第8話 飼い主はじめました


 ミランダに緊張を与える人の姿が消え、床にちょこんと座る白猫を見て急に頭が冷えていく。



(とんでもないことを約束してしまった…………でも魔女に二言はない。きちんと飼い主しなきゃ)



 心臓のドキドキが全く収まりそうにない。こういう時は仕事をするに限る。



「ハインリヒ殿下、使い魔契約に必要な準備と服などの買い出しに行ってきます。ベルンとお留守番していて下さい」



 運良く今夜は満月だ。使い魔と結びつきを強くするためには、魔女の力が一番強くなると言われる満月の日が最適だ。他の日でもできなくはないが、相手は呪いを受けているため念を入れるべきだ。満月の日を逃す理由はない。



「では、いってきます」

「にゃあ」

「イッテラッシャイ」



 ミランダはローブのフードを深くかぶって、朝露の香る外へと出かけた。朝の市場はすでに賑わいを見せていた。野菜に魚、武具にアクセサリーなど様々な露天が並んでいる。

 ミランダの目的は花屋だ。品揃えを見て、目的のものがありホッとする。すると顔見知りの女店主がミランダに気が付いた。



「いらっしゃい、茜の魔女様。前にもらった腰痛のくすり、効いたよ。今日は何をお求めで?」

「こんにちは……薔薇の棘付きの茎を下さい。できるだけ多めだと嬉しいのですが」

「はいよ。待っててくださいね」



 変わったものを頼んだのにも関わらず、ミランダが魔女だと知っている女店主は当たり前のように用意を始める。口下手なミランダにとって、何に使うのか根掘り葉掘り聞かずにいてくれることは助かった。



「おいくらでしょうか」

「もともと捨てちまうものですよ。お代はいりませんて」

「そ、そんな……では代わりにこれを」



譲る気配のない女店主へ、お金の代わりに小封筒をそっと差し出した。



「よく眠れて、疲れが取れる角砂糖です。ホットミルクに混ぜてみてください」

「まぁ、まぁ! ありがとうございます。この年になると朝が辛くってねぇ。では、ありがたく」



 紙と麻紐で包まれた薔薇の茎と角砂糖の入った小封筒を交換すると、女店主は小封筒を大切そうに掲げて額に当てた。

 次に向かったのは服屋だ。露店の脇を抜けてファッション通りへと足を運び、ベルンの服を買っているお店に入った。



「いらっしゃいませ。おや、ミランダ様ではありませんか」



 オーナーである初老の男性が穏やかな笑顔で出迎えてくれる。彼はすぐにベルンに合いそうな服を見繕い始めてしまう。



「ご、ごめんなさい。今日は違うんです」

「これは失礼。てっきりベルン様のかと……今回はどうなさいましたか?」

「成人サイズの男性の服と靴が欲しいのですが……取り扱いはありますでしょうか」



 ここは少年や少女など子供向けの服を専門としている。しかし、男性服を買ったことがないミランダは馴染みの店に頼るしかなかった。知らないお店に入って、初対面の店員に話しかけることなどできない。

 申し訳なさそうにしているとオーナーは「おや」と目を開いたあと、興味深そうに笑みを深めた。



「種類は多くはありませんが、奥に少しありますよ。そうですか、そうですか。春ですね。どのような方ですかな?」

「そんなんじゃありません! そ、その……新しい使い魔が大人の姿に変幻するので……」

 ドキリとしてしまい思わず大きな声で否定したことが恥ずかしく、顔を伏せながら理由を重ねた。

「これは失礼しました。使い魔を複数持つなど素晴らしい魔女ですな。さて、大きさはどれくらいですかな?」

「私より頭ひとつ……いえ、ふたつは大きくて、体つきは……がっちりしている体型です。肩幅も広かったかなと」



 説明していくが、思い出されるのはほぼ全裸のハインツの姿。他の男性を知らないため比べることはできないが、彼の体は鍛えられてる精悍な体だった。

 顔に熱が勝手に集まってしまい、隠すようにフードを深くかぶり直した。



「なるほど、待っててくだされ」



 オーナーは店の奥へと消え、すぐに戻ってきた。シャツとベストに、スボンやベルト、靴と靴下まで用意してくれた。



「靴は身長から換算して一般的な大きさにしましたが、合わなければ交換しますからね。遠慮はしてはいけませんよ。この街にいてくれる大切な魔女様なのですからな」



 魔女は基本的に人里離れた森で暮らす人が多い。それは魔法の研究に没頭したかったり、薬草が豊富な土地を求めた結果だったり、魔女の力を悪用する者から避けるためだったり理由は様々。


 しかしミランダの師匠は風変わりな魔女として有名で、街に住むことを選んでいた。

 そのお陰で魔女の力が人々の役に立ち、目の前でお客の笑顔が見れるという喜びを知った。

 何より師匠の類稀なる実力だけでなく人徳もあって、ミランダの周りにも良い人で溢れていた。だから人見知りではあるが、できればこの街に住み続けたいと思っている。



「いつもありがとうございます。お代と、これはよく眠れて疲れの取れる角砂糖です」

「いやはや。これは嬉しい。大切にしますよ」



 オーナーは花屋の店主と同じく小封筒を額に当てて、感謝の意を示した。

 ミランダは服屋を出たあとは寄り道をせず、灰猫の隠れ家へと戻った。



「ただいま」

「オカエリ!」

「にゃあ!」



 扉を開けるとすぐに人型のベルンと猫のハインリヒが彼女を出迎えた。

 ベルンはいつものことだが、ハインリヒまで玄関で待っていてくれているとは思わなかった。不意打ちで真っ白な可愛らしい猫の健気な姿を見せつけられ、ミランダの顔は緩んでしまう。



「安物ですが、ハインリヒ殿下の服を買ってきました。契約後、人の姿で服を着てしまえば、再び猫から人の姿になっても裸になることはありません」

「にゃ!?」

「不思議ですよね。魔女の私でも理由はよくわからないのです。願ったらそうなっちゃうので」

「にゃにゃー」



 ハインリヒは感心するような声で鳴いた。

 可愛すぎて撫でたくなるが、相手は猫の姿でも王子だ。買った荷物を抱く腕に少し力を入れ、平静を装う。



「使い魔の契約は月が真上にあがる深夜に行います。それまで自由に過ごしていてくださいね」



 今は昼ごはんにはまだ早すぎる時間だ。

 買ってきた服はベルンに二階に運ぶよう任せ、ミランダはお店を開ける準備を始めた。


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