閑話 二

閑話 二


穏やかな陽光が梅のつぼみに降り注ぐ。

不知火屯所の学問所では、教養一般と戦争史の教諭、曽我部天源が

学徒達に語っている。六十を超えてなお矍鑠かくしゃくとした物いいで、

白鬚をたたえ飄々とした風貌をしている。

「元応六年、布留稲上ふるいながみにおいて、日の本軍二千、狗族三百、それを率いる弥者五十名が交戦状態に入った。率いる指揮官、磯山官兵衛少将の言葉が

次の頁。」


独特のしわがれた声で語る天源。暖かな日差しが襖を通して注ぎ、

悪兵衛は目をつぶって聞いた振りをしている。

隣で桔梗は天源の言葉をかき取りながら、悪兵衛を見て笑いをかみ殺した。


「同十二年、幕僚内に戦略技術研究部が発足。初代主任研究員、竹山寅春の

言葉が次の頁。」

悪兵衛の首がさがり、寝息を立てる。桔梗はその太ももをつねった。


*


「とうとう尊級が拝殺に現れたか。」

隊長室に、織田刑部、灰音章雪、安曇十字朗が控えている。

その上座には不知火隊長、伊庭辰之進。

年は五十五、武門で聞こえた伊庭家総帥であり、不知火創設以来

の隊士であった。

厳しく鋭い眼差しとそれを隠すようなゆったりとした態度、

隊士の誰もが慕う絶対的な指導者である。

将軍の軍事顧問と幕僚を兼任し、その影響力は絶大な物があった。

この日は十字朗による、明河藩弥者帰り事件の報告が行われている。


「敵は人間の弥者帰りの時期をあらかじめ想定していたようでした。」

「日にちだけでなくその時刻まで。」

粗方の報告を聞き、伊庭は袖に手をいれ思案する。

「刑部、章雪。どう思う?」

「弥者も隠密のような組織があると思われます。」

「ただ、弥者帰りの時刻まで予想するとなると根本的に違う、

何か確定する方法が。しかし、情報が少なく想定できかねます。」

灰音の言葉を聞きながら、じっと考え込む刑部。


「刑部?」

「はい…。弥者帰りの件に関しては章雪の申した通りです。未だ

判断材料はありませぬ。」


「十字朗、もう一度戦闘に入ってからの事を教えてくれ。」


*


午後に入り、学徒の隊士達も道場にて武道の鍛錬が始まっている。

神棚には大きく力強い文字で、吶喊・報復・殲滅の三言が飾られている。

これは不知火の隊規であった。


巨漢の隊士同士が仕合を行っている。打ち付ける木剣の音、踏みしめる足音、

ぶつかり合う体躯が道場を揺らす。

一人は畦倉あぜくら士道大尉、癖の強い毛髪をまとめ茶筅髷にし、

道着から伸びる日に焼けた手足は丸太のように太い。

いま一人はルートヴィヒ・フォン・バルザック中佐。

銀の総髪に紅潮した白い肌、青い瞳の侍で、士道同様、筋骨逞しくまさにつわものといった風貌である。

その周りでは隊士が声をあげて二人を応援している。

士道の蹴破が炸裂し、バルザックが道場の壁を破壊して屋外に投げ出された。どよめく隊士達。


悪兵衛は正座し、木刀を袋から出し、歪みを確かめている。

その横には同じく授業を終えた玉杉桔梗が座している。

「悪兵衛、今日の授業でどう感じた」

「はぁ。様々な兵士の思いで魁音刀が出来たと…」

「半分寝ておったではないか。」

たまらず桔梗は笑い出す。

「面目ない」


バルザックの蹴破が炸裂し、逆側の壁を破壊して士道がもんどりうって

飛び出した。土煙があがり、士道の脚が痙攣している。

総務を呼んでくれと声が飛ぶ。道場等の補修業務を受け持つ部門である。


「お主の刀は別であろうな」

桔梗がまっすぐ前を見ながら話す。悪兵衛はその横顔を見ながら頷く。

「琿青は特殊過ぎて、後に伝えられるものではない。」

「真にお主だけの剣だ。」

「はい。」

猫のような瞳に、すらりとした体躯の女性隊士が木刀を持って歩み寄る。

「桔梗、はじめよ。」

「うん。」

桔梗と同期入隊の侍、間宮桃乃介中尉。優れた戦士であり、友人でもある。

桔梗と桃は連れ立って素振りを始めた。

仕合に決着がつき、士道とバルザックは礼をする。お互いが顔にあざをつけ、

鼻血をだしているが、清々した表情だった。

バルザックに軍配が上がった。


悪兵衛は琿青の出自に思いを馳せ、なかなか立ち上がれないでいる。


*


「キリヒトの凍結能力ですが、目標一体だけに作用するように思われます。」

十字朗の戦闘報告を一通り聞いた刑部は明晰に語る。

「教室全体が凍りついたのは?」

「恐らくだが対象が生物でない場合範囲で発動しているのだろう。」

十字朗の疑問も刑部の頭脳の想定の中に含まれている。

「範囲が大きい場合その分その効果も薄れる。」

「せいぜい扉を凍りつかせる程。また報告にあった霧等無害な物に。」

「目標を生物一体にして発動させると、悪兵衛の半身を凍りつかせて士魂すら通せない程強力なものに。」

皆、頷きながら聞く。

「また、目標を空間に一転集中した場合、魁音でも一撃ではくだけない壁を作る。士魂が表面を滑り、内側からの破壊もままならない。」

灰音は目標物一体という言葉の根拠を求める。

「その対象が基本的にはひとつ、という事ですか。」


「うむ。複数に対して作用するなら十字朗も凍らせて斬られておったはず。」

「そも、敵対する侍が複数という時点で、自らの力の長所も短所も押さえたうえ撤退したのであろう。」

「片方の侍を凍結したとして、残りの者の殺傷範囲が予想できない時点で、

戦闘を放棄したと思える。」

「恐らくだが」

「十字朗が環輪剣で行動を止めた弥者二名は、直接攻撃の破常力を持つ者であった。戦闘の補助を望めない以上、将軍であるキリヒトノミコトがそれに加わる事は危険を冒す事になる。それ故、随伴した者も撤退を促したのではないのか。」


しばし、三名は黙し、刑部の考察を反芻する。

やがて伊庭が懐から手を出し言った。

「刑部、まとめて幕僚向きの報告書を作成してくれ。」

「かしこまりました。章雪手伝ってくれ。」

「御意。」


十字朗は膝をうち、いつもの陽気な声をあげる。

「いずれにしても、恐ろしい能力ですな。ははは」

伊庭も膝を崩す。

「まさにな。わははは」

「報告は終わりだ。昼日中から酒でも飲むか」

伊庭と十字朗が呑気に笑いあう。

刑部と灰音は苦笑している。


*


不知火屯所内、隊士宿舎の柵明(さくめい)荘。

二十名の男性隊士が寝食を共にしている。

その廊下を悪兵衛が大股に歩く、背後には二人の隊士。

「悪兵衛。」

「お晩方。」

「悪兵衛、飯か」

「お晩方。左様でござる。」

廊下で声をかける隊士達に律儀に返事を返す悪兵衛。

食堂に入り、三和土から料理番であり、宿舎の管理者である後藤ミツが

声をあげた。

「なんだおまえら、その顔と身体。汚いの。あらったのか」

「手は洗うよ、ばばさま。身体は風呂で一緒でよかろ」

悪兵衛が頭をかきかき手水で手を洗い、拭った。

「汗臭いのは許せ。一時だ。」

悪兵衛の背後の男の一人は畦倉士道。道場で暴れていた大男で、

今一人は深町仁悟朗大尉、士道と同期だが年は一つ下で、太い首に岩のような

胸板、隆々とした腕回りの筋骨逞しく、荒々しい風体である。

三名は年も性格もまちまちだが、馬が合うのか、度々行動を共にしていた。


どやどやと三名が板の間に入ってきて、灰音は困った表情をしながら、

椀をすすっている。

隅に積んである膳をもち、三和土の後藤の婆さまから飯椀、汁椀、皿を

受け取り、席に着く。仁悟朗の大声が響く。

「婆さま、物理的に可能な限り大盛りにしてくれ。」

「二杯くえばよかろ」

士道は道場では見せなかった笑顔で言う。

「おお、今日は焼き鮭だぞ。喜べ皆の衆。」

「この時期三日と待たず出るではないか。」

「鮭はいい。川と海の物だ。」

白い飯に大根の味噌汁、皿には炭で焼かれた大きな鮭の身がまだ焼き音を立てている。小鉢には大根のおろしと、小松菜と油揚げのお浸し。


「いただきます」三名は手を合わせた。

その横に、橘川兄弟が並んで座っている。

「鮭は好きだが、皮は好かん。」

「俺もだ。蛇みたい。」

一圓は悪兵衛の膳をのぞき込んでいった。

「悪兵衛、お主全部食うのか?」

「無論だ。」

箸先で鮭の身と皮を等分に切り分け、口に放り込む。

慣れ親しんだ懐かしく、力強い身の味、潮の香りと醤油の味が口中に膨らむ。

「まだるっこしい食い方だな。」

仁悟朗は鮭を箸でつかみ丸ごとかぶりつき、飯を大量に口にいれ、咀嚼する。

「士道は?」

悪兵衛と仁悟朗は同時に聞きながら、士道の皿をのぞく。

士道は焼き目のついた皮をすべて剥がし、丸めてその上に大根おろしを載せた。

それを飯の上にのせて一気にかきこむ。

「皮だけで飯一膳食ったな。」

「俺も次そうしよう。婆さま、鮭ちょうだい。」

仁悟朗の大声に後藤の婆さまが答える。

「いま焼いとるでよ」

橘川兄弟はいまいましく思った。

「こいつらに好き嫌いの文字はないな。」


*


入浴をすませた悪兵衛は一人、自室で琿青を前にして正座している。

柄を握り、ゆっくりと抜く。夜空の色の刀身が行燈の灯にきらめく。

士魂を込めずに抜かれた刃は鞘との摩擦を生まず火花は出ない。

定法と呼ばれる一連の型を思い描きながらも、刃を揮う事すらできなかった

キリヒトノミコトの禍々しい姿がよぎる。


大きく息をつき。刀身を立て、額をつけて祈るように呟いた。

「南無八幡。神武の加護が琿青と共にあらんことを」



閑話 二  了

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