第23話 王宮の夜

 

 ミランダとハインリヒはすぐに国王に報告することにした。この灰猫の隠れ家が狙われるのは時間の問題だからだ。人通りのある明るい時間帯であるうちに家を出た。

 バスケットにハインリヒとベルンを入れ、王宮の正門でクラウスを待っていた。ドレスは着ていないし突然の訪問だったが、門番に追い返されずに済み安堵のため息をついていた。



「茜の魔女さん!」



 クラウスは息を切らし、迎えに来てくれた。



「クラウスさん、急に申し訳ありません」

「いえ、俺も本日そちらに行かねばと思っていたので、ちょうど良かったです。その中は……」



 クラウスはバスケットを見て、伺う表情をした。ハインリヒを連れてきたのか聞いているのだろう。ミランダは頷いた。



「重いでしょう。バスケットを預かります。どうぞこちらへ」



 ミランダは素直にクラウスに渡した。

 彼はしっかりと受け取ると、王族の居住区である白薔薇宮へとミランダたちを先導し始めた。


 白薔薇宮と呼ばれるだけあって、外観も内装も白を基調としたデザインになっている。防犯上窓が小さいものの、暗さを感じることはない。むしろ天使の梯子のように光が入り、神聖な趣きだ。

 階段を登り、四階まできた。雰囲気に圧倒されながら着いた場所は、可愛らしい客室だった。天蓋付きの広いベッドに、淡い色のカーテンにお揃いのクッション、ソファはアンティークの物だ。まるで物語のお姫様の部屋だと、心躍ってしまった。窓辺に駆け寄り眺めれば、城下が一望できた。



「気に入ったようですね。陛下も安心するでしょう」



 クラウスがバスケットからハインリヒとベルンを出しながら言った。



「茜の魔女さんとベルン君には、こちらで暫く過ごしてもらい、ハインリヒ殿下はまず陛下に会ってもらいます」



 そう言う彼の顔色はどこか晴れない。

 ハインリヒも気が付いたのだろう。部屋を一瞥しただけで、クラウスの肩に乗った。



「急いで会ったほうが良さそうだな。ミランダ、すまないが私が経緯を説明してくる。待っててくれないか?」

「はい。お待ちしております」



 こうしてミランダはベルンと部屋で待つことになった。


 王宮で過ごす時間は豪華絢爛だった。侍女がつけられ、美味しいフルコース料理に、泡風呂にマッサージと至れり尽くせりの待遇。もちろん用意された着替えは高級品。

 ベルンにも猫専用侍女がつけられ、それにはミランダも驚いた。さすが王族が猫好きなだけあり腕は一流。ベルンも幸せそうにへそ天していた。


 別世界のように感じ過ごしていると、あっという間に月が真上に昇る時間を迎えてしまった。ハインリヒたちから事件に関して連絡は来ない。



「どうなったのかしら……もう関わりはここまでなのかな?」



 最後まで一緒に――と言ってくれたが、国王が許さず、あとは宮廷魔女に任せミランダは帰っていいと言われれば終わりの関係とも言える。

 ハインリヒと使い魔契約をして二か月間、ずっと三人で過ごしていたため、少し会話の賑やかさが足りない。妙に部屋が静かに感じていた。



「解決したら、もうあんな日は来ないのね」



 推理して真犯人を突き止めた一昨日、ハインリヒを独占できた時間はあれが最後なのだと、今さらに気が付いた。魔女になって社交界から縁を切ったミランダとは、本来顔すら合わすことがなかった相手だ。



「初めはなんの試練かと思ったけれど、素敵な日々だったわね」



 ハインリヒと過ごした二か月は毎日が新鮮だった。魔女としても、人としても成長を実感できる。恋もした。とても充実した日々はミランダの一生の宝物になる確信がある。

 あとはハインリヒとの使い魔契約を解除すれば、自然と前の日常に戻っていくのだろう。



「まだお別れしたくないなぁ……会いたい……ベルンもそう思うでしょう?」

「みゃーお」



 恋心は芽生えたばかりで、欲はまだ枯れる気配はない。

 ハインリヒの髪色と同じ銀色の月を見上げようとして、バルコニーのある窓辺に近づいて目を見開いた。

 手すりには猫の姿のハインリヒが居たのだ。ミランダは慌てて窓を開けた。



「ハインツ様!いつからそこに?」

「今ちょうどだ。少しだけ話したい。入っていいだろうか?」

「もちろんです」



 部屋の中に招くと、ハインリヒはソファに飛び乗った。ふぅ、と短いため息をついた後、神妙な顔つきで口を開いた。



「明日の夜、魔女裁判をすることになった」

「いよいよですね」



 魔女裁判とは宮廷魔女が立ち会い、実際に魔法を使いながら開かれる。占いで犯行や証拠を検証して被告人を明らかにしたり、その場で呪いを解いたり解決を試みる特別な裁判だ。

 有益な証言が得られない場合は、参加者の証言よりも占いの結果が優先される。発言の強さを誇りにする貴族にとっては自分の証言を軽視されるも同然で、屈辱的なものだ。国王の怒りと本気がうかがえる。



「ミランダにも俺の弁護魔女として参加して欲しい。あなたの魔女としての知識と力を貸してくれ」

「も、もちろんです!」



 ミランダは力強く頷いた。魔女として求めてくれている。それだけで嬉しかった。



「即決していいのか?」

「どうしてですか?」

「国王や信頼を得た宮廷魔女など、初見の人が集まる。人見知りをするからと断られるかと……良かった。心強い」

「頼ってくれて嬉しいです。精一杯、頑張ります!」



 両手に拳を作って気合を見せれば、彼はビー玉のように丸い猫の目を細めた。そしてミランダの拳にキスをすると、ソファを飛び降りて窓辺に向かった。

 拳にキスされたことに呆気にとられるが、慌てて後ろを追って窓を開けた。頬を撫でる風の冷たさで、顔の熱さを知る。



「もっ……もうお帰りになるんですね」

「まだ会議は続くからな、休憩時間に抜け出してきた。きちんと自分の口でミランダに頼みたかった……というか会いたかった」

「今なんと?」



 最後の言葉が小さくて聞き取れず、聞き直すがハインリヒの顔は外に向けられ答えてくれそうにもない。そうして「明日頼んだ」と言葉を残して、壁の縁取り装飾の上を器用に歩いて去ってしまった。


 ◇◇◇


 翌日、大きい袋を両手に抱えた侍女が入ってきた。ミランダが興味深そうに見ていると、袋から出てきたのは真っ黒なドレスだった。

 艶のある絹地にレースが重ねられ、グラデーションのような黒の深みの変化が綺麗だ。



「取り急ぎ喪服をベースに作ったもので申し訳ありません」


 ミランダがあ然と見ている理由を不満と捉え、侍女は申し訳なさそうに頭を下げた。

 悪役顔の自分がやはり恨めしい。



「頭をお上げください。喪服でも私の持っている黒ドレスより上質で驚いていたのです!素敵な喪服ドレスです。さ、さすが王宮のレベルは高いですね。闇の女王様にでもなれそうです」



 口下手が慌てて言うものだから、変なことまで言ってしまった。恥ずかしくて隠れたい、と顔を真っ赤にして震えた。



「それは良うございました。既製品で黒のドレスはなかったものですから、ハインリヒ殿下に頼まれたときは焦りました」

「ハインツ様が……あ、あの、お礼を伝えてくださいませんか?」



 ミランダのお願いに侍女は深く頭を下げ、退室した。

 今夜は重たい雰囲気になることに間違いない。黒いドレス――魔女の鎧があって良かったと、ハインリヒに感謝した。



「これって、事件解決後ももらえると思う?」

「みゃー?」

「思い出の品として欲しいなって」

「みゃ!」



 ベルンは「これで終わりじゃない」みたいなことを言っている。寂しそうな気持ちが顔に出ているのだと思ったミランダは、ベルンの慰めに顔を緩ませた。



「ベルン、裁判でもそばにいてね」

「みゃお!」



 ミランダはベルンを抱き寄せ、黒ドレスを眺めた。

 夕方を過ぎるとパーティーに行くのかと思うほど侍女に手入れをされ、ミランダは黒ドレスを身に纏った。大きな姿見に映る姿は、物語の最後に出てくる敵のように強そうだ。今日だけは自分の悪人面に心強くなり、自然と背筋が伸びる。


 人払いされているのか、魔女裁判の会場に行く途中ですれ違う人はいなかった。

 地下に入り、ろうそくの火の明かりだけの通路を進み、扉の前に立った。



「ハインリヒ・アルメリアに召喚されし証人、茜の魔女とその使い魔ベルン――入廷!」



 名を呼ばれ、扉が開かれる。背筋を伸ばし、ゆったりと優雅にドレスの裾を揺らした。

 法廷はシンプルな箱のようだった。地下ではあるが、高い天井はガラス張りで夜空がよく見える。奥には一段高くされた祭壇があり、魔女が魔法に使うあらゆる道具が置かれていた。

 そして祭壇の前にある重厚な机には、王冠を頂きに乗せた風格のある壮年の男性が待っていた。ハインリヒと同じ青みがかった銀髪に、深い青い瞳は国民誰もが知る最高権力者――オルレリア国の国王だ。


 祭壇を降りて正面から右の壁側には、外交官長ドーレス卿と近衛騎士団長アンダーソン卿が控えている。

 反対の左側には猫の姿のハインリヒが椅子にちょこんと座っていて、後ろにはクラウスが控えていた。

 ミランダはベルンをおろしてから、昔の記憶を引っ張り出してカーテシーした。



「待っておった。茜の魔女と使い魔はハインリヒの隣に座りなさい」

「はい」



 指示された椅子へ静かに腰を下ろす。横目でハインリヒと視線が合うと、彼は神妙な眼差しで瞬きをひとつ寄越した。ミランダは頷きをしっかりと返した。

 そう思っている間にも、次の入廷者の名前が呼ばれる。



「重要参考人キャメリア・ドーレス――入廷!」



 真犯人であるキャメリアの名が呼ばれ、いよいよ始まる――と佇まいを正す。そしてもうひとり名が呼ばれた。



「引き続き、重要参考人マリアローズ・アンダーソン――入廷!」



 耳を疑った。マリアローズは罪を被せられた被害者ではないのか――とハインリヒを見る。しかし彼は小さな額に皺を寄せ、令嬢ふたりを睨んでいる。



(あのあと想定外の事がおきたんだわ……!)



 キャメリアとマリアローズは並ぶように正面に歩み進め、ミランダたちとドーレス卿たちを結ぶ線の一歩手前で止まった。

 そして続くように指定のローブを纏った四人の宮廷魔女が入廷し、入り口で並んだ。



「では、揃ったな……我が息子ハインリヒに姿を変える呪いをかけた事件に関する、魔女裁判を開廷する!」



 法廷に国王の声が響いた。

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