第12話勇者の最敬礼

 夜更けの山頂でお互いに座り、ルーティスは静かに呪文を歌い傷を癒す魔法をカミーリャの右腕に集束させていた。刺繍を編むような丁寧さで回復の魔法を創り出し彼女の傷を治してゆく真剣なルーティスの表情には、彼女を大切に思いやる純粋な愛情が見てとれた。そんなルーティスの気持ちを汲んで。彼女、カミーリャも静かに腕を預けルーティスの力を想いを、治療される間ずっと丹念に味わっていた。瞳を閉じれば暖かい様々な色をした光の粒達が虚空に渦を描き流れてゆく光景が瞼の裏に映る。光は静かに波のようにうねり被さると夢幻の輝きを生み出し。身体の隅々へ流れ染み込んでゆく。カミーリャにはその感覚が嬉しかった。ルーティスの暖かい魔力が身体中に流れてくるこの感覚が好きだからだ。目を閉じて集中しているルーティスの顔も悪くはない。ルーティスの本気の顔は自分の愛した光景の一つなのだ。ルーティスの居る世界、ルーティスの向かうべき明日が、自分の心から本当に行きたい所。


 だから。ルーティスの行きたい場所に行ってみたい。それこそが自分の求める世界なのだから。



「治ったよカミィ。動かしてみて」



 カミーリャがそんな物思いに耽っていると。ふぅと一息ついてルーティスは彼女に微笑んだ。ルーティスの言う通りにカミーリャが右腕を動かすと羽根のように軽く、違和感も全然無い。



「本当に直っているわ。ルゥは凄いわね」


「後遺症が残るぐらいの怪我だったよ。治療が遅れてごめんね。あのイリステア様は大丈夫かなぁ……?」



 褒めるカミーリャと心配そうに虚空を仰ぐルーティス。先程自分が戦ったドラゴン種族も足に同じぐらいの怪我を負ったのカミーリャは思い出す。きっとしばらくは歩きにくいのだろう。



「……きっと彼女はやせ我慢して女神シィラにも明かさないでしょうから。そこは心配ね」



 同じ空を仰ぎ、カミーリャも心配を瞳に湛えた。きっちり戦い勝敗を決した相手だからこそ、カミーリャはイリステアの事が気掛かりだった。その身に纏う焔も闘志も力の使い方も、女神の盟友たるドラゴン種族に相応しい存在だった。あの強さこそ彼女の生き様全ての証明。この原初の神殿を任されたティーダ・ドラゴン種族長イリステアの全てだった。



「治療をしっかり出来なかったのが僕にも心残りだけど仕方ないよ。イリステア様もカミィの事に恨みは無いと思うよ」



 ルーティスは仰ぎ見ていたのを止めて、そんな彼女をしっかり見つめて慰める。



「そうかしらね……」



 カミーリャも友愛を閉ざす霧を払うようにかぶりを振ってまた夜空を見上げる。弓なりの月は沈みつつその輝度を下げ少しばかり天に浮かぶ星々の輝きが増しているようにも感じられ。静かな夜はもう更けて行っているようであった。


 ふわりと夜風が二人を撫でて抜けてゆく。高山の風はとても冷たい。見下ろせば闇が降りた地平線がどこまでも広がっているのを感じられた。


 静かな夜だ。目を瞑れば彼方まで意識が広がり溶けて消えそうな夜。安らぎすら感じるような闇の世界だ。透明な水晶の中で流れているような光景は全ての命を落ち着かせる。


 しばし夜空を見ていたルーティスだが……。マントを翻して神殿中央へと向かう。



「ルゥ、眠らないの?」



 横目で見やるカミーリャの。夜闇に溶けるひっそりとした問いに、



「僕に眠っている暇は無いよ」



 ひっそりと退ける白光の魔力を集束させながら。ルーティスは静かに神殿中央――石碑のある場所へと進む。幾星霜還流の勇者を待ち続けた神殿、そこはもうイリステアとレイ・グレック、ルーティスとカミーリャの戦闘で幾つか被害が来ていたが……その石碑だけは何故か無事だった。読みにくくなるまで文字が風化した石碑なのにまるで全ての被害がこれだけは避けた、という雰囲気である。流石は聖域に至る入り口、といった処だろうか。


 『その姿は――に非ず。その力は世界の如何なる者をも超える』

 

 ルーティスはそう書かれた碑文の前で双眸をゆっくり閉ざし胸元に拳を当て頭を垂れた。


 それは英雄の最敬礼。この世界に全てを捧げると誓う勇者の親愛の証と呼ばれたものだ。今となっては儀礼的なものになっているのだろうが、ルーティスから溢れる魔力にはこの世界への愛情が感じられた。魔法として構築されてはいないが魔力はルーティスの想いに応えて集束し、夜空を介して世界へ溶けて流れてゆく。



「僕は還流の勇者。この世界の為に戦う存在もの



 溢れ出る魔力の中でルーティスが誰とも無く呟いた。



「僕はこの世界の為に、人類の明日の為に、全ての力を掛けて戦います」



 魔力とは可能性が力になった物。二つの性質を持つ願いを叶える力。魔法を使える者ならば、その魔力にそっと触れれば記録された情報が流れ込むという。もちろん諸説はあるがそれは真実であろうとカミーリャはルーティスから流れ出る魔力を見て思っていた。



「花束には花束を、剣には剣を、喜びには歓喜を、絶望には希望を、始まりには祝福を、終わりには安らぎを、動く者には『結果を全て』与える為に。僕は全力を尽くします」



 ルーティスから立ち昇る魔力の淡い輝き達が闇をキャンバスに明日の夢を描く。ふわりと舞う魔力をカミーリャが手のひらにそっと乗せると。そこには人類全ての幸福な姿が垣間見える。誰にも見えないその夢だがそれは確かに魔力を通して見えたのだ。目を通じて耳を通し、五感全部でその夢が体感出来る。人類の辿るべき道が、向かえるべき光輝く明日が、そこに確かに見えるのだ。


 刹那。ルーティスから溢れる魔力達が光の奔流となり。あまねく世界に広がってゆく。全ての闇を消し飛ばす光の洪水はそれでも全く激しくなく、闇を損なわずに全世界に流れていく。カミーリャはくすりと微笑みそれを奔流の中に手離すと。魔力は夜空の中に消えた。あれはとても優しい魔力。きっと色んな人に出逢い力を貸して助けてゆくのだろう。彼女は魔力を見送りながらそれが理解出来た。


 迸る魔力は開幕を告げる鐘。これから起こる戦乱の鐘。人類史に遺されるべき戦いが始まる合図なのだろう。今まで召喚された還流の勇者が女神達に叛いたという事実は高位の魔法使いか女神しか知らない事だった。だがその事実は魔力に乗りこの世界に生きる全ての生命へと刻み込まれる。


 魔力を通じて誰もが知るのだ。戦いの始まりを。歴史から永遠に消去出来ないこの大戦を。誰一人として逃れられない、逃れる事など決して出来ない最大の障害を。


 人類として、絶対に避ける事が出来ない戦争を。



「我が名は還流の勇者ルーティス・アブサラスト。その名は最強の剣、最強の盾。人類に尽くす最高の魔法。人々の為に生きる存在です。その名に恥じる事の無いように生きていきます」



 そう宣言するとしばしそのままでルーティスは静かに祈りを捧げる。その横顔は八歳のあどけない子供の真剣さと大人の真面目さが混ざりあってとても魅力的だ。白魔導士にして伝説の勇者ルーティス・アブサラストという存在の人柄が、そこに良く出ていた。その宣言がルーティスの全てであり、この世界で生きる価値なのであろう。立ち昇る魔力にはそんな決意も描かれていた。


 全ての魔力が闇に溶けてゆき、山頂から消えた頃。ルーティスはゆっくり閉ざした瞳を開いて立ち上がる。



「僕の愛するもの達よ。どうか絶望しないで最期に笑って下さい。僕はここにいるのですから」



 もう一度、石板の前で一礼。ルーティスは深く親愛の情を捧げていた。



「……ふぅ。終わりだよ」



 くるりと身を翻し。にこっとルーティスはカミーリャに笑いかける。



「ルゥは大変だね」



 苦笑しながら労うカミーリャ。



「あぁ。還流の勇者だからね。いつだって大変さ」


「『声』が聞こえるわ。無数の声達が。皆があなたを望んでいる」



 闇の深奥をゆっくり指差しながら。カミーリャは双眸を細める。



「『声』だけ?」


「『手』もたくさん見えるわ」


「仕方ない。還流の勇者は全人類が最期に縋る希望だからね。これぐらいはいつもの事さ」



 ルーティスは愛情を湛えた眼差しで背後を見やり、そう答えた。そこには何も無い。在るのはただの夜闇だけ。吸い込まれていきそうな深い夜。光無き古代の眠り。それ以外には……何も、ない。


 それでもルーティスは闇へと微笑み、



「いつか君達も、ね」



 静かな一礼を捧げたのだ。



「さて。今の宣言で世界は僕が召喚されたという事と僕が女神達に叛いたという事実が魔力に刻まれただろう」


「ですね」



 静かなルーティスに対して沈着冷静に答えるカミーリャ。



「次からの戦いは苛烈を極める。僕の相棒カミーリャ、君の力を期待しているよ」



 まっすぐに彼女を見つめてルーティスは笑いかけた。



(……あの日みたいね)



 そんなルーティスを見て、カミーリャは昔を思い出す。そう。あれは一族の中で最強と呼ばれる程の力を持った自分が女神達から封印され。ルーティスに初めて出逢ったあの日。伝承に記された還流の勇者の――最初の旅。『初代還流の勇者』の冒険。世界に魔法をもたらす為の戦いの時代だ。


――君が封印されたものかい? 僕はルーティス、未来には還流の勇者と呼ばれる存在『ルーティス・アブサラスト』だよ!――


 生きる目的も希望も無かった自分に生まれて初めて、ルーティスは優しく眩しい笑顔をくれた。ルーティスに対して思慕の念を抱いたのはきっとその時で、この想いがそれからずっと消えた事は無い。


――共に行こう。僕の相棒になってよ!!――


 そう告げたルーティスの手を取って自分は還流の勇者最初の旅に着いていった。ルーティスと幸せに過ごすのが自分の夢だ。それはどんな時でも忘れた事の無い、自分の心からの願いである。


 ……だけど。



(本当にそれで良いのかしら?)



 ……そう、だけど。カミーリャは自分に過る気持ちに答えを出せずにいた。ルーティスはルーティスの行きたい世界があり、本当はそちらへ向かいたい、そこで生きたいのではないのかと。カミーリャはずっと考えていた。自分達がルーティスをこの世界に縛り付けているのではないかと、ずっと疑問であった。勿論ルーティスは常に笑顔だし皆の期待に応え続けている。それはきっと変わらない。過去ずっとそうだったし未来もずっとそうだろう。だからこそ、心配なのだ。無理に自分の気持ちを抑えているのではないかと思うから。そうで無ければ今回『女神の召喚に応じてくれる可能性なんて皆無だったの』だから。


 ルーティスにはルーティスの、行くべき世界が在って、我々がそこへ行くのに邪魔になっているのではないか、と。その疑問が払拭出来ないのだ。



「? どうしたの? カミーリャ?」



 不思議そうに尋ねるルーティスに、



「いえ。何もありません我が主さま」



 カミーリャは本心を覆い隠す。何故ならこれはルーティスに明かす想いではないからだ。自分が出さなければならない解答で、自分だけの戦いだから。ルーティスの手を借りる訳にはいかない。


 ルーティスも気にはしてカミーリャを見つめていたが「ふーん」と呟いたきり興味を失ったようだ。



「……そう言えば双子の魔王達は元気かな?」



 ルーティスは不意に夜空を見上げる。



「魔力を覗けばどんな状況かは判るだろうけど……たまにはゆっくり話をしてみたいものだね」



 穏やかに夜の彼方を眺める顔には友愛の情が浮かぶ。



「魔王達は現在世界を侵攻する為に準備をしていると聞きましたが」


「カミーリャはそれを信じるのか?」


「いえ。全く」


「だろうね。僕にもあり得ないからね。あいつらと魔物達がそんな事をする訳ない。魔物達が戦おうとする事は絶対に無い」



 ルーティスは双眸を細め闇の虚空を見据えると、



「そちら側も情報がいるな。還流の勇者といえ人間だし魔力から知れる能力にも限界はある。カミーリャ、そっちも調査をお願い」



 カミーリャに向き直り、要求した。



「了解です。我が主さま」



 カミーリャは胸元に手を当て静かに一礼。



「戦争の前に魔物達や双子の魔王との会談も必要だな。カスタル王国の無血掌握に世界最強の戦闘能力の証明。僕一人でも間に合うけど……やっぱりそれじゃ駄目だね」



 むぅぅと唸るルーティスに首肯するカミーリャ。



「魔力を通じて私達に接触を求める勢力達との対応もありますが」


「それは全部僕がやるよ。後の対応は君に、それから戦闘はレイや他にも仲間が出来たら分担しよう」


「了解です」


「カミィ。今回の戦争は勝つだけが目的じゃない。いいね」



 ルーティスは真剣な眼差しで告げる。



「判りました。我が主さま」



 そんなルーティスにしっかり答えるカミーリャ。



「この戦争は人類史に深い傷を残すだろうな。この戦いの後僕が世界を回って復興支援出来れば良いのだけど……そんな余裕は無いだろうな」



 沈痛な面持ちで顔を落とすルーティスに。



「場合によっては、ですからね……」


 

 同じく影が差すカミーリャ。彼女に対して「仕方ないさ」とルーティスは告げた。



「我が主さま。この戦争にはどんな呼び名をつけましょうか?」



 カミーリャは尋ねた。人類史に最大の傷を残すこの戦争がどう記されるか気になったからだ。


 そうだなぁとしばしルーティスは夜空を仰ぎ、



「全ての存在が罪を背負う戦いだから――『大罪戦争』。大罪戦争と呼ぶ事にしよう」



 不敵に嗤い返す。


 冷たい月はもうじき沈み、静かなだけの夜は終わるだろう。やがて大地を流血に染める暁を向かえる為に。

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