第27話 茜の魔女の覚悟

 

「きゃあ」



 キャメリアが咄嗟に顔をかばった拍子で、杖が床に転がった。

 その瞬間にミランダが叫んだ。



「ハインツ様、こちらへ! キャメリア様から離れてください!」

「ミランダ!?」



 ミランダが手を広げて構えると、ハインリヒは腕の中に飛び込んできた。彼の体に変化がないことを確かめ、国王に向かって大きな声を上げた。



「ハインリヒ殿下は無事ですが、解呪ではない他の魔法が使われました。あのキャメリア様の髪飾りを調べてください!」

「宮廷魔女たち、茜の魔女の言うとおりに調べよ!」



 ミランダのお願いを国王が聞き入れ、指示が出される。



「や、やめて!」



 武術の心得もあるのか宮廷魔女たちは国王の指示通りキャメリアを取り押さえて、あっという間に髪飾りを回収した。

 すぐに南の魔女による占いがおこなわれ、水晶が斑模様をした桃色の光を放った。



「強い魔法の残存が残っております。この者はハインリヒ殿下に魅了の魔法を行使し、失敗したと思われます」

「そんな……わたくしは知りませんでしたわ」

「さて、本当でしょうか?魔女でもないのに精神作用系の魔法を使おうとしたならば、髪飾りに強い意志を向けなければなりません。無意識に発動することはありえません」



 つまりキャメリアが故意に魅了の魔法を使ったということだ。知らないふりは無意味。



「実は恋が叶うお守りとして持って買ったものなのです。こんなに強い力を宿していたことは、本当に知りませんでしたわ。流浪の見知らぬ魔女から買ったもので、今どこにいるかは分かりません」



 キャメリアは大女優と見紛うほど、綺麗に涙を落とした。堂々とした完璧な令嬢とは思えない振る舞いだ。

 ミランダはすかさず声を上げた。



「だとしても、ハインツ様の心を操ろうとしたのは事実です! 南の魔女様、呪いのハンカチと髪飾り――ふたつの魔女の力の残存が一致するか調べてください。可能ならば魔女の遺産も一緒に」

「何を勝手に!杖は魔女が勝手に触っては――」

「大丈夫です。髪飾りの魔法が発動して魔女の力が及んでも、杖は何も反応をしていませんでした。魔女の影響下でも問題ないでしょう」

「――っ」



 図星だったのか、キャメリアは怒りの眼差しを飛ばしてくる。

 そして宮廷魔女によって調べられた結果、全ての魔力が一致。どれも老齢の魔女の力であった。キャメリアが事件について関わっていたことは明白だ。言い逃れはできないと諦めた彼女は唇を震わせた。



「ど、どうして失敗してしまったの? ハインリヒ殿下は魔法を跳ね返すような物は何も身につけておりませんのに……」

「それは……」



 どの宮廷魔女も首を傾けた。猫の姿のハインリヒは何も身につけていないのだ。



「ハインリヒ、何か心当たりはないか?」



 国王に聞かれ、ハインリヒとミランダは顔を見合わせ、ふたりは声を重ねた。



「フンドシ!」



 それはミランダが丹精込めて縫い上げた厄除けの下着だった。

 フンドシは人の姿のときに身につければ、猫の姿のときには目に見えなくても効力を発揮したのだった。



「つまりフンドシという神の御前のための聖なる衣が、ハインリヒの身を守ったというのか……?」

「陛下、俺が身につけているもので覚えのあるものは、それしかありません。普段の魔法は通しており、害悪なものだけ跳ね返す素晴らしい物です」



 ハインリヒが以前ミランダから受けたフンドシの説明をそのまま国王に話した。むしろ着け心地の感想まで加わり、国王はひどく感心した。さらっと「欲しい」とまで言い出し、いつの間にかミランダは5枚の予約を承ってしまった。国王のフンドシを作る魔女はミランダが史上初に違いない。



「ふ……ふ、はははは」



 突然、老齢の魔女が笑い出した。



「茜の魔女といったかい? なんと見応えのある若き魔女かのぉ……止めてくれて感謝するよ」



 彼女は諦めと安堵が入り混じった表情を浮かべたあと、厳しい顔つきへと変えた。



「しかし魔女の遺産はアタシが作った偽物……込められた魔女の力は時間と共に抜けていく。呪い専用の解呪の魔法を込めた繊細なものを、嬢ちゃんは落としたけど大丈夫かい?」



 その言葉を受けて杖を手にしていた南の魔女が状態を念入りに確かめたが、さっと顔色を悪くした。



「石が割れております!解呪の核が欠損しているだけでなく、漏れて魔女の力が減っていっております」



 もう新たに老齢の魔女の力が手に入らない今、ハインリヒの呪いを解くには杖に残る力が頼りだ。完全に魔女の力がなくなってしまったら、解呪するのは不可能に等しい。

 逆にまだ老齢の魔女の力は残っていることは幸運で――ミランダは形振り構わず、老齢の魔女に詰め寄った。



「欠損した解呪の核を呪文で補い、残った魔女の力を利用すれば解呪は可能ですか?」

「代理魔法だね。だが核が壊れてしまった……魔女の力が変質してるかもしれない。止めておいたほうが良い。それに補った呪文が合わなかったらどうなっちまうか……」

「でも可能性は残ってますよね?」



 老齢の魔女は少し躊躇った後、「その通りだ」と頷いた。

 それだけで十分だった。リスクの覚悟はとっくにできている。解呪できる手段が残っていると分かれば、動くだけだ。



「杖をお渡しください。今すぐ私が解呪の儀式を行います!」

「ミランダ、本当にできるのか?」



 ハインリヒが心配しているこが表情からでも分かる。彼が元に戻れるかどうかではない。呪い返しで、ミランダの身に何か起きないかを案じているものだ。



(呪いを受けて一番元に戻りたいのはハインツ様なのに、自分より私を心配するなんて……本当に優しいわ。呪いを受けたままだと、きっとこの方は迷惑をかけていると、ずっと誰かに負い目を感じて過ごすのでしょうね)



 もうこんな心配をしなくても良いように、呪いから解放してあげたい。ミランダが魔女として生きていけることに喜びを感じているのと同じく、彼が本来の彼らしく過ごせるようにしてあげたい。



「道具があるのだから他の魔女に――」

「使い魔契約のおかげでハインツ様の中には私の魔女の力が宿ってます。呪いの力と同在していたことで親和性が高まっているはず……他の魔女の力よりも反発されるリスクは高くありません。それに……」



 ミランダは口角を上げて、ニッと笑った。



「あなた様の魔女は私だと仰ってくれたではありませんか。やらせて下さい」



 ハインリヒはぷにぷにの肉球を額に当て、ため息をついた。



「そう……だったな。最後まで共にと願ったのは私だった。私の命運をミランダに任せて良いか?」

「はい。だから魔法書の件はお願いしますよ?」

「ふふ、私の魔女はしっかりしてるな。では頼む」



 ハインリヒは困ったように微笑んで、深く頭を下げた。

 国王からも許可を得て、ミランダは宮廷魔女から解呪の杖を受け取った。見た目以上に重く、まるでプレッシャーのようだ。それを振り払うようにドレスの裾を後ろに払って両膝を床についた。法廷の中央でハインリヒと正面で向き合い胸の前で杖をしっかりと両手で握り瞳を閉じる姿は、祈りを捧げる神使のようだ。


 法廷は静寂に包まれ、自分の心臓が鼓動する音を聞きながらミランダは杖から魔女の力を引き出し始めた。

 老齢の魔女の力にミランダの力を混ぜ込んで、力の主導権を奪う。ハインリヒの魂に絡みつく呪いの糸をゆっくりと解くように、洗い流すイメージを口ずさむ。



「闇に溶けこめ、あるがままを任せよ、我が導かん、さらば別れの時だ――呪いよ飛んでいけぇー♪」



 ミランダは薄っすら目を開き、猫の姿のハインリヒの小さな口に自らの唇をちょこんと重ねた。

 その瞬間ミランダの魔女の力と呪いの力が細い糸が結ばれたように繋がる。糸を手繰り寄せるように見つけた呪いの根源に、先ほど願った魔女の力を一気に注ぎ込んだ。どうか元の姿を取り戻し微笑みを向けてくれるよう、ありったけの愛を込めて。


 数秒後、唇にあった感触が無くなり顔に風を感じた。目を開けば煙が視界いっぱいに広がり、見慣れた影が透けて見えてきた。



 青みがかった銀髪に、翡翠の瞳、広い肩幅に、高い身長――願った通りの姿だ。

 先ほどまで膝をついても見下ろしていた彼のかんばせは今見上げるとずっと高いところにある。そう、不自然なほど高いところに――



「みゅ?」



 どうして、と思って出た言葉は形にならなかった。

 次に体が自分のものではなくなった感覚に襲われる。肌から感じる空気も、鼻に広がる香りも、耳に届く音の響きも、薄紫色の瞳に映る世界の色彩も何もかもすべてが違う。ミランダの思考は気持ち以上に白くなり、まるで他人事のように思えてしまう。


 ただ分かるのは目の前の愛しい人が悲愴な表情をしているということだった。


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