第15話  接近



部活動の後の自主練は、かなりキツイものとなった。

特に瑠里の個人的に組まれたメニューは、ほぼフルコースだった上に、そこに青に会うためと自らの底上げの為の自主練を続けているのだから当然オーバーワークになっていた。


「 ねぇ……瑠里、痩せた?」


陸上部の完全休養日に家のソファでへばっていた瑠里に瑛子が声をかけた。

陸上部には、大会と重ならなければ月に4回の完全休養日が設けられていて、平日2回、土日2回だ。

その日はいかなる練習も固く禁止されている。

休養も練習のひとつとした考え方は、今では常識ではあった。


「 うーん、体重は変わってないけどなぁ…」


そう怠そうに答えた瑠里に、瑛子は腕組みをしながら少し思案した後、瑠里をキッチンの固い椅子に座らせた。

肩から肩甲骨周り、背骨、腰をゆっくり確かめるように触る。

瑛子は、整体師を生業としているので、瑠里の筋肉などの管理は高校生の頃からやっていた。


「 そっか!痩せたんじゃなくてかなり引き締まったのね!」


瑛子は納得気に、頷いた。


「 ホントに?」


瑠里は嬉しそうに振り返った 。


「 今までは無かった所に、筋肉がついてるしね。只し、後でちょっと調整させてね?無理が重なって歪みがあるから。」


「 ありがとう、よろしくお願いします。」


こういう時の瑛子は、本当に頼りになる。


その夜、居間のテーブルを移動させてスペースを作り、瑛子による瑠里の整体が始まった。


「 大学は、どう?楽しい?」


「 うん、楽しいよー」


うつ伏せになり、マッサージを受けながら答える。

肩甲骨周りの筋肉を緩めながら、


「 でも……なんだか一喜一憂に見えるわよ?物凄く落ち込んで見える日と、なんだか嬉しそうにしてる日と交互に来てるみたい。」


瑛子の痛いけど気持ち良い加減のマッサージに唸りながら、瑠里は苦笑いした。


「 そんなに酷かった?本人は無意識だけどなぁ…」


落ち込んだ原因は、青との残念過ぎる再会しかないけど…と、心の中で答えた。

嬉しかったのは、きっと、青の走る姿を再び見られたこと。

結局、全部、青のことばっかり!

瑠里の苦笑いは深くなった。


「 淡々と通われるよりいいけどね。それだけ感情が動く事があるってことだろうから。」


それは、瑛子らしい意見だった。


「 ありがと。……あ、今日、ハンバーグと餃子とピーマンの肉詰め作って冷凍しといたからね!」


高校の時は瑛子より早く帰れる日が殆どだったから、夕食は瑠里の担当だったが、今は瑛子の方が早かったりする日も増えたから、休養日にまとめて作り置きをするようになった。


「 瑠里様、いつもいつもありがとうございます!」


瑛子が大袈裟に頭を下げ、瑠里はぷぷっと吹き出す。


「 本当に、料理だけがアキレス腱なのよねー!情けない…」


瑛子がすまなさそうに笑うと


「 私がお嫁に行ったらどうするのよ?」


瑠里は意地悪く笑う。


「 えぇぇぇー!?」


首の筋肉をほぐしにかかっていた瑛子が、跳び上がらんばかりに瑠里の顔を覗き込んだ。


「 そ、そんな人、出来たの!?まさか瑠里に!?いつの間に!?どこの、誰よ!?」


瑠里は、瑛子の矢継ぎ早の質問にびっくりしながらも、その内容に眉を潜めて口をへの字に曲げた。


「 誰も、そんなこと言ってないでしょ!それに……まさかって何よ?私には彼氏が出来るわけないって聞こえるんですけど?」


瑛子は、文句を言う瑠里の肩をポンポンと叩くと、首のマッサージに戻った。


「 怒らない、怒らない!だって、高校時代も恋愛には縁が無かったじゃない?その瑠里から “ お嫁に ” なんて言葉が出るなんて!」


恋愛に、縁が無かったわけではないよ……喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。

青に、告白した。

青にも、確かに告白された。

仮のキスもした。

恋人になる約束も、確かにした。

ただ……全部忘れられちゃったけど。

瑠里は、マッサージを受けながら急に現実に引き戻されて、悲しくなった。

もう青は、ニ度と思い出すことは無いのだろうか?

もう恋人になる約束が、実現することは無いのだろうか?



5月も終わる頃、無謀とも思える自主練を始めて三週間が過ぎた。

青の走り込み練習日と一緒になるか否かは、賭けのような日々だったが、少なくともトレーニングルームの時のように青が瑠里を避けて走り込みを止めることはなく、週に3日は顔を合わせることとなった。

もちろん、挨拶はおろか、視線が合うことも無い状況ではあったが、同じ場所で同じ時間を共有出来ることが、瑠里の小さな喜びになった。


メディシンボールという2キロの重いボールを両腕で頭の上に持ち上げて、腰を落としながら1歩ずつ歩く四肢歩行というトレーニングをやっている時の事だった。


「 膝を潰したいのか?」


頭の後ろから、突然聞き覚えのある声が飛んできた。

今日は、来ないと踏んでいた青が、瑠里の少し離れた後ろに立っていた。

瑠里はまたもや大きく目を見開き、呼吸が止まる。

今……な、なんて言われた!?

咄嗟に言葉が出なかった。


「 やめるな、続けろ。四肢歩行だろ?」


「……は、はい!」


やっと声が出た。

えーと……何だっけ?

あ!トレーニング続けろだっけ?

瑠里は慌ててメディシンボールを頭上に持ち上げ、腰を落として、再び四肢歩行を始めた。

心臓がバクバクして顔が真っ赤になるのがわかった。


「 体を倒しすぎだ。そんなんじゃ、膝に体重が乗りすぎる。キツくても上半身の軸を腰の上に保て。」


突然始まった指導に、瑠里はパニくった。

途端に手足が自分の物でなくなる。


「……やる気あんのか?」


瑠里の慌てた様子に、例の突き放すような冷たい声が飛んできた。

だ、駄目!!

ちゃんとやらないと、また青に突き放される!

またどっか行け!って言われる!

瑠里は、自分を激しく叱りつけながら、青のアドバイス通りに手足を動かした。

上体を真っ直ぐ起こす……

膝に体重をかけない……

軸を腰に乗せる……

青のアドバイス通りに動こうとすると、途端にスピードが半分に落ちた。


「 次の1歩で膝を曲げたまま止まれ。」


青の指示通りに1歩踏み込んだ状態で止まる。

太ももや下半身がプルプル震える。


「 その状態で、一番負荷が掛かっているのはどこだ?」


「……太ももの…後ろ…です…」


踏ん張りながら、瑠里が答えると


「 それがそのトレーニングの正解だ。」


青は、それだけ言うとクルリと背を向けてグラウンドの方に向かった。


負荷に耐えられず、瑠里はペタンと尻餅をつくように崩れた。

しなやかな足取りでグラウンドに歩き去る、風になびく白いTシャツの背中を呆然と見つめる。

青が……青が……アドバイスをくれた!

目障りだから消えろ!と言ったあの青が……トレーニングを教えてくれた!

どうしよう!泣きそう!

私、トレーニング頑張るから!

教えられた通りに頑張るから!

瑠里は潤む瞳で、青の姿を追った。




「 瑠里ちゃん、ずっと居残り自主練続けてるの?」


マネージャー見習いの夏海が、久しぶりにランチを一緒にした時に尋ねてきた。

彼女とは受講する講義が微妙に違っていて、一緒になるのは週に2時間ほどだった。

瑠里は瑠里で、青にアドバイスを貰ってから、トレーニングメニューの本当の効果を調べるために図書館に通ったりしていた。


「 うん、なんとか頑張ってるよ。お陰で合同ランもだいぶついていくの楽になったし!」


ジンジャーエールのストローをくわえながらニコニコ答える。

夏海は、素直な瑠里にクスクス笑った。


「……なんか、わかるなぁー!」


「 何が?」


「 神崎さんと、金沢さんがね、瑠里ちゃんの頑張りを凄く買っているの!特に、神崎さんが。」


「 へぇ~!なんか、嬉しい!」


瑠里のニコニコが2割増しになった。


「 でもさぁ……」


夏海の表情がにわかに曇った。


「 月城さんの話、色々聞いたのよねぇ……」


青の名前を聞いて、瑠里は真顔になった。


「 何を聞いたの?教えて?」


夏海はコーヒーを持ちながら少し上に視線を向けた。


「 大きな事故にあって、一年近く休学していたのは、皆の知るところなんだけど……そもそも問題のある人だったらしいって。」


「 も、問題?どんな?」


「 とにかく、誰とも絡むのを拒否ってた一匹狼だったって。」


今の青を見ている瑠里は、特段驚きはしなかった。

夏海が表現したまんまの青が、今の青だ。


「 それは、今の月城さん見てたらわ かるかなぁ……」


瑠里の言葉を受けて、夏海は眉を潜めた。


「 でもさぁ、その一匹狼っていうのも厄介なタイプらしくて、何かと部員と揉めてたんだって。なんなら、コーチとも揉めてたらしいよー」


「 え……揉めてたの?」


「 金沢さんが言うには、冷血漢?みたいな感じで、誰も寄せ付けないし、誰の言うことも聞かないって。そりゃ、陸上って個人競技だけどさ。」


冷血漢……今度は瑠里が眉を潜めた。

確かに、青は冷たい。

人を寄せ付けないという点では、徹底的に拒絶するからかもしれない。

でも……本当に血も涙もない人だろうか?

あのトレーニングルームで、バーベルの下敷きになっていたのを助けてくれたのは、青だった。

この前は、正しい四肢歩行トレーニングの方法を教えてくれた。

それは……ある意味、優しさだったり親切心ではないだろうか?


黙り込んでしまった瑠里を夏海が心配そうに伺う。


「 ねぇ?瑠里ちゃん、月城さんと何かあるの?」


「……え?なんで?」


「 神崎さんがね、何か事情がありそうだって心配してたから。」


マネージャー同士では情報はなんでも共有するんだな……瑠里は苦笑いした。


「 神崎さん、なんて言ってた?」


「 どうも瑠里ちゃんが、月城さんの知り合いらしいって。指導らしきものを受けたことがあるらしいって。……本当なの?」


瑠里は、迷いながらも神崎に話したことを再び選択した。


「 たまたまなんだけどね。高校の時に走り込みしていた時に偶然知り合って、ちょっとだけフォームを教えて貰ったんだぁ……」


「 そうなの!?でも、月城さんが瑠里ちゃんを知ってそうな素振りなんて全く感じないけどなぁ?」


瑠里はそこで困ったように笑う。


「 でもね、あの事故のせいなのか……私のことも、私をコーチしてくれたことも、忘れちゃってるみたいなの。」


「 マヂ!?記憶障害ってやつ!?」


「……お医者さんじゃないから断定は出来ないけど…」


夏海は、ちょっとしょんぼり見える瑠里を見つめると、はっ!と何かを思い出した。


「 瑠里ちゃん!入学式の時に言ってたよねぇ?陸上部に憧れてる先輩がいるって……それって、まさかの月城さん!?」


夏海のどストライクの質問に、正直過ぎる瑠里の頬が赤らんだ。

夏海は瑠里の答えを待たずして激しく首を振った。


「 ダメ!あの人は絶対やめといた方がいい!」


「 え……」


夏海の強い口調に瑠里は目を見開いた。


「 彼を好きになるなんて、不毛よ、不毛!」


瑠里は、夏海の直球過ぎる意見に慌てた。


「ち、違うから!そ、そういうことではなくて……」


本当は違わないんだけど。

私の気持ちは誰にも言ってないし、言いたくないから……

瑠里は、あたふたと両手を振った。


「 ほ、ホントにそんなんじゃなくて!前に教えて貰った事が凄く的確で、言われたこと守って頑張ったら、最後の大会優勝出来たの。だから…」


「……ふぅん」


言葉とは裏腹に夏海の表情はまるで信用していなさそうだった。


「 でもさ、気をつけてね!彼は、要注意人物だと思うからー」


近づくなって言われてるからね、私から近づくことはないよ……

瑠里は、頷きながらも、言葉にならない不満を呟いた。




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