第21話  記録会 〜 瑠里のラン 〜



男子のクールダウンも終わり、各自タイムの確認、水分補給などが終わると、皆が更衣室に引き上げて行った。


次は女子の1500メートルだ。

そして、瑠里の5000メートルが最終になる。

5000メートル参加は4年2名、3年3名、2年2名、1年2名の9名で走る。

一般入部からの参加は瑠里1人だ。

同じ1年のもう1人の女子は、特待生で、陸上にしては珍しく身長も168cmあり、手足もとても長い。

瑠里も160cmはあるが、普通だった。



「 瑠里ちゃん!そろそろ芝生内に集合してね!」


夏海が汗を拭いながら知らせに来てくれた。


「私、タイム測定、瑠里ちゃん担当だから、よろしくねー!」


「 ヤタ!夏海ちゃんなんだねー、よろしくお願いしまーす!」


瑠里は陽気に答える。

緊張が無いわけではなかったが、高校の時のような自分を見失うような緊張感は無かった。

1番を狙うのではなく、この3ヶ月やってきたことを出し切れたらいいと、思うだけた。


大好きなオレンジ色のタンクトップとショーツにした。

今日の目標は、自己ベストすなわち17分30秒を切ること!

仮にビリになったとしても、そのタイムで走れたなら良し、なのだ。


1年なので、後方に並んだ。インコースにいる坂上 遥が、例の高校駅伝全国大会出場の特待生だ。

練習もあまり一緒にならないし、トレーニングも別メニューだから、ほとんど喋ったことがない。


瑠里のレースが始まる!


スタートと同時に腕時計のストップウォッチを押す。

1周ごとのタイムは、きっと夏海が細かく伝えてくれるはずだが、自分で確かめながら走る余裕を持ちたかった。

そもそも、フォーム、ペース配分をきちんと教えてくれたのが青で、青の教えは俗に言う中間タイプという走り方だ。

持久力タイプでも、瞬発力タイプでもない。

周りのリズムを掴み、自分のペースを乗せ、最終周残り300メートルにトップギアに切り替える走法だ。


最初の1周は、1分10秒と予想通り少し早めで入った。

このままのペースで行くわけはないので、自分が追いかけ易いリズムの背中を探す。

コーナーで失速したり直線で上がるようなペースは後々足に影響が出るから、一定のペースの人を探し、自分のペースを作る。

同期の坂上は、あっという間に先頭に出ていた。

彼女とはコンパスもペースも違うからスルーしよう。

4番手を走る3年生の先輩のリズムがとても合わせ易かった。

瑠里はその人の背中にピッタリと張り付いた。


春からのトレーニングと自主練のお陰で、この暑さの中でも、呼吸も走りも以前よりずっと楽に思える。

青に教えて貰ったコーナリングの肩入れ走行も、ここ2週間徹底的に練習したお陰で、スピードが落ちることはなかった。


6周の折り返しの周回で追いかけていた先輩のペースが落ち始めた。

中だるみというやつだ。

だが、瑠里は中だるみの自覚が無かった。

呼吸も腕も足も、しんどくはない。

オーバーペースでは無さそうだと判断すると、今度は自分のペースに合う背中を探す。

もう一つ前を走る4年生に標準を合わせ少し前に出た。


「 瑠里ちゃん!8分、15、16、17、18!ナイスペース!!」

夏海がタイムを読み上げてくれる。

1周 約1分20秒前後。

なかなかのペースに着いていけてることがちょっと嬉しかった。

いやいや、山場はここから!

瑠里は、ぐっと顎を引き、軸がぶれないように頭の位置を整えた。


先頭から4番目の位置で的確なリズムで走る瑠里を、青は簡易のスタンド席で1人、タオルを被りながら、真剣な眼差しで見つめていた。


規則正しいフォームだ。

あれを自分が教えた……のか?

ペースの上げ下げに左右されることなく上手く走っている。

コーナリングも、若干ギクシャクはしているが、遠心力に負けることなく切り抜けている。

他人の走りに興味など持ったことが無いはずだったが……

なぜか瑠里の走りから目が離せない。

彼女の姿だけを追いかけている自分が不思議だった。



10周まで来て、さすがに呼吸が苦しくなってきた。

腕も足も少しずつ重くなっていることを自覚する。

あと2周半。

相変わらず先頭は、坂上が独走している。瞬発力タイプかな?

同じペースとリズムだけを追いかけていたら、知らぬ間に先頭集団にいた。

最初に追いかけていた3年生とは少し距離が空いたみたいだ。


残り2周を切った時、2番手と、追いかけてきた3番手の2人がペースを上げ、坂上を追い上げる形になった。

瑠里は、迷った。

同じようにペースを上げて、最後まで持ちこたえる力がある?ない?

暑さも加担して、どんどん手足が重くなっている。

その時、高校最後の大会を思い出した。

あの時も、少し早目にペースを上げられたが、我慢したのを覚えている。

上げるのは、早くても残り300メートルからだ!

瑠里は我慢してそれまでのペースを保った。



「……まだだ。もう1周耐えろ!」


青の口から無意識に言葉が零れた。

思わず背もたれから、体を起こして前のめりになる。


瑠里は、百メートルを20秒で走るリズムを刻んだ。

そして、ラスト1周の最初のコーナーを曲がった後の直線で一気にペースを上げた。

呼吸が一気に苦しくなり、手足がとてつもなく重い。

だが、それは全員同じはずだ。

先頭の坂上が2番手3番手の先輩達に捕まり、失速しているのがわかった。

そして一旦離れた3人の背中が徐々に近付いてくる。

第3コーナーを曲がったところで坂上が先頭集団から遅れた。

瑠里は、坂上を捕え、一気に抜き去った。

第4コーナーを曲がると、少し前に2人の背中が見えた。

瑠里は全ての力を解放したーー。


「 今だ!いけ!!」


青は思わずそう叫んで立ち上がった。

だが、次の瞬間、頭の中が大きく揺れるような衝動と激痛に、椅子に崩れ落ちた。


「 ……な、なんだ……これは……」


激痛と共に、同じ光景が頭の中にフラッシュバックのように甦った。

瑠里が、今と同じようにどこかのトラックを走り、最終コーナーで同じように叫んだ記憶………

青はその場に頭を両手で抱えるようにうずくまった。



瑠里は、体を目一杯反らせ、ゴールを駆け抜けた。

2人の先輩達の背中を捕えることは出来なかった。

以前は、そのまま倒れ込んだが、今回はなんとか踏みとどまった。

だが、やはり呼吸が滅茶苦茶になる。

肺が破れそうだ。

腰に手を当てながら、呼吸を元に収めようとそこら辺を歩き回った。


「 瑠里ちゃん!!凄い!!凄いよ!!」


夏海がストップウォッチを握りしめながら飛んできた。


タイム、どうだった?……そう聞きたいのに、全身で息をするのが精一杯で声が出ない。


夏海が、どうだ!と言わんばかりにストップウォッチを目の前に突き出した。

16分52秒 ……

うわっ!!じゅ、じゅ、16分!?

今度は驚きのあまり、声を失った。


「 やったね!!まさかの16分台よ!順位も3番よ!」


そして夏海は、瑠里の耳元で囁いた。


「 特待生にも勝ったしね!」


瑠里は、ハッとなって坂上を探した。

芝生の上にペタンと座り込み、呆然としている。

最終周に入った時は、まだ先頭を走っていた。

暑さと、若干のオーバーペースだったのだろう。

でも、彼女ならトレーニングと実践でどんどん強くなる気がする。


「 高宮さん!」


神崎が近付いてきた。


「 ニューヒロイン誕生おめでとう!」


「 に、に、ニュー…ヒロイン…なんて……」


神崎のにこやかな微笑みに、瑠里は小さく首を振った。


「 何遠慮してるの!自己ベストに新人トップ、部内3位!素晴らしい結果よ!」


金沢も遅れて寄ってきて祝福してくれた。


「 秋の大会、楽しみですね、神崎さん?」


金沢がそう同意を促すと、神崎は大きく頷く。


「 今年は高宮さんが、台風の目になるかもね 。周りに刺激を与えて士気が上がるといいんだけど 」


瑠里は、目をパチクリしたままポカンとしていた。

ニューヒロインに台風の目?

誰の話し?私?

確かに自己ベストは更新出来たけど……そんなに凄いタイムでもないし、先輩達の方が凄いし……


相変わらずキョトンとしている瑠里に、夏海も含めた3人のマネージャートリオは、


「 自己ベスト更新おめでとう!」


と、声を揃えて親指を立ててくれた。




今までにない激痛に、椅子にうずくまって痛みが治まるのをひたすら待ちながらも、瑠里のゴールだけは見届けた青だった。

瑠里が青のタイムを自分の時計で計っていたように、青もまた瑠里のタイムを計っていた。

離れたところからだから、正式なタイムこそわからないが、自己ベストを出したことは、わかった。

そして、おそらく17分を切ったことも。


「 やれば出来るじゃねぇか…… 」


青はのろのろと痛みの残る頭を起こし、ゴール付近でマネージャーに囲まれている瑠里に視線を這わせ、ふっと柔らかく笑った。


それにしても……

さっきのフラッシュバックは何だったのか……

もう否定のしようがない程の記憶の断片だった。


やはり、自分は 高宮 瑠里 を知っているのだと、確信せざるを得ない青だった。






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