迷宮の住人~有能すぎるのは僕ではなく支援精霊だった~

千原良継

第1話

 野良猫がトラックにはねられそうになっていたので思わず身体が反応してしまい以下略。


 今僕の目の前には、地下奥深くへと続く迷宮への入り口となる門がそびえ立っている。


 略し過ぎた。


 まあ無理もないよね。あまりの展開の速さに、正直僕の心も追いついていないのだ。門の近くには、チラホラと僕のように現状を整理するかのように佇んでいる人影がいくつもある。その表情は、戸惑っていたり、眉をしかめていたり、泣き出しそうだったり、と様々だ。


 僕はどうだろう? 泣きそうかな? 心がグチャグチャで良く分からない。なんとなく左手をパカパカと動かしてみる。自分でもわかるほどにハッキリと震えている。


 そして、その左手首に巻き付いているバンド。手の甲をこちらに向ける。某林檎社のようなデザインのそれは、時計のようで時計ではなかった。


 先ほど教えられた通りに、右手の人差し指と中指を揃えて、時計のようなモノ――【ダイバーズウォッチ】と言うらしい。――の表面を右から左、腕に向かってなぞるように動かす。俗にいう『スワイプ』という動作だ。


『インフォメーション・スワイプを感知しました』


 途端に頭の中に響いてくる聞いていて心地よい鈴の音のような声。


『ダイバーズウォッチの初回起動を確認。【潜る者】ダイバーの情報登録を開始します』


 落ち着いたその声が、凹みに凹んでいた僕の心を優しく癒してくれる。そんな感じがしてくる。


 左手の震えが少し落ち着いたように思えるのは、きっと気のせいじゃない。


『最初に基本情報を登録します。【潜る者】ダイバーとなる貴方の名前を教えてください』


 その声を聞きながら、目の前にそびえ立つ門を見上げる。バカバカしいほどに巨大な門。その大きな扉は数人ほどが通れるぐらいに開かれていて、その隙間からは何も見通せない暗闇が覗いている。


 その先に一体何があるのか。何も分からない。


 だけど構わない。どのみち選択肢はないのだ。この先にある迷宮――そこを踏破する以外、僕に未来はないのだから。


 だから進むために、とりあえずまずは最初の一歩だ。


「トオル。それが、僕の名前だ」


【潜る者】ダイバー名をトオルで登録します。これ以降、変更はできません。よろしいでしょうか?』


 頷く。装着者の声だけではなく、その仕草も認識できるらしい。ダイバーズウォッチから響いてきているらしい声が、僕の了承を汲み取る。


【潜る者】ダイバー名を登録しました。これに伴い、ダイバーズウォッチを使用する意思ありとみなし、【潜る者】ダイバーに対しての初期化を実行いたします』


 初期化? 何それ聞いてない。


 詳しく聞こうとした瞬間、僕の意識は暗闇に落ちた。そして、ほんの数時間前の事を夢に見た。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 The Labyrinth Dweller


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 視線は下を向いていた。アスファルトの焦げたような灰色が最後に見た光景だったはずだ。赤い液体が、僕の身体から爆発したように溢れ出していくのを見たような気もした。なのに、今見えるのは透き通るほどに白い大理石のような床。


「ようこそ、生と死の狭間の世界へ。少しばかりの説明の時間をいただけますか?」


 椅子に座った僕の正面には、白いスーツを着た長髪の男性がいた。彼と僕の間には大きな長机が一つ。


 埃一つ無いその机の上には、例外として白い紙切れが一枚あった。


「貴方は先程、トラックに轢かれようとした猫を助けようと路上に飛び出し猫を歩道に投げ飛ばした後にそのままトラックと激突しました。運転手は居眠り運転だったため、速度を減速することもなく。詳しい描写は省略しますが、そのまま即死亡となりました。ここまでは宜しいですか」


 机の上の紙切れにその内容が書かれてあるのだろう、彼の視線がそこにある。


「……はあ」


 僕は、とりあえず頷く。頷くことしかできない。貴方は死にました。そう言われて、その意味を実感することがすぐできるほど器用な人間でもない。


 死んだ。そうか、僕は死んだのか。ただ、ぼんやりとそんな事を頭の中で呟く。


「死んだ魂は、浄化され、来世へと至る渦の中に飲み込まれることになるのですが」


「あ。あるんですか、来世」


「あります。もちろん、現世の記憶は消失し、まったくの別人としてですが、ね」


「……そうですか」


 残念。記憶が失われるのなら、来世があっても嬉しくない。それは、もう僕じゃない。他人だ。


「この生と死の狭間の世界で、しばらく過ごしたのち、貴方は来世へと旅立つのですが……自分の命の危険よりも見ず知らずの野良猫の命を咄嗟に選ぶ、そんな貴方への提案があります」


「提案?」


「試練を受けてみませんか」


 男性は、両手を組むと机の上に肘を置いた。その指先にピンと挟んだ白い紙切れがある。


「試練を見事に突破できた場合の報酬は、因果の書き換え。トラックに轢かれそうな野良猫はいなかった。助けようと飛び出す貴方もいなかった。故に、貴方が死んだという事実も――こんな風に」


 ビリリと裂かれる白い紙切れ。いくつかの紙片となったそれらは、机の上に落ちる前に消えてしまった。ふいに。唐突に。はじめから、そんな紙片は無かったかのように。


「ここでの記憶も失われます。当然ですね、そうなれば貴方は死んでいないのですから。ここに来る必要もない」


 男性が、ちょっとおどける様に肩をすくめる。


「なにかのきっかけに思い出すこともありません。因果の書き換えにより、全ては無かったことになるのです。今私と貴方が話しているこの会話も、無かったことになります。すべては、死ぬ寸前に戻ります」


「なにか」


「……どうぞ」


「なにか、ないのでしょうか。ええと、そのすごく僕に都合がいい事のようで、あまりにも……」


「怪しい?」


「はい、率直に言ってしまっていいのなら」


 その通りですというしかない。人当たりの良さそうなこの男性の言う事全てがうさん臭く聞こえてしまう。


「そうですね、もちろんあります。貴方が試練を受けてくれるということは、にとって非常に大きな得となります」


ですか」


「そう――です」


 にっこりと笑う男性。たぶん、聞いても詳しい事は答えてくれなさそうな顔してる。

 僕は、大きくため息をついた。


「分かりました、受けます。試練」


「おや、割と早く決断するんですね」


「まあ、どのみち採れる選択肢は多くはないようなので」


 それにごちゃごちゃ考えるのも性に合わない。


「受けます、試練」


 もう一度言う。はっきりと。


「ありがとうございます。助かります」


 男性は、かすかに息をつくように頭を下げた。もしかしたら、向こう側もなにやら込み入った事情があるのかもしれないね。まあ、いいけども。


「では、これからの事を話しましょう。長くはないですが、貴方にとって大事な話となります。何か飲みますか? あいにくとコーヒーと紅茶ぐらいしか出せませんが」


「その前にひとついいですか?」


 あの世(?)にもあるんだ、コーヒーと紅茶、と思いながら、片手を軽く上げる。


「試練、とはなんでしょう。僕は何をすればいいんですか?」


「ああ、そういえば言ってませんでしたね。内容を聞かれる前に決断されるとは思いませんでした」


 苦笑する男性。


「貴方にやってもらいたいのは、ただ一つ。この狭間の世界に存在する迷宮。その最深部に到達してもらうことです」 


 そう言って、男性は「少し席を外します」と今まで気づかなかった部屋の隅にある扉から出て行った。先ほどの会話からして、何か飲み物を持ってくるのだろう。

 それは、どうでもいい。


 僕は、男性の放った言葉を、呟いた。


「迷宮……ダンジョンってやつ? ゲームみたいな? それが、試練?」


 これは、ちょっと……決断早すぎたかもしれない。

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