警報がどんちゃん騒ぎを繰り広げるコンソールの隅に、ギアの展開を示すランプが点灯。抗力が増したことにより、機速が緩やかに落ちていく。続いてフラップの展開を示すランプが点灯――する前に、今度は左へと機体が沈み込み始めた。

 一つ舌を打ち、滑り出した機体を何とか抑えつつ、フラップの展開角度を着陸時よりも浅く再設定。数十秒程度の格闘の後、左へ回ろうとする癖は残るが、傷ついた動翼でもなんとか抑え込める程度にまで持ち直す。

 どうやら左翼フラップが着陸位置まで展開できないようだ、このじゃじゃ馬はどうしてもハード・ランディングがやりたいらしい。高度1000フィート、地面の様相が更にはっきりと見えてくる。

 エアブレーキはまだ試していないが、この装備は速度を落とす事は出来ても、揚力を稼いで失速速度を下げる能力は持っていない。下手に展開すると低空で失速し、そのまま地上に叩き付けられる最悪の事態が待っている事だろう。

 高度500フィート、普段なら地面に反射して帰ってくるジェットノイズが全く聞こえてこない。地表は相変わらず枯草色ではあるが、思ったよりも岩が多く起伏も見られる。中にはこの機体よりも巨大な岩が複数鎮座している場所もあった。

 不時着時にはそれらを避けて降りる必要がある――着陸復航無し、事前確認無しの一発勝負で。

 機体の安定は辛うじて保ててはいるが、逆に言えばそれしかできない。大きく旋回し、之まで航過フライパスしてきた地形へ降りるのも不可能。針路を僅かに調整するぐらいが精々だ。

 高度250フィート、正面に隆起した丘状の地形が迫る。現在の降下率から考えれば、ギリギリ頂上を飛び越せるはず。むしろ、ここまで来たら下手に針路を変えて機速を落とさない方が良い。丘の向こうに岩が転がっていない事を祈りつつ飛び越える。

 

「畜生め」


 機体と丘に挟まれた空気によって一瞬だけ浮き上がりながら、HUDの先に飛び込んで来た光景に小さく悪態を吐いた。

 視界の先は一応平野となっているが大小の岩が散見される、完全な逃げ道は無い。

 平野の先の方には、鏡の様な水面を持つ沼が楽園の様な憎たらしい輝きを放っている。だが、今の降下率ではどうやってもそこまで届かないだろう。障害物の目立つ手前の地面に降ろすしかない。

 出来るだけ岩の少ない針路を選び、迎え角を取りながら丘の斜面上を滑空し機体を降ろしていく。これまでの手順で下手を打っていないか心配になるが、ここまで来たら後の祭りだと腹を括る。最終進入。

 100フィート、90フィート、80フィート、70フィート。高度計の針が0へと近づいていくごとに、湖沼群に横たわる重い空気の層へ分け入っていく。時折翼の下や真横を岩が通過し肝を冷やすが、今のところ正面方向に大きな岩は見られない。速度は何とか落ちてはいる、約280kt。

 20フィート、15フィート、10フィート。尻を蹴り上げられるような衝撃と共にタッチダウン。途端に、これ迄とはまた別種の振動と轟音が傷ついた機体を揺らし始める。間髪入れずにエアブレーキ展開、だが開いた気配はない。制動傘ドラッグ・シュート展開スイッチも押すが、その直後に異音と共にバックミラーに写り込んでいた垂直尾翼が後方へと吹き飛んでいく。

 前方に放り投げられそうになる体にハーネスが食い込む中、制動装置を失ったMig-21は3本の深い轍を刻みながら駆け抜ける。機体の持っている運動エネルギーで抉られた大地が泥の飛沫の悲鳴を上げ、降着装置ギアに跳ね上げられた泥や小石は機体下面を乱打し、騒々しい音を立てた。

 とはいえ、最前線での活動を前提に頑丈に作られたギアは、この劣悪な環境でも何とか面目を保ち続けている。

 ここまでくれば操縦士ウィザードに出来ることは余りない。正面の針路上に、目立った障害物は無し。一抹の希望を持ちながら現在の速度を確認、200kt、180kt、160kt――振動で滲む速度計の針は急速に0へと戻りつつあった。

 だが速度計の針が150ktを横切ろうとした瞬間、左翼側で異音が生じる。

 ガツン、と真正面から左翼を殴り飛ばされたような衝撃が走り抜けると同時に、左へと視界が揺らぐ。

 恐れていた事態――泥に文字通り足を取られた左側の着陸脚が折れ、機体が横転するように崩れ落ちた証拠だ。接地したデルタ翼は大地と互いに削り合いながら形を失い、4本目の轍を刻みながら機体を左方向へと振り始めた。

 最悪の事態はさらに続いた。

 もはや機能を失い硝子盤と化したHUDの向こう。左旋回を始めたMig-21の予想針路上に、トラック程度の大きさを持つ苔生した岩が現れる。数十秒先の未来があまり好ましくないモノに書き換わる。

 速度計は未だ100ktの手前、岩との距離は20mも無い、減速は不可能。ならばと己に残された最後の手段、自力での脱出を即座に選択する。

 無論、レーヴァンも今の状態からハーネスを外して外に身を躍らせるのが時間的に不可能だとは理解している。

 しかし、もはや誰がどう見ても絶望的な状況に直面した時、運命を受け入れる瞬間が来る前に、全てを諦めると言う習慣を彼は持っておらず。また、己の死を座して待てるほど肝が据わっているわけでも無かった。

 そうした個人的な行動規範に従い、機体から飛び降りる為にハーネスの留め具へと手を伸ばした瞬間、聞き覚えの無い声が意識に響き渡る。


〈耐衝撃姿勢を、急いで!〉


 なにがしかの確信があったわけでは無い。しかし、頭に響いた声は彼に無駄な努力を捨てさせる役目を完璧に果たしていた。もっとも、溺れる者が藁を掴んだだけなのかもしれないが。

 とにかく直感に従い反射的に体を硬直させた瞬間、射出座席が作動したかのような強烈な衝撃に襲われる。頭の中に星が散ったのを知覚したのと同時に、彼の意識は虚空へと放り投げられてしまった。


 ◆


【エントランス】の管制室に、何かが叩き割られる音が盛大に響いた。誰も彼もが「何事か」と音の発生源へと反射的に視線を向け、最終的に全員がバツの悪そうな顔をして自身の仕事へと戻る。

 音の正体は、コンソールにはめ込まれた各種情報を表示する水晶板が上げた断末魔だった。弾き飛ばされた破片が散らばる硬質な残響の中で、コンソールの残骸から漏れだした僅かな魔力が微かな瞬きを残して消えていく。爆心地近くのキーボード上では、散乱した破片を飲み込むように魔女の手から滴り落ちる血が広がり始めていた。


「――畜生ッ」


 通信途絶。今の今まで吐き出していたノイズを完全に遮断することで、相方の墜落を伝えたモニターの残骸に、食いしばった歯の奥からノルンの悪態が漏れる。

 どの道こうなると理解してはいた。幾らレーヴァンでも、二世代も上の機体を返り討ちにすることは不可能であると想像はしていた。であるのに、こうして目の前に付き付けられると、心をかき乱されずにはいられない。

 思わず打ち付けた右手の激痛も、悔恨と憎悪でメルトダウン寸前の精神を落ち着かせるまでには至らない。意味を失ったIFが頭の中を巡り、思考回路が耳障りな音を立てる。それらの雑音のせいか、これまで僚機を失って来た時とはまた別種の感情が湧き出ている事に彼女が気づくことは無かった。

 とはいえ、彼女の中に辛うじて残ったオペレーターとしての理性を保ち続ける部分は、予め決めていた手順に沿って動き始めている。感情と動作を意図的に切り離せる点では、彼女もまたヴァルチャー人でなしと呼ばれる人種の一人だった。


「――グラム2より、ジャッジメント1、アウル1。グラム1ロスト」

『ジャッジメント1、了解した。待機位置まで前進する』

『アウル1よりグラム2、信号は出ていないのか?』


「確認中だ、前進空域で待機しろ」苛立たし気にコンソールを操作し、手に刺さった破片を引き抜きながら、隣の誰も使っていない席に移る。後で修理代を請求されるだろうが、知ったことでは無かった。

 新しいコンソールを起動、右手があふれ出した血で不快な程滑る事に舌を打ち、乱暴な治癒魔術で傷口を応急的に塞ぎ止血する。突き刺すような痛みは薄らいだが、じわじわと芯に響く痛みは残り続けていた。

 続いて通信装置を起動し、ノイズすらも吐かなくなった画面に向けて呼びかける。例え落ちたとしても、射出座席には緊急用の通信機が別途搭載されている。作動すれば、フォライト湖沼群の様な魔術妨害下でもコンタクトは可能だ。


「こちらグラム2、グラム1応答せよ――」


 返信はない。それでも、呼び続ける。


「こちらグラム2。グラム1、レーヴァン聞こえるなら返事をしろ――」


 返ってくるのは雑音だけ。砂嵐の様な騒音を聞くごとに、右手に巣くった痛みが大きくなっていく。同時に、激情に蓋をされていた恐れがにじり寄り、精神へと冷たい手を伸ばし始めた。


「応答しろ、レーヴァン――」


 呼び出し、雑音。呼び出し、雑音。呼び出し、雑音。呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し、呼び出し――


「答えろよ……馬鹿鴉バカガラス


 無音。



 ◆



 最初に知覚したのは、風の音の中に溶け込んでいこうとする、聞き慣れたジェットノイズだった。

 いや風の音は確かにあるが、頭に響く高音はジェットノイズなどではなく、単なる耳鳴りらしい。その証拠に、風の中に大気そのものを震わせる重低音が混ざっていなかった。

 ゆっくりと目を開ければ、中天を過ぎて帰途につこうとしている恒陽とそれを取り巻く無数の雲に覆われた青空が飛び込み、形を失っていた意識を急速に凝固させる。被弾、反撃、降下、不時着、そして衝撃――つい先ほど通り抜けた鉄火場が走馬灯のように駆け巡り、同時に爆発した違和感に弾かれたように身を起こした。

 いったいどうなっている? ――困惑に包まれた内心の叫びに従い、再起動中の頭に鞭を打って自分の体を確認する。

 ヘルメットは被っているが、マスクは取り外されている。フライトグローブとスーツに包まれた体に異常は見られず、特筆すべき痛みも、有るべき感覚が失われているということもない。五体満足。

 強烈な違和感の正体は、今の自分の現状だった。

 自分が居るのは見慣れたMig-21の狭苦しいコクピットでも、野戦病院の傍の地面でもない。フォライト湖沼群の大地に盛り上げられた、縦2m、横1m程度の枯草の山の上に寝かされている。周囲を見渡せば、自分の周りだけ黒色の地表面がむき出しになっていた。つまり、このあたりの枯草を集めてしつらえられたものなのだろう。

 意識は取り戻したものの、まだ本調子ではない頭を回転させながら右手側へ視線をやった時、これが死に際に見る夢や幻覚の類では無いらしいことを悟る。

 目と鼻の先に転がっていたのは、見覚えのあるMig-21の機首部分。

 コックピットの直後辺りからもぎ取られた残骸が、一応の原型を残しながら自分が寝ころんでいた方に座席を見せる形で横たえられている。直ぐ傍には、食いちぎられたかのように変形したキャノピーの残骸が散らばり、無残な姿を晒していた。

 機首部分の残骸の向こう側には、見覚えのある苔生した岩が鎮座している。岩の周囲には明灰色の外板の破片と焦げたパーツが大量に散乱し、直接見ることはできないが、岩の背面からは細い煙の残滓が立ち上っていた。あのまま岩に衝突していれば、自分もあのようにスクラップの一員となっていただろうことは容易に想像が出来る。

 状況から考えて、自分は誰かに救い出されたらしい事は理解できる。だが、いったい誰が、どうやって――

 当然の疑問を抱きつつ、何と無しに逆側へ視線を向けた時、浮かんだばかりの疑問は一気に氷解してしまった。少なくとも、誰がWhoどのようにWhat、については。


〈お気づきになられましたか〉


 目の前のから発された声は、耳では無く直接意識へと届けられた。声色としては若い男に近いが、女性的なたおやかさも含まれており、貴人の様な落ち着いた印象を受ける。

 しかし、その存在はレーヴァンを始めとする人族ヒューマノイドに括られる種族では無かった。

 蒼銀の鱗に覆われた姿は全体的に蛇に似ているが、カギ爪を持つ足を4本備えているため細長いトカゲと形容するのがより適当だろうか。鰐のように突き出した流線型の口の先端には、それ自体が別の生物かのように身をくねらせる長い髭が一対。頭の後ろには鹿を思わせる――ただし、より豪奢な――大小二対の角が伸びていた。20mを優に超える体で蜷局とぐろを巻いているせいか、地上から見上げると殆ど小山のような存在感を放っている。

 そして、成層圏から見上げた群青の空に、叡智の光を垂らしたかのような一対の瞳が、枯草の上で身を起こすヴァルチャーへと向けられていた。

 彼の名は天龍。この世界において最も早く空へと進出した高等知性体であり、かつては神と崇められ、現代では人族と共に蒼天憲章を批准した種族の1頭だった。


〈いやはや申し訳ない。法律家との確認に手間取ったうえに、加減も慣れておらぬものでして〉


 目の前の天龍は、声と共に後悔の感情を伝えてくる。人のように表情筋がとくに発達しているわけではないため、感情そのものを思念として伝えることで代用としているらしい。

 そうして、レーヴァンは周囲の状況も含めて凡その事態を把握した。Mig-21が岩に激突する寸前に機首部分のみを抉り取り、その後に安全な場所に軟着陸させて即席のベッドまでしつらえたのは、この天龍殿のようだ。

 正しくの様な所業ではあるが、それ以外に疑う余地は無い。

 そもそも、人類のは、もとを辿れば天龍のを限定的、人為的に再現するためのにすぎないのだ。

 総重量15トンの制空戦闘機を真上に100 mほど打ち上げる風の槌や、分解寸前で地上を引きずられる迎撃戦闘機から人の乗った部分のみを抉り取り救出する芸当を、一睨みでこなせてしまうのが天龍族ドラゴン・ロードと呼ばれる種族だった。

 ついでにチラリと空を見上げるが、そこに黒雀の存在を示す証拠は無い。自分が気絶している内に、飛び去ったと考えてもよさそうだ。一先ずの安全を確認したのち、蜷局を巻いた天龍へと礼を言う。


「どうかお気になさらず。貴殿が居なければ、今頃はスクラップになっていたでしょう」


 レーヴァンは、四肢の機能を確認しつつつ枯草の山から立ち上がった。少々ふらつく様な気がするが、それも直ぐに消える。

 彼の態度は普段の砕けたモノとは打って変わり、完全に貴人に対するモノと言ってよい。振る舞いだけを見るならば、他国の政府高官に謁見する空軍将校の様ですらあった。オイルと煙でいぶされ枯草で彩られたフライトスーツ姿で無ければ、中々様になっていただろう。

 ただ、天龍は慙愧ざんきえぬとでも言う様に首を横に振る。


〈だとしても、遭難信号メーデーが発信された時には救助行動に移ってしかるべきでした。蒼天憲章を引き合いに出しておきながら、このザマでは随分と格好がつかない。――貴殿の乗機を無残な姿にすることも無かったでしょうに〉


 全球高等知性種族間相互扶助憲章――基本的に蒼天憲章と通称されるこの条約は、世界最古の包括的な多種族間条約と言えるものだった。

 内容自体は、憲章が採択された時期に至るまでに個々の種族間で培われてきた慣習や、結ばれた取り決め。つまるところ【異種族との付き合い方】を明文化したモノであり、基本的には異種族間での助け合いを求める条約であった。ただし同時に、その中には同種族・他種族間における戦闘に関する取り決めも多く含まれており、発効当時から戦時国際法としての側面も持つようになっていた。

 ただし、この憲章が採択されたのは現代から3000年ほどさかのぼった遥かな過去であり、技術の発達に伴って適宜改定されてきた戦時国際法の部分以外は、慣習法と化して世界に溶け込んでしまっている。

 そのため、この時代における蒼天憲章とは、基本的に戦時国際法と言う意味で使われる場合が大半だった。

 レーヴァンは過去に頭へ叩き込まれた条文の中に、戦闘能力と飛行能力を失った敵に対する攻撃を禁ずる条文があったことを思い出す。元々は飛竜ワイバーンやハーピー達の間に存在した慣習が原型であったが、航空機の発達に伴って人にも適用されるようになっていた。この天龍も、その部分を持ち出して黒雀を追い払ったのだろう。

 救助が土壇場になったのは、自分の不時着が――結末は如何あれ――上手くいきすぎたのが原因かもしれない。蒼天憲章の相互扶助は、自らの種族が関係しない戦闘状態においては、扶助を受ける側に自力解決能力が明らかに存在しない場合に制限されている。


「乗機に関しては、まあ、僕の不手際が主たる原因ですので。有体に言ってしまえば、落とされた方が悪いのです」

〈ふむ、人族の考え方でしょうか?〉

「というよりは傭兵ヴァルチャーの負け惜しみですな。少なくとも、自分に腹を立てていられる間は余裕があると言う事です」


 大げさに肩を竦めると、目の前の龍から頭の中に笑い声の様な思念が伝わってくる。


〈自省出来る内が華、という事ですね。ああ、申し遅れました。わたくしはケミナと申します。まだまだ若輩者ではありますが、どうぞお見知りおきを〉

「【エントランス】第59戦術戦闘飛行隊『グラム』、グラム1、レーヴァンです。お目に掛かれて光栄です、ケミナ殿」


 敬礼を送れば、鎌首を擡げたケミナの頭が縦にゆっくりと振られる。天龍族の答礼だった。敬礼を解いたレーヴァンは、少しバツの悪そうな調子で続ける。


「窮地を助けていただいたばかりで恐縮なのですが、実は機体の通信機があのザマでして。つきましては今一度、蒼天憲章の履行をお願いしたいのですが」

〈ええ、構いません。貴殿がなんと仰ろうと、機体の損壊には私にも責任の一端がありますので〉


 思慮深げな光を湛えている群青の瞳の中に、ほんの少し諧謔味が混ざった。

 天龍族が他の種族と話すときはこのような畏まった口調ではあるが、この年若い天龍のように、茶目っ気が皆無というわけでは無い様だ。ケミナの大きな頭が空を向き、髭が緩やかに震える。しばらくは空を見渡すようにゆっくりと振られていたが、ややあってある一点に向けられた。


〈ふむ、ダラム丘陵の上空に大きな反応がありますな。E-767でしょう〉

「その付近を飛んでいるのなら、ウチのAWACSに間違いありません。コールサインは――」


 こうして、いきなり天龍から通信をつなげられたグレイヴ・キーパーは酷く慌てた様子であったが、救援要請は首尾よく【エントランス】へ送られる手はずとなった。 

 ケミナは周波数さえ教われば【エントランス】へ直接通信を繋げることも出来ると申し出たが、レーヴァンは丁重にその提案を断る。後でノルンに何と言われるか解ったものではないが、流石に蒼天憲章の濫用のように思えてしまったためだった。

 救援を呼んだ時点で、ケミナはもうレーヴァンを置いて立ち去ったところで憲章に抵触する事は無くなったが、この物好きな天龍は自身が救い出した人と言葉を交わすことを止めなかった。

 互いの当たり障りのない身の上話から始まり、ズメイ12不運な若者の最期を経由して、天龍族であるケミナがどうしてこのような場所に居たのかという話題に移っていった。

 彼曰く「人を知る」為に故郷を旅立ち、彼方此方飛び回っているらしい。

 その人を知る場所の一つとして、戦場を選んでいると言うのは随分奇妙――というよりも特異――な印象を受けるが、ケミナなりの理由は有った。


〈お気を悪くされたら申し訳ないのですが――幸か不幸か、我々は”大いなる意志”の恩恵もあり、貴方方のように互いに殺し合う歴史を経験してはいません〉


 慎重に言葉を選んでいる様なケミナに「お気になさらず」と声をかける。自分たちが他の種族から、”同族殺しが趣味な種族”と冷笑されているのは有名な話だ。もっとも、ヴァルチャーにとっては「それがどうした」以外に言うべき言葉は無いが。

 だが、年中殺し合っている人族以外の種族にも、大なり小なり争いや戦争があり、皆無ということは無い。

 他の種族からしてみれば異色とも呼べる歴史には、天龍彼等が高等知性体としてこの世界に出現した瞬間から、遠方に存在する他の個体と魔法を用いて交信する能力を持っていたことに原因があった。

 当初の能力はもはや強制的な同期と言って差し支えないモノで、それ故に認識の齟齬や個体間のいさかいが発生することは皆無だった。右手と左手が喧嘩することなどあり得ないように。全ての龍は、ある意味での集合知性体として振る舞い、世を謳歌していた。

 時代が下り個体数が増えるにつれて、強制的な同期は個体間の任意的な通信という形に姿を変えていく。しかし、だからと言って全ての龍が完全に別たれてしまうことは無かった。

 現代に生きる彼らの無意識化では、個体が持ちうる全ての情報が吸い上げられ、異なる次元へと集約されている事が知られている。この集約された情報塊レコードを、天龍達は”大いなる意志グラン・ウィル”と呼んでいた。

 仮に個体間でいさかいが起こりそうになったとしても、”大いなる意志”は当事者たちの無意識に働きかけ事態の解決に導いていく。意見の食い違いにより、ある程度の言い争いは生じるモノの、両者の間には必ず”用意された”妥協点が生じる。よって、交渉が決裂し実力行使に移ることは無かった。

 この特異な形態は古くから天龍学者たちの議論を呼んでおり、”大いなる意志”が天龍達を使役していると考える学者は半集合知性体セミコレクティブ・インテリジェンスと呼び、あくまでも天龍達の意志の集合体である”総意”にすぎないと考える学者は端末複合体ターミナル・コンプレックスと呼称していた。

 そのような背景があるため、天龍達には他の高等知性体が経験してきた個体間の諍いから派生する実力行使という概念が存在せず、またその極地たる戦争を経験していない。では種族間戦争はどうなるのかと問われれば、基本的には平和主義者である彼らの、神の如き強大な能力がその全てを抑止していた。

 むろん、神を畏れぬ勇者たちが挑む事例が幾つかはあったが――自然災害レベルの魔力をが振るう天龍族を敵に回したもの愚者がどうなるのかは想像に難くない。小うるさい羽虫を始末するのは、戦争ではなくと呼ぶのが一般的だった。


〈ですがこの先、同族間の戦争そのような悲劇が天龍の間に起こらないと言う保証はどこにもない。平和を欲するならば戦いを理解せねばならないのに、我々にはその知識が圧倒的に不足しています〉

「組織的な同族殺しを日常的に行っている人族我々を観察する事は、貴方方の安全保障運動の一つ、と言う所でしょうか」

〈ご理解いただけて何よりです〉


 真剣な目でこちらを見るケミナに、レーヴァンはふと既視感の様なものを感じた。はて、自分に天龍の友は居らず、そもそも彼らを間近で見たのはこれが初めての筈だが――


〈ふむ、貴殿と我々は初対面の筈ですが〉

「勘違い、というモノでしょう。人の記憶はあまり当てにできませんので」


 少なくとも、天龍族は対面さえすれば、相手の頭の中を覗くことが出来ると言う事実を忘れているほどには。意図的に頭の中で付け足した言葉に、〈これは失礼〉とケミナが笑う。会話が途切れた瞬間のエアポケットの様な無音が生じた時、遠方から響く獣の鳴き声が微かに空気を震わせた。

 強大な天龍が居るからこそ、レーヴァンはのほほんと四方山話に興じていられるが、本来このフォライト湖沼群は、膨大な魔力を糧にする大型魔獣が闊歩する危険地帯に他ならない。破壊されたコックピットの残骸に幾らかの装備は有るものの、魔獣が活性化するフォライトの夜を乗り越えられる確率は低かった。

 将来的に襲われる可能性が有る、というだけでは蒼天憲章は効力を発揮しない。勿論、知性を持たない魔獣たちは、批准する事で高等知性体の証明とされる蒼天憲章に何ら縛られてはいなかった。

 ケミナは心配そうに、つい先ほどレーヴァンが辞退した申し出を蒸し返す。


〈しかし、本当に良かったのでしょうか? この辺りは魔獣共も多い。戦闘状態にある他人はともかく、異種族の知己を近くの町に送り届けることを蒼天憲章は禁止しては居りませんが〉

「お気持ちだけ頂戴いたします――ですが」


 言葉を切った時、何かに反応するようにケミナの頭が西の方へと向けられる。納得したような感情を受け取りつつ、レーヴァンは何処か誇らし気に言葉を続けた。


「幸いにも――僕にはもったいない程、気の利く相方が居ますので」


 数分後、赤みを帯び始めた西の空にタービンエンジンの金切り声が響き始めた。


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